不動の優先順位
『――――はいはいオッケー。それじゃ諸々準備は済ませておくから、好きに使って大丈夫よ。シェフは……いつも通り、いらないわよね?』
「ん、大丈夫。ありがとう」
『なんのこれしきよ。可愛い可愛い小さな妹のためですもの』
「……ありがたいけれど、流石にもう子供扱いされる歳じゃない」
『あら。いくつになっても、あなたは私たちの末っ子よ。小さなアーシェ』
「小さくない。身長160cmは日本の女性平均より少し上」
『ふふ……いじけていても、恋をしても、あなたは変わらないわね』
「………………」
『〝恋人〟を紹介してくれる日を楽しみにしているわ。そんなに辛抱強くは待てないから、今年中にはセッティングしてちょうだいね』
「……まだ、恋人じゃない。恋人になれるかも、わからないから」
『――…………そんな風に弱気なアーシェも新鮮で堪らなく愛らしいけれど、心配なんていらないと思うわよ』
「…………」
『誰より可愛い私たちのお姫様。世界を魅了したあなたに〝恋〟を向けられて、参ってしまわない男の子なんているはずがないもの。ね?』
「…………おやすみ、エメリー。また連絡する」
『おやすみアーシェ。良い夢を』
◇◆◇◆◇
「――――そういう訳だから、週明けの月曜日に出発する」
「………………え、っと……再来週、とかの話?」
「ううん、来週」
「今日って何曜日だっけ?」
「金曜日」
「つまり来週の月曜日は?」
「三日後」
「…………………………っスゥウ――――――――――……うん」
予定が決まった⇒備えろまでが急過ぎないかとか、相談ではなく初手決定事項の宣告なのは配慮が欠けちゃいないか、とか。
アーシェの性質を少しずつ理解し始めているがゆえ、呑み込んだ。
このお姫様は癖なのか何なのか、とりあえず『結果』の思考を叩き付けてくるスタンスというだけ。その振る舞いというのも、相手を見てやっている節がある。
つまるところ、面食らうような言葉足らずの剛速球が飛んでくるのは『正しく読み取ってくれるだろう』という信頼があってのこと。
これも親しい者に対する〝甘え〟の一種と思えば、しっかり読み取って付き合ってやろうという気にもなるというものだ。
即ち――夕食後に鳴った呼鈴に応じて扉を開けた途端、並べ立てられた先の彼女の言葉を訳すと大体こうなる。
――――準備が整ったから都合が悪くなければ三日後に出発したい、と。
あれ、翻訳前と変わんなくね???
「ん゛ん、と………………ゴッサンたちは? そんな急で大丈夫なのか?」
「問題ない。今月中なら翌日すぐでも対応するって」
「そっかー……」
誰も彼もフットワーク軽いね……確かに昨日の会議でも『今月は特にやることねぇから各々しばらく好きに過ごせ』とは言ってたけどさ。
他の序列持ちにはなくとも、総大将殿には多少なりと仕事はあるだろうに――ってのはまあ、目の前におわす剣ノ女王様もそうなんだろうが。
そう考えると南で真に〝女王〟をやっていらっしゃるヘレナさんも……あれ、もしやこれ今後多忙になると思しき首脳陣の息抜きって意味合いもあるのかね?
いや、仕事を見据えての羽休めだから『英気を養う』が正しいか。
「ハル」
「お、おう。ごめん、ボーっとしてた」
声を掛けられ我に返れば、こちらをジッと見つめている黒い瞳はいつも通りの無感情――に見せかけて、おそらくその奥で常人とは比べ物にならない高速かつ大量の思考及び感情が飛び交っているのだろう。
「私の台詞。旅行に関しては我儘ばかり言っているのは自覚してるから」
「我儘自体は、いくらでも言ってくれていいんだけどな」
別に嫌だとか面倒だとかいう思いは湧いちゃいない。ただただ毎回、驚かされて付いていけず呆けてしまっているだけだ。
なので、
「っし、了解。月曜日な、準備するよ」
驚き戸惑い共に過ぎ去れば、応えることに迷ったりはしない。二つ返事とはいかなかったが了を示すと、アーシェは微かに目を見開いた後に、
「……ありがとう」
気のせいでなければ、安堵したように微笑んで見せた。
……そういうの全般威力が高過ぎるものだから、毎度毎度の無茶も可愛げに変換されてしまうのだ。甚だズルいお姫様である。
「ちなみに『海』『別荘』『一週間』『臨時講師』の他に一切の追加情報を貰ってないんだけど、その辺というか計画の詳細も教えてもらえるか?」
「大丈夫。といっても、そのまま『海辺の別荘で一週間あなたの臨時講師をしながらのんびり過ごす』だけなのだけれど」
「どうやってのんびり過ごすかが重要だろ。別荘とやらの規模もわからないし、ゴッサンやヘレナさんは常に一緒なのかとか、食事その他諸々の用意とかはどうするとか知っときたいこと沢山あるぞ」
「食事はユニが作ってくれる」
「なるほど、シェフは雇っていると。それなら食事に関しては心配いらないってことでちょっと待てなにいまだれつくっ――」
「落ち着いて。…………いろいろ話すなら、入ってもいい?」
唐突に斜め上をぶち抜いていった新情報に混乱した俺をついっと押して、問いかけをしたくせに答えも聞かないままアーシェが部屋に入ってくる。
随分と開けっ放しにしていた扉が閉まれば、ドアノブを握ったままでいた俺が片手を伸ばして彼女を押し込めているようなシチュエーションの出来上がり。
精神衛生上よろしくないのでパッと身を離せば、推定故意犯であるお姫様はクスリとドヤ顔無表情でわかりづらい笑みを零していた。
「――――あー…………そう、か。なる、ほど、ね」
旅行についての詳しいアレコレを聞き終えた後、根本的な勘違い――というより、勝手な思い込みを改めた俺は深く納得して何度となく頷いていた。
「つまりアレだ。元は南陣営序列持ちの慰安会的な……」
「発端は、そう。参加できる人が少なくて、小さな集まりに止まったけれど」
ゴッサンも『この時期の旅行』と言っていたように、定期的に開かれているらしい件の催し。元を辿れば、それは慰安&交流の場を作るためにアーシェ……ではなく【侍女】殿が提案したのが始まりだったらしい。
参加者が少なかったってのは――
「東とは雰囲気が違っても、南陣営だってそれなりに仲は良い。皆『行きたい』とは言っていたし、私にも『会ってみたい』と言ってくれた。でも、リアルで会うとなると障害は少なくないから」
「まあ、そこはなぁ」
実際、俺だって今まさに【Iris】と現実で顔を合わせていることに言い知れぬ非現実感があるものだ。それは【Nier】、そして【Sora】が相手でも同じこと。
現実以外の場で知り合った相手と現実に顔を合わせるってのは、人にもよるが大なり小なりハードルが存在する。各々のスタンス、線引き、物理的な距離など、問題は多岐に亘るだろう。
三人とは各々に唐突、流れ、勢いのコンボで雪崩のような連続エンカウントを果たしたものだが、あんなもの言ってしまえば百割ファンタジー案件である。
「んー……なんというか――」
で、事情を聞くにあたり浮かんだちょっとした違和感とか、そこから通じた思い付きの『もしかして』などを口に出すか一瞬迷って……。
「……?」
「や、なんでもない」
首を傾げたアーシェの顔を見て、喉の奥へ引っ込めた。
そこは別に、この場で俺が触れる必要のないことだろうから。
「とにかく、諸々納得した。俺が誘われたのが発端って訳じゃなく、元々あった定期イベントに新顔として招かれていただけってことね」
「……その言い方は、少し」
「少し?――――ちょちょちょ、待て待て、別になんも含んじゃいないぞ言葉通り単に納得したってだけで」
どういった感情の動きによるものか、俺の反応に不満そうな声を出したアーシェがソファから立ち上がり足早に距離を詰めてくる。
すぐ後ろに椅子を置いて座り、ソファの背を盾に構築していた建前程度のセーフティゾーンはあっという間に踏み潰されて……。
「だ、から……! お前はいつもいつも近――」
「あなたがオマケみたいに言わないで。遠慮も容赦もしなくていいなら、二人きりで海の向こうにでも攫ってる」
いつかのように椅子の背凭れと彼女の両腕の中に閉じ込められた俺は、間近に迫る凄絶な美貌に気圧されて硬直する他にない。
「今の私の〝発端〟なんて全部あなたよ、ハル。あるものにあなたを招いたんじゃなくて、あなたと一緒にいるためにあるものを使っただけ」
「…………」
「私の中であなたが〝ついで〟になることなんて在り得ない。どれだけ私があなたのことしか見ていないのか、ちゃんと間違えずに理解してほしい」
「…………」
「……いつまでも黙ってるなら、このままキスする。返事して」
「――わ、わかった! わかったって! 言葉選びを誤ったのは理解したからとりあえずこの場は許してくれ反省する深く反省するから……!」
と、気圧されるどころの話ではなかった。
言葉運びは淡々としているはずなのに、紡ぐ声音の全てに籠められているのは隠す気ゼロの甘い熱。それだけでも威力過剰だというのに、意図してか否か表情まで解禁されては俺に抗う術など在りはしない。
余程、自らにとっての『優先順位』を軽率に履き違えられたのが腹に据えかねたのだろう。怒りで微かに頬を染めて半眼でこちらを睨むアーシェは――
アーシェは、なんというか、その……怒らせた手前、明言は避けるが、
「ん、反省して」
「ハイ、慎みます……」
いろいろと俺が危ないので、彼女の前ではもう少し慎重に生きようと思った。
無限にイチャイチャイチャイチャするから、
いつもいつもいつも肝心な説明まで辿り着かない。




