海辺の林道を抜けて
俺は六歳の頃、家族で北海道へ行ったのを最後に旅行らしい旅行をしていない。
遠出することがあっても精々が県内止まり。それゆえ旅慣れしていないということもあり、四時間弱に渡る車移動もそれなりに楽しませてもらった。
途中からニアが車に酔ってダウンしたり、休憩に寄ったパーキングエリアへ好奇心のまま突撃していくソラに腕を引かれたり、暇潰しにと開催された国名しりとりでアーシェが単独無双したりと紆余曲折を経て――――
「隠し通路、みたいですね……」
「なんか、アレだな。異界に続いてそうな雰囲気があるな」
「…………」
昼時に辿り着いたのは話に聞いていた通り、街が見える気配すらない陸地の端っこ。新潟に入ってから暫く海岸付近の細道を走っていた車をアーシェが止め、下車した地点は一見して目印も何もないような道の途中。
しかしながら、何かがなければ彼女が『着いた』と宣うはずもない。
注意深く観察すれば、海の際から細い道路を挟んだ林の中。人の手で整備された〝道〟がひっそりと存在しているのを見て取れた。男の子が好きなやつである。
途中ちょこちょこ仮眠を挟んでいたソラさんは結構お元気な様子で、興味津々といった風に俺と並んで『隠れ道』を観察中。対して途中の車酔いもあり割とガッツリ寝ていたニアはと言えば、ほぼ力尽きて人様の背中に縋りついている。
どうも、車での長時間移動をあまり経験したことがなかったらしい。
病人判定ということでお目こぼしされているのか否か、グロッキー状態で俺に寄り掛かっている彼女を見ても他二人が頬を膨らませるような気配はない。
現在も、ニアの背中をソラさんが献身的に撫で擦っていらっしゃるからな。
「――少しくらい……と言わず、数日ほど寄って寛いでも構わないのだけれど」
「お誘いは嬉しいし、とても光栄だけどね。今回は遠慮しておくよ」
そして、林道の手前で団子になっている俺たちから少々離れた道路脇。
気遣わしげな無表情で首を傾げているアーシェへ、運転席の窓から顔を出した千歳さんがヒラヒラと手を振っていた。
最初から送迎役のみとして名乗りを上げた代表補佐殿だが、本当に送り迎えだけに徹するらしく一旦このまま帰ってしまうらしい。
つまり一日で往復八時間弱のメチャクチャしんどいであろうハードスケジュール。アーシェが声を掛けるのも無理はないというものだが、当の本人はケロッとした顔を見せている。なんなら五人の中で一番元気そうだ。
「……わかった、ありがとう千歳。帰りと、また来るときも気を付けて」
「こちらこそ気遣いありがとう。諸々の重責は一時でも放って、のんびり羽を伸ばしておいで――――春日君たちも! 良い休暇を!」
向けられた視線と声に、三人並んで礼を返す。それを最後に『役目は果たした』と言わんばかり、千歳和晴は颯爽とハンドルを切ってもと来た道を帰って行った。
なんというかこう……総じてバイタリティの鬼だよな、あの人。上手くは言えないが、頼もしい大人って感じで素直に格好良い。
「お待たせ、行きましょう」
「よし来た――ほれニア頑張れ、歩けるか?」
車を見送った後、合流したアーシェの先導に続いて林の中へと足を踏み入れる。
外から見える部分は『獣道より少しマシ』程度のモノだったが、少し歩けば丁寧に舗装された通路へと早変わり。定期的に整備でもされているのか、そういう散歩コースかと思ってしまうくらい全体的に綺麗なものだった。
歩き易さは申し分なし……なのだが、ニアがわりと真面目に辛そう。
「あー……アーシェ? サラッと入ったから心配はしてないけど、まさかここから数十分とか数時間の道程ってことはないよな?」
もしもそこそこのハイキングコースということであれば休憩を提案するつもりで確認を取ると、振り向いた先導者はチラとニアに視線を向けつつ首肯を一つ。
「心配いらない、本当にすぐそこ――もう見えた」
果たして、やはりというか心配は杞憂だったらしく。
彼女の返答が終わるよりも先に木々のカーテンが開け放たれ、隠れ家めいた真なる目的地の光景が目の前に広がった。
「うーわすっげ……」
「わぁ……」
ぽっかりと切り抜かれたような山林の一画に在ったのは、どこか芸術的に自然と調和している立派なペンション風の建築物。
二階建てのようだが相当に横長で、外観にある幾つもの窓から内部の部屋数が窺える――まさしく、小さなホテルといった様相だ。
ここまでの道と同じく定期的に整備が入っているのだろう、山中に在って壁には目立った汚れも見当たらずピッカピカ。旅先で「此処が今日の宿です」と言われたら間違いなくテンションが上がる類の風格を備えていらっしゃる。
『海辺の別荘』という事前情報にも違わず、建物正面には一面の海景色。
下がどうなっているかは距離があるので目に入らないが、安全柵が設けられたパッと見の〝崖〟からすぐ先に青色がドーンってな具合。
いやこれはいいね、雰囲気ヨシ。公道から外れ人目に付かないであろう立地といい、秘密基地的な雰囲気過多で大変よろしいではないか。
「柵もあるから大丈夫だと思うけれど、建物の正面は少しだけ崖になってるから気を付けて。下の砂浜に降りる通路は後で案内する」
「その砂浜ってのが?」
「一応、プライベートビーチ。大きくはないけれど」
「はぁー……改めて、世界観が違うな――あーハイハイわかったわかったごめんな辛いよな休もうな。アーシェ、とりあえず横になれるとこ……!」
「ん。部屋に案内する」
とにもかくにも、まずは右腕にぶら下がり限界を迎えつつあるグデグデお嬢様を介抱しなくてはなるまい。踵を返して建物へ向かうアーシェを追い……かけ、たいんだけど……! おいマジあと少し頑張ってくれゴールはきっとすぐそこだから!
「あーもうダメだこれ……! ちょ、ソラ、右手側に援護頼む……!」
「あ、はは……ほらニアさん、もうすぐ横になれますから頑張ってくださいっ」
現実では腕力的な問題で軽々にヒョイといく勇気はないため、安牌を取ってパートナーに即断の助力要請は免れなかった。
そんなこんな、二人掛かりでニアを両側から支えつつ追いかける先。立ち止まって振り向いたアーシェと目が合って――
「――……ふふ」
海風に髪を靡かせる彼女は、小さくクスリと笑みを零す。
珍しく無表情を逸したその微笑は……かのアリシア・ホワイトが現在、格別の上機嫌であらせられる証に他ならないのだろう。
大変結構、目一杯に楽しんでいこうぜ。
車酔いは死。