臨時講師さま
ソラさんお手製のサンドイッチ、ついでにオマケの俺作時短ヴィシソワーズを並べた昼食を終えた後。
一週間の宿泊ともなれば着替えその他で荷物が嵩むということで、予めアーシェが手配してくれた事前配達により運び込まれていた荷を解くべく一旦解散。
それぞれにあてがわれた部屋へと引っ込み、とりあえず自由時間と相成った。
いや、というかそもそも今回の旅行自体が全編自由時間なんだけどな。アーシェ曰く「【Arcadia】以外は基本なんでもある。なければ用意する」とのことなので、そういった意味でも真に自由。
一階と二階だけかと思いきや、まさかの地下室まであるらしいからな此処。
広々としたスペースにビリヤードやダーツを始めとした身体を動かす系の娯楽品が揃えられている他、フィットネス用具なんかも揃えてあるのでジム紛いのこともできるようだ。なんかもういろいろと振り切っていて笑うしかない。
もちろん、身体を動かさない系の娯楽品も備え付け完備だ。
四谷の宿舎ほどではないが、東京に越したばかりのころ世話になっていた俺の城の三倍は面積があるゲストルームには、型の古さなどスペックで張り倒すと言わんばかりお高そうなPCが輝きを放っている。
即ちネット回線もバッチリ敷かれており、一階部分に在るシアタールームには【Arcadia】を除いて〝ゲーム〟と名の付くものが勢揃いしているとのこと。
もちろん、外へ出て遊んでも良い。テラスでのんびりするも良し、整備された林道を散歩するも良し……事故があったら洒落にならないので「必ず二人以上で」とアーシェから注意はあったが、浜へ下りれば釣りなんかもできるらしい。
一言で表せば、夢の城。
ま、俺は当初の予定通りやるべきことがあるんだけどな。個人的にこれは『旅行』ではなく『合宿』であるからして……と、気合を入れ始めた頃。
コツコツコツ――と、ちょうどよいタイミングで扉が鳴った。
ノックの音だけで誰かを判別できるのも我ながらどうかと思うが、三人娘は至極わかりやすく癖が別れているので割と容易く判別可能。
今回の場合は叩き方による響きや音の大小もそうだが、なによりこの少々のんびりかつ極めて規則正しい平坦なノックの仕方は――
「――今、いいかしら」
「あぁ、もちろんだとも」
扉を開ければスンと無表情で立っていた、このお姫様で確定である。
端からその予定で足を運んだ俺仕様なのだろうか。PCが鎮座しているデスクとは別に、部屋には教本やノートを広げやすそうな大きな丸机が用意されていた。
少なくとも、ニアが案内された部屋にはなかった。他の間取りや調度品はそっくり同じなので、おそらく追加で用意してくれたものと思われる。
「それじゃ……ひとまず今日は時間を設定して、各所しっかりとやってみましょう。ハルの物覚えや進行速度を見て、後のペースを決めればいいと思う」
「オーケー了解――じゃ、なくて……何卒、よろしくお願いいたします。改めて悪いな、折角の旅行先で勉強の面倒なんか見させて」
「…………ん。言わずにいるのも難しいことだろうから、受け取っておく」
で、その勉強机にドンと積んだのは教材の山。どうせ配達ならと前日にまとめて全部送ったのだが、こう積み上げると威圧感がヤバい。
旅行による解放感が凄まじい勢いで減衰していくのを感じる――とまあ、それはさておき。隣に腰を下ろしたアーシェの様子からして『いつでも』ということだろう。お言葉に甘えて、早速ご教示いただくとしようか。
「一応、初めに言っておきたい」
「はいはい?」
「人に教えたことはあるけれど、経験豊富とは言えない。初めの内は走り過ぎたり、逆に遅くなったりもすると思うから、ペースが合わなければ遠慮なく教えて」
なんとも彼女らしい無駄のない物言いが、頼もしいやら有難いやら。
「おう、了解。俺の方もスパルタされて嫌ったりはしないから、遠慮なくビシバシやってくれ――ごめん訂正。一般的な大学一年生基準で、ビシバシやってくれ」
――で、だ。もう今更そんなことを一々ツッコんだりする気もないが、二つ並んでいた椅子それぞれに座った俺たちの距離は十センチ程度。
言葉を交わす間も、さりげなく音もなく椅子をチョイッとずらしてみたが……見事なまでの追尾スキルで一ミリも距離感が変わらなかったことから、無駄な抵抗を試みる意味は薄そうだった。
なお、アーシェに個人授業を頼む件については残る二人にも共有済み。
加えて先生自ら「暇ならいつでも遊びに来ていい」と侵入を〝是〟としているため、次の瞬間にもソラかニアが扉を叩いてもおかしくないのだが――
「あなたの通っている大学は、一般的には『一般的』と呼ばないはずよ」
クスリと笑みを零すお姫様は、だからどうしたとばかりに上機嫌だ。
軽率に至近距離で笑顔を見せないでいただきたい。それによって命を落とす可能性がある人間がいることを自覚してほしいね心の底から。
いや、自覚しているからこそのコレなんだろうけどさぁ……。
「ハル」
「はい」
「顔が赤い」
「お前のせいだよ近いんだよ肩やら腕やら当たっ……おいこら言った傍から押し付けてくんな! 今はお勉強の時間だろ!」
「――――今は。そう、わかった」
あ、やべ。
「ちょっと待って? ワンミスでドボンはナシじゃない?」
「あなたの言う通り、今は勉強を頑張りましょう。今は」
「いやわざとらしく強調しなくていい。後でなにをやらせる気だおま――」
付け入る隙を与えてしまい焦る俺を他所に、あっさりと肩を離したアーシェがトントンと机の上に置いたノートを指先で叩いてみせる。
――――あの日から、ソラやニアに対する俺のスタンスは変わった。
押されるだけではなく、こちらからも押す……までは立場的にできないのは変わらねど、しかし〝返す〟ことを躊躇うのを一切やめた。
好意を見て見ぬフリして誤魔化すのも、やめた。今更どう足掻こうと俺はアプローチされる側なのだから、せめて唯一出来る『想いを返す』ことを飾らず全力で遂行しようと心に決めて日夜悪戦苦闘している最中なのだ。
……なのだが、どうにもこうにも〝彼女〟にだけは、それが通じない。
正しくは、俺の付け焼刃による『反撃』の歯が立たない。
更に正しくは、歯が立たないどころか牙を見せた瞬間、逆にペロリと食べられてしまう予感しかしないので安易にスタンスを変えられない。
結局のところ、とにもかくにもアリシア・ホワイトという少女は――
「それじゃ、ノートを開いて――要望通り、厳しく優しく教えてあげる」
俺の心意気一つ程度で、在り方が変わるような人物ではないということ。
そして心意気一つを改めた程度では、あらゆる意味で『最強』の名を欲しいままにしている彼女の……最近は随分と上手になってきた微笑みを、
「っ…………はい、よろしく、お願い、します……」
「……ふふ」
このところの俺は、以前までとは少しばかり違う意味で――
直視することが、できなくなりはじめていた。
そら眩しくて堪らないでしょうよ。