コランダム
仮想世界だと妙に気分がノリやすい上、気取った台詞が口を飛び出しがち。
思うにソラも、そんな俺と似たようなアレだったのではないかと思う。
誰にでも礼儀正しく、基本的には慎ましやか。好奇心は強いものの自制は絶やさず、はしゃいでしまった自分に気付けばすぐに頬を染めつつ反省する。
十五歳の少女を評す言葉として正しいかはわからないが、まさしく淑女といった感じ。少なくとも、俺が思い描く『ご令嬢』を体現する存在がソラだった。
戦闘に意欲的で嬉々として前衛を望んだりと、少しばかりやんちゃな点に関しては……まあ、剣と魔法のファンタジー世界ゆえの属性盛りってことでヨシ。
なにが言いたいかといえば――そんなまさしくの少女然とした、大人しく可愛らしく楚々とした〝顔〟は、彼女の一面でしかなかったんだろうなと。
演じる顔とはまた違う、そう在るべくして無意識に纏う自分の一つ。誰もが数限りなく抱え持つ、誰かに見せるため綺麗に整えた外套だ。
さて。それをどこかの誰かさんに当たって砕けろの自爆特攻めいて引っぺがされてしまったソラさんは、一体どうなってしまったのか?
その答えが――――
「…………ソラさん。ソラさん、もう十分以上は経ってるよ。プラス四日分どころか二十日分くらいは延長してますこれ」
「別にいいんですよ、迷惑なら振り解いてくれても」
「ねえそれ系の文言ちょっと封印しようか。『嫌なら』とか『迷惑なら』とか卑怯だって禁止カードだろ勘弁してくださいマジで……!」
これである。
どこぞの藍色娘さえ及びつかない生粋の甘えん坊にして、どこぞのお姫様すら凌駕するわがまま放題のお嬢様。つまりは比類なき俺特効危険物。
かれこれ十分前のこと。ようやく上から退いてくれたかと思えば、ぐいと引き起こされて突き飛ばされて絶妙なコントロールにより身体は寝台へ逆戻り。
ヤバいと危機感が働いた瞬間には時すでに遅し。再び突撃してきたパートナーに抱き着かれ、物の見事に動きを封じられて以降この有様だ。
昨日のアレ――《此方を穿つ廻神矢》の代償によってステータスが封印されているのが致命傷と相成った。
連ねた名が一柱だけだったので封じられたのも一箇所だけだが、それこそ今一番欲しい筋力であったゆえに処置無しと言ったところ。
組まれた状態から0対100では、スキルに頼っても引っくり返すのは難しい。
「ったーく……予想の遥か上を行く『甘えん坊』で『さみしん坊』で『やきもち焼き』で『わがまま娘』だったな。お兄さんビックリだよ」
「そんなの、何度も言いましたから。私、本当は我儘な子ですよって」
言ってたっけかそんなこと……と、過去の『記憶』に目を向けてみるが、いくら完璧に覚えているとはいえ流石に全てを一瞬でローディングなどできやしない。
ついでに言えば、遠慮なく押し付けられる体温やらなにやらで集中して記憶を呼び起こすなんてマジ不可能ちょっと本当にやめてストップストップストップ‼
「そいッ!」
「あっ」
《転身》起動。一回り小さくなった身体で拘束を擦り抜け、次いで起動した《ブレス・モーメント》の謎機動によってサクッと危地を脱出。
トトンと着地しながら振り返ると……わかりやすく頬を膨らませた少女から向けられているのは、理不尽極まる批難の視線。
以前までは見られなかった、真に子供らしいその表情。
家族を除けば、世界でただひとり自分しか見ることのないであろう顔――それが俺の目にどう映るかなんて、甚だ愚問であるがゆえに困るのだ。
俺のパートナーが可愛すぎて死にそう。誰か助けてくれ。
無論、こんな閉鎖空間では誰の助けも望めないゆえに……。
「さーてほらほら散歩にでも行こうか積もる話もあるし見せたい奴もいるし、こんな天気のいい日に引き籠もってるなんて勿体ないぞほら行こうすぐ行こう!」
「天気って、仮想世界の天候はフィールドごとに固定……あ、ま、待ってくださ――もうっ! そうやって結局すぐ逃げるんですから!」
恨めしそうな可愛いフェイスから目を逸らし、有無を言わせず部屋から飛び出せば背中を追いかけてくるのは元気な文句。失敬な、誰も逃げちゃいないぞ。
これは言うなれば、間合いを測るための緊急バックステップだ。
◇◆◇◆◇
さしもの全力全開お嬢様も、俺殺しフルパワー甘えん坊スタイルは二人きりのとき限定だ。人目があるところでは以前と変わらぬソラさん……よりも一歩近い程度で自重してくれるので、今や天下の往来や共用フィールドこそが俺の安全地帯。
あからさまに〝逃げ〟でそっちへ避けると後が怖いが、俺も別に今まで通り引くだけで済ませるつもりはない。相棒として甘えてもらうだけではなく――
男として、お嬢様のリードは心掛けていく所存である。
「――――ふぅわぁあぁああああっ……!!!」
半歩の距離をピタリとくっ付いたまま、街道をスンとお澄まし顔 with ご立腹で歩いていたのは数分前までのこと。
人目が薄れたセーフエリア外の森中で自慢の『僕』をお披露目し、空へと攫えばあっという間にキラキラと目を輝かせ高らかに叫ぶは感動の声。
「凄い、スゴイすごいですっ! ドラゴンです竜です飛んでます!」
「そ、そうな。飛んでるな。ちょっと落ち着――」
「――ハルわかりますか、これが空を飛ぶってことですよ! 武器を蹴るとか宙を踏むとか、そんな変な方法じゃなくて! これが!」
「へ、変な方法……」
ほんの一部ではあるものの、これもまた本当のソラ。慎ましやかな彼女も、好奇心が強い彼女も、時にこうして無邪気にはしゃぎ倒してしまう彼女も、
「んじゃ、これぞようやくの正道空中散歩ってことで……気に入った?」
「はいっ!」
甘やかな瞳で、切なそうな瞳で――そして、どこか満ち足りた瞳で、全て曝け出して真直ぐに甘えてくるようになった彼女も。
全部が本当で、全部が俺の知る、堪らなく可愛らしいパートナー様だ。
「……ところで、あの、さっきこの子を喚び出したときなんですけど」
「ん、と、はいはい?」
白状すればキラッキラの横顔に見惚れていたところ。突然に振り向かれ生じかけた動揺を咄嗟に散らしつつ、迫真のポーカーフェイスで迎え撃つ。
大して速度は出しちゃいないが、上空は風が強いのがデフォルトだ。目について他プレイヤーを騒がせないよう高度を取っているため、吹き荒ぶ風量は結構なもの。
声を張らずとも会話が成立するのは、システムアシスト様々である。
「聞き間違いでなければ、確か【サファイア】って――んぷっ……!?」
ただし突風で髪が流されるのは如何ともしがたく、前に座るソラも後ろに座る俺もそれぞれ金と白の長髪が好き放題に暴れまくり。
自らの横髪で口を遮られたソラに苦笑を零しつつ……いつの間にか伸ばしていた手は、全くもって無意識の行動であった。
「……っ……ぁ」
口元から金糸を掃った片手が頬を撫でて、少女がピクリと身を揺らす。
片や掌の熱と、片や頬の熱。バチッと噛み合った視線をどちらからともなく外して、俺たちは二人同時に無かったことにした。
これもなんとも厄介な点――ソラさん、攻め手は誰かさんや誰かさんと比べても最強まであるが……逆に攻められると、ぶっちぎりの最弱まであるからして。
改めての距離感を掴むのが、そりゃもう本当に大変なんだこれが。
「さ、サファイア。はい、そうです。こやつめの名前でございます」
「そ、そう、ですか。あり、ありがとう、ございました」
よくわからん返しをしながらパッと前に向き直るソラ。けれども風は当然ながら吹き止まず、気ままに靡く髪の隙間からは真っ赤な首筋が丸見えだ。
なにかの拍子に俺から触れることなどあれば御覧の通り秒で撃沈。素直になって攻撃力は爆上がりしたが、防御力は爆下がりした模様――
「……あ、あの、あのですね。実は私もその、調伏に成功していて」
「お、やっぱりