道中思案
――――目が覚める。
ゆったりしたシートに預けた身体に伝わるのは、優秀な運転手の気遣いによるものだろう僅かばかりの微細な振動。無いに等しいソレに眠りを揺すられた訳ではなく、自らが元々設定した睡眠時間を取り終えただけのことだ。
出発から二時間。信を置いている体内時計に狂いがなければ、ちょうどその辺りのはず。隣に目を向ければ、一瞬前までの自分と同じくニアが寝息を立てている。
車に乗り込む前から実にわかりやすく緊張していた彼女だが……緊張に疲れて眠ってしまったのか、あるいは寝たフリを弄してそのまま寝てしまったのか、さて。
ロシアはヴルーベリの令嬢と言えば、絵画の世界に造詣の深い者であれば知らぬ方が珍しい存在――であるというのに、当の本人はこの様子。
現実で挨拶を交わした時は澄まし顔で対応したが、実際のところアイリスはひどく驚かされたものだ。知識として頭に納めていた『リリアニア・ヴルーベリ』という存在の印象が、いっそ愉快なまでに反転してしまったから。
ファン……と言っていいのかは微妙なところだが、芸術家としての〝彼女〟を『作品』という形で知っている者の立場からすれば呆気に取られて然るべき。
けれども、知人として。願わくば友人として知り合う相手と見れば、アイリスはニアへ純粋に好感を抱いていた。
明るく、聡く、素直で、勇気もある。なにより、現実と仮想の両世界において特別な立場を持っているというのに、その振る舞いに飾ったところが見られない。
特別でありながら普通で在るというのは、存外難しいことだ。少なくとも自分には出来ない――ゆえに、普通で在るという特別がアイリスの目には眩しく映る。
そしてそれは、奇しくも……いや、なにも不思議ではないのかもしれない。
その性質は、共通の想い人が同じく持ち合わせているもの。幾つになっても『おとぎ話』を信じたい人間としては、恋敵としての心情を他所に思ってしまう。
似た者同士が、引き寄せ合ったのだろうと。
綺麗で、淡く、甘い、自分好みの物語。けれど他所に置かれた一番大事な心情は、未だ誰にも見せたことのない子供のような表情でもって――
ズルい。
羨ましい。
負けたくない、と。
ずっとずっと、声高に叫んでいる。
「――…………」
転じて隣の隣。かの四谷開発の御令嬢に関しては、現実でも仮想でも付き合いが浅いため感慨は保留。しからば斜め前、助手席に目を向ける。
〝あの日〟からより一層に魅力を増したように思える想い人に視線を送れば、ぼんやりと窓を見ていた彼がピクリと反応して振り返った。
勘の鋭さは、現実世界でも変わらずか。視線の気配を感じ取るなんて難しいことをアッサリとやってみせた後、栗色の瞳が自分を見る。
交わす言葉は、なにもなく。
二秒三秒と、ただただジッと見つめ合って――最終的には照れたように……否、そのもの照れに負けて、ハルは曖昧に笑うと窓の方へ顔を戻してしまった。
……男の子に対して適当な言葉なのか判断がつかないので、口にはしない。けれども、心の中での呟きまでは知られることもないだろうと、
「…………――」
可愛らしいという一言を胸に溶かしながら、誰にも気づかれない内に小さく笑みを零しつつ、アリシア・ホワイトは再び目を閉じた。
◇◆◇◆◇
――――ふと、目が覚めた。
緊張に居たたまれず寝たフリを始め、そのまま寝落ちしてしまった後どれだけ時間が経ったことだろうか。全身の感覚を拾い集めるように慌てて居眠り直後の身嗜みをチェックしつつ、両側の気配にも気を配りながらチラリと横目を向けた。
右のお姫様――相変わらず眠っていらっしゃる。
何度見ても造り物のようにしか思えない凄絶な美貌は、いっそ呼吸によって胸を上下させているのが人間らしくて不自然に思えてしまうほど。
間近で見るとより一層、全てのパーツが完璧を通り越して究極であり空恐ろしさを感じてしまう。指差して『絵画です』と言ったら通用しそうだ。
もう本当に、なにからなにまで自分の勝るところが見つからず会うたび泣きそう。知り合うようになって明らかとなった純真さとお茶目さも、元より天井知らずである彼女の魅力を空の果てまで打ち上げてしまった。
下手をすると同性であるはずの自分が、彼女の一挙手一投足を見て軽率に恋をしてしまいそう――と、そこまでは流石に冗談だが、恋敵としての戦闘力的には全くもって甚だ冗談ではなかったり。
何故そうなっているのかも不明だが、黒髪姿も綺麗すぎて意味がわからない。
心の中で感嘆や切なさから始まる数多の感情をミックスした溜息を零しつつ、クルリと首を回して視線を逆へ移動させた。
左のお嬢様――スヤスヤと眠っていらっしゃる。
寝たフリを始める直前まで把握していた様子では、テンション高めなウキウキ顔で窓の外を眺めていたはずだが……はしゃぎ疲れて寝てしまったのか、はたまた賢く体力を温存するためほどほどにして目を閉じたのか。
さておき、こちらもこちらでトンデモない。なんなのだろうか、この純真さと愛らしさを煮詰めて人型にしたようなフィクション顔負けの美少女は。
〝美〟の観点からすれば人類を超越している節のある右隣さんは置いておいて、左隣さんである彼女は正直に言わせてもらうと可愛いの化身。
サラサラの黒髪、名を表すようにキラキラと輝く空色の瞳。小さな鼻も可愛いし、桜色の唇も可愛いし、柔らかそうな頬も可愛いし、なんなら細い首筋も肩幅も全身くまなく可愛いが席巻していると言っても過言ではない。
そしてそれら全部は、仮想世界における【Sora】に対して抱いていたモノと寸分違わず同じ感想。アバター初見時から察してはいたが、そっくりそのままを現実で見せられるとやはり衝撃が大きかった。
なんとなくだが、おそらく自分と同じ複数の血が混じっているように思う。
日本人らしい愛嬌と慎ましやかな美だけではなく、他の優れた特徴を受け継がなければこうはならないはず……まあ、それはともかくとして。
――現実のソラちゃんも超可愛すぎて色んな意味でヤバい助けて、と。
特殊な状況も相まって、両隣を悉くシンプルな恋敵として見れないニアは揃って魅力的が過ぎる少女たちに頭を抱えていた。
それは別に、女の子として魅力的という話ではなく。
自分から見て、大きな好感を抱かざるを得ないほど二人が魅力的という話。
綺麗で真っ直ぐで格好良いアイリスも、可愛く素直で純真無垢なソラも、好きになる以外の要素が現時点で何一つとして存在していないという大問題。
だって、この二人はどこまで行っても恋敵。
斜め前。窓の外を流れていく風景を暢気に眺めている想い人の心と身体は、どう足掻いても世界に一つ。それだけは不変にして絶対の現実。
それゆえ、最終的に自分たちは争わなければならないというのに――――
「……、……、………………」
右を見る。左を見る。
好きしかない――どうしろってのさ、こんなの!!!
感情の勢いのまま持ち上がった両手を無意識に膝へ振り下ろしかけて……両隣から届く可憐な寝息を守るため、そっとお淑やかに暴発を収める。
寝起き一発に自爆で乱れた心をどうするか迷い、心の中で数秒唸った後、
「………………――」
保留の名の下にあれやこれやを投げ捨てて、ニアは再び目を閉じた。
一方その頃、旅行に気を取られ一人純粋にわくわくスヤスヤのソラさん十五歳。