在り得ない枝葉
ソラさんとのデートは、さっくり二時間ほどで幕を閉じた。
いや時間に関してはさっくりというだけで別れ際はメチャクチャぐずられたというか全くもって『さっくり』ではなかったが、予定通りなので仕方なし。
ソラは現在高校生。オマケに彼女は夏目さんと奪い合うように家事その他お手伝いを熱心に頑張っている超絶いい子な御令嬢であらせられるので、基本的に一日たっぷりログイン時間を確保できるのは土曜日だけ。
彼女にとって、日曜は休日というよりも週明けに向けての準備期間だ。メイド談では勉強なんかも一般的な同年代より高く量と質を積み重ねているらしいので、なんというかもう本当に偉い。どこかの誰かさんも見習うべきだろう。
上流系のお嬢様校に通っているとのことだが、ミリ知ら世界ということで興味と心配が半々といったところ。『女子校』って実在してたんだな……。
――といったところで、中々ひっついて離れようとしなかったパートナーを宥めつつ『またね』を交わしてから数時間ほど経っただろうか。
ふらっと足を運んだ〝行きつけ〟にて、俺は試行錯誤及び爆散を重ねていた。
「んんー……違うよなぁ」
三桁から先は数えていない、何度目かのリスポーンを経て。
紅一色の螺旋で構成されている塔の遥か天頂を眺めつつ……ぼやくように零す呟きも〝軽い死〟と同じく、何度となく口にした思考も意味も薄いものだ。
惜しいところまで来ている感覚はある――が、あと一歩なにかが足りない。
イベント中も続けていた『調整』は成果ナシとはならないまでも、アバターの根っこに座している頑固な違和感がどうにもこうにも払拭できずにいた。
不調という訳ではない、というのが如何ともしがたい厄介なところ。
キッカケとなったのは、おそらく例の【氷守の大精霊 エペル】討伐だろう。
『記憶』の才能なんて大層な特別を持っているのにも拘わらず、なにをどうやってソロ撃破なんて無茶苦茶をやり遂げたのか覚えていないというバグ案件。
なんとなーく薄っすら『こうだった気がする』程度のアレはあるのだが、それにしたってほぼほぼ無意識で戦っていたのは間違いないのだろう。
――で、その時からどうもこう、アバターの操作がブレる。
より正しくは、アバター操作の感覚にズレが生じている。なんと表せばいいのやら、これまではどう足掻いても『思考<身体』であったアクションにおける速度比が、ふとした拍子に逆転するというか捩れるというか……。
考えるよりも先に動いているはずなのに思考が先行して身体が追い付いてきていない、的な? 上手く言葉にできないが、これがなんとも気持ち悪い。
不調、ではない。むしろ思考加速を起動していない平時でも頭に謎の余裕が生まれたりするので、確実にプラスの方へ働いてはいる。
それでも、やはり――
「あぁー……なんなんだかなぁ!」
自分のコントロールを逸して心身の折り合いが付かないというのは、スッキリしないので我慢ならん……ということで、今回も頼むぜ兎どもってな次第。
本当に【螺旋の紅塔】ってダンジョンは、俺のために存在しているかの如く究極的に都合の良いデザインをしていらっしゃる。
街から近くアクセスが容易。フィールド環境ではなくインスタンスダンジョンであるため内部で何度ゲームオーバーになろうがペナルティは無し。それに加えて開始地点から一歩踏み出せば即弾幕開始というノンストレスなリスタート性を備えている上に、金策も並行して行えるまさに夢のような『調整場』だ。
正直、そのうちしれっとなにかしらの調整が入るのではと危惧している。
けれどもまあ、訪れるかもわからないその時までは存分に美味しい思いをさせてもらう所存――あ、そうだ。ここの良いところがもう一点。
基本的に『死』があまりにも一瞬であるため、無限に続くゲームオーバーが精神に来すであろうダメージを最小で済ませられるという所だ。
うむ、やはり神ダンジョン。せいぜい都合よく使わせてもらうとしよう。
◇◆◇◆◇
時間を忘れて殺人兎と戯れている内に日が暮れるなど、最早いつものこと。
三日間数十時間も籠もり続けて初回踏破を達成した頃が既に懐かしいまであるが、あの頃と比べてアバター性能も技術もスタミナも桁違いになっているので今更そう大して疲れたりもしない。
