つづきのつづき
――――今日の講師役はお仕舞いとは言ったものの。当然というか、それだけ伝えて「はいおやすみ」とあのアーシェが退散するはずもなく。
それでも一応は疲れている俺を気遣ってくれているのだろう。やや大人しめのテンションでお喋りを続ける彼女に付き合い、早一時間ほどが経っただろうか。
「……なるほどなぁ。走り続けるってのはキツいもんなのか」
「少なくとも、ステータスを全開にしてはキツいというより無理ね。誰にでもそれが可能なら、あの塔はあなたを待たずに踏破されてる」
よくよく考えれば珍しいというか、話の種は仮想世界のこと……いや、アーシェとアルカディアについて話題を膨らませるのはいつものことではあるが、俺たちの場合は基本的にスケールのデカい案件ばかりだった。
ゲームクリアを目指すだの、そのために『色持ち』を討滅するだのとな。
そのため、こんな風に――
「ゆうて、アーシェならできないこともないのでは? ソロなら特殊称号の常時思考加速もあるんだし、お色直しでステータス調整も簡単だろ」
「できないこともないなら、やっていない理由がないでしょう。私は確かに『才能』に恵まれたけれど、完全無欠なんかじゃない」
「なんかこないだ、遂に『全能』とかいう個別の名称が付いたらしいけど」
「不本意。本当に全能なら誰にも負けたりしない。……あなたの方も、確か『記憶』なんて名前が付けられていたはずだけれど」
「ルビ振られると途端にこっぱずかしくなってこない?」
「そう? この〝文化〟自体は、特別感がわかりやすくて嫌いじゃない」
「文化って言われると日本人としての恥ずかしさも加速するな……」
いつもとは違う小さな視点――ひとりのプレイヤー同士として『ゲームのこと』を語り合うのは、初めてだったりするやもしれない。
「……とにかく、私には【螺旋の紅塔】を踏破できなかった。最後に挑んだのは一年くらい前になるけれど、きっと今も無理だと思う」
「そう、なのかぁ」
「ふふ、納得していない顔」
で、あれやこれやと気楽な話題を転じつつ、流れ着いたのは未踏破ダンジョンに関すること。いや、元未踏破ダンジョンか。
正直なところ結構アレコレ目から鱗な情報というか知見を披露されて、俺は割と素直にアーシェとのお喋りへ夢中になっていた。
「人が人の形のまま人知を外れた速度で走るというアクションは、あなたが思っている以上に高度で至難なの。人間がデフォルトで備えているバランサーは全くと言っていいほど頼りにならなくなるし、一瞬一瞬で求められる状況対処能力は高速至近戦闘を容易に上回る。刹那の制御で済む一歩ならまだしも、走行は難しい」
「うーむ」
「だから、普通は《スキル》を頼る。あなたも言ったように思考加速や、体勢制御その他のアクション自動化系補助スキルが主になるけれど……」
「まあ、スキルに頼る以上は〝継続〟ができないってことか」
「そういうこと。それは私も例外じゃない。私の《ひとりの勇者》は確かに常時思考加速なんてズルを付与してくれるけど、加速倍率自体は大したものじゃないから……それだけで長距離走の処理を賄うのは無理」
「なるほどなぁ……?」
そしたらなんで俺は普通にステータス全開で走る程度のことは素で出来ているのかといえば、そこにまさしく『記憶』の才能が絡んでくるのだろう。
ゆうて俺も初期は……というか、今もちょくちょく壁や地面のシミになってはいるが、人外の高速機動で割と頻繁に事故ってはいた。
で、それら全部を俺のアバターは余さず記憶しているという話。
そして言い得て妙というかズバリで本質的な特性を言い当てられてしまったが、世間様に名付けられた『記憶』にして『回想』にして『想起』の才能でもって最適解をアクションの度に無意識下でトレースしている訳だ。
ゆえに、俺の身体は仮想世界において間違えない。成功だろうと失敗だろうと、一度経験した事柄は――改めて考えると、ぶっ壊れ過ぎて申し訳ないなコレ。
「それに加えて、殺人兎の弾幕処理も要求される。無理」
「あー……アイツら自機狙いオンリーじゃなくてバラ撃ちもあるからなぁ」
「それこそ、あなたの『記憶』が完全なメタとして嵌まってる――『全部覚えて全力で走る』というのは、真向からの攻略法としてはある意味で正道ね」
「……クリアした俺が言うのもなんだが、いろいろと設定間違ってると思うよ」
なお、今の俺なら覚えるまでもなくノー思考全力疾走でクリア可能なのは秘密。
ボーダーラインは、おおよそAGI:700相当のトップスピード。そこまで速度を積んで事故らず駆け抜けることが出来るのであれば、あの天国直結兎地獄を置き去りにして正しくウィニングランを見せ付けることが出来る。
ので、どちらかといえば正道はそっちな気がするんだよな。スキルでもなんでも積めるだけ積んで、いつかその速度域に達したプレイヤーこそが『第一踏破者』の栄誉にあずかる造りになってたんじゃないかと――
「あ、ちなみに」
「ん」
アーシェは本人談「無理」で納得するとして、俺の脳裏に浮かぶ『人外の速度を体現する者』はもう一人いる。
「お師しょ……ういさん、もとい【剣聖】様はチャレンジ経験あったり――あ、え、なにほんとごめん俺もしかして地雷踏んだか?」
「…………本人に、聞いたことはないの?」
「な、ないです……」
一瞬で、あからさまに、声のトーンが落ちる。
アーシェに限って初見の反応を前に慄いていると、不機嫌……というよりは、どこか悔しそうな表情を浮かべた【剣ノ女王】様は溜息を一つ。
彼女も自身のらしくない反応に気付いたのだろう。戒めるように指先で頬を揉むという、それもまたらしくない仕草を魅せながら、
「私が六割。彼女が七割」
「………………えー、と」
「『神与器』も『魂依器』もスキルも称号も全開放して本気で挑んだ私が踏破率六割で、全部縛って身一つで挑んだ【剣聖】が七割」
実は根本的に超の付く負けず嫌いなのやもしれぬ少女は、隠し切れない拗ね味を声音に醸しながら淡々と言った。
それでまあ……未だ電気も点けないまま。窓から差し込む月明りに照らされる澄まし顔が、どう足掻いても俺の目には無表情として映らず、
「…………………………ハル」
「はい」
「なに笑ってるの」
「いや、気のせいで――ハイ来たわかってた照れ隠しの実力行使反対ッ! おま、ストップストップ時と場所が洒落になんねぇからぁっ!!!」
漏れ出た微笑ましげなニヤつきを秒で看破され、流れるようにこの始末。
で、達人の如き初動で音もなく俺の両腕を掃ったアーシェに押し倒されながら、理性信念貞操その他を死守するために必死の抵抗……を、しようとはしたのだが。
「――――っ……ふふ」
まだ見たことのなかった種類の表情。
無邪気にじゃれつく子供のような、素直な笑顔が上から降ってきて、
「……、…………」
情け無用に押し退けるか否かを迷った末に、まんまとやられた俺はジタバタ出力のツマミを『弱』へと絞ってしまった。
いやまあ、あれだよ。
アーシェ相手には俺がヘタレるというかシンプルに太刀打ちできないがゆえ、ソラやニアと比べればスキンシップを許した回数が極端に少ないというか迫られると明確にヤベーので間合いを取らざるを得ないというかけれどもまあ流石に一人だけそれってのも公平さ云々の問題的にどうなのかと最近は顧みることが無きにしも非ずな訳でいやそもそも俺が公平さがどうのとコントロール紛いの立ち回りをするのもどうなんだという話ではあるけれどもそこはまあ悪役上等のスタンスを宣言した立場であるからして常識だの世間の目だのは度外視でとにもかくにも三人を最優先の思考でやらせてもらおうと思っている次第ゆえ――――つまるところ、
〝甘えられている〟という範疇に止まるのであれば……今の俺には、彼女を跳ね除けるという選択肢は存在しないのである。
おら出番だぞ、気張れ理性。
――――なお、三十秒後。
「………………」
「……あ、あの、アーシェさん?」
「………………」
「ちょ、お、どうしたどうした。やめたまえそんなジッと人の顔を見つめるのは」
「………………」
「アーシェ? アイリス? アリシア・ホワイトさん?」
「………………」
「っ、オーケー動くなそこまでだ。はいストップ手を上げろ物事にはラインってものが――待て待て待て許してない‼ そこまでは許してねえやめッ……!?」
じゃれつきを受け入れてしまった結果。
気分が盛り上がってしまったのか無事暴走したお姫様と、死力を振り絞っての格闘戦が展開されたのはまた別のお話だ。
そこまで込みのおふざけだったので主人公は無事な模様。
本気なら抵抗できると思うなよ。