いいとこ、ちょっとジムで汗流してきました程度のことだ。いや現実でジムなんて通ったことなど一度もないので知らんけどさ。
ともあれ、用事で出かけているらしきアーシェと遅ればせ昨日の疲労でダウンしているらしいニアから声が掛かることもなく、こう言ってはなんだが珍しく一人きりの夕食をさらっと済ませた後。
魔術師の如く持ち主の理解を拒むノートと睨めっこするなど悪足掻きめいた自主勉強をこなしつつ、時間を待って再度仮想世界へログインした俺は――
「……………………あの、ですね、お師匠様。現状の俺は、ほんとマジでこういうのはダメというか誠実を体現しなければならない状態のアレでして」
「承知していますよ。ですから、ハル君が誠実に抗った事実は私がしっかりと胸に留めておきます。悪者は譲りませんので、ご心配なく」
「いえあの結果的にというか事実としてこうなってる時点で俺が悪というかですね? 俺としても師と弟子って関係性は男女の微妙なアレコレとかある程度は超越してそこそこの親密さは許されてもいいんじゃないかなーどうなのかなーギリセウトくらいで仕方なし判定を貰えないこともないんじゃないかなと思ったりはするけれどもやっぱ自分的に自分で自分を許せる類のアレではないので可能であれば勘弁していただけないかなぁみたいな……」
「ハル君」
「はい」
「ぎりせうと、とはどういった意味なのでしょう?」
「おおよそ有罪って意味です」
「それでは、私が〝おおよそ有罪〟ですね」
「そんな嬉しそうに微笑まれてもダメなものはダメです誤魔化されませんよ。後生ですから放してくださ――はな、こ、のっ…………STR600オーバー……ッ‼」
現実時間で言えば午後九時頃。いつもより少々早い時間に『お声』が掛かり、お師匠様こと【剣聖】の居宅へと足を運べばものの五分でこの有様だ。
お膝に押し込められるのも、これで何度目になることやら。
なにやらいろいろと淑やかな言葉で飾られていたが、直訳すれば『久しぶりに甘やかすので、そこへなおりなさい』という暴虐に対して木刀を振るい、誓って全力で抗った結果タイムは大体六秒と言ったところ。
一ヶ月前などは何をどう足掻いても五秒と保たなかったことを考えれば成長を感じるが、そういう話じゃないんだよ本当にさぁ……!
「か、刀の手入れは……」
「後程にしましょう。今日は、お話したいことが沢山ありますので」
前髪を梳いた指先に額を撫でられ、ジワリと痺れるような感覚が肌を伝う。
ういさんが俺を『年下の男子』と認識しているのと同じように、俺もまた彼女を『年上の女性』として正しく認識している。それは間違いない。
けれども共通項として、俺たちは互いを異性としては一ミリたりとも意識していない――という事実に気付いたのは、ごく最近のこと。
ういさん側の認識は今更のことではあるので、主な気付きは俺側の認識だ。
出会った頃からしばらくは、そりゃもう滑稽なほど意識しまくっていたように思えたが……ニアやアーシェ、それからソラに向けている感情と見比べたら、な。
尊敬。俺が彼女に抱いている感情は、それが全てだろう。
いつだか囲炉裏に勘繰られた不埒な感情や、ゴッサンに怪しまれたこともある浮ついた感情などは、ありがたいことに一切ない。
口が裂けても言えたことじゃないが、奇跡だと思う。
この温柔敦厚を体現する大和撫子の化身のような御方に、弟子として惜しみない愛を叩き付けられながらも、男として惚れずに此処まで来れたのは。
もし四人だったならという恐ろしい想像を、せずに済んだ。
……いやまあ、そこに関しては、
「まさかと思いますが、今日はずっとこのままってつもりじゃないですよね?」
「あら、ご不満ですか?」
「さっきまでの問答なかったことにするの本当やめてください。ご不満とかご不満じゃないとかそういう問題じゃなくて俺の心情と信条と信用の問題――」
「ふふ……」
「ふふ、じゃなくてぇ……!」
この人から『弟子へ向けての愛』ならざる好意を俺が寄せられる展開など思い浮かべられないので、正真正銘の要らぬ心配。
それこそ在り得ない、奇跡のような『もしも』なんだろうけどさ。
そうだね
そうかな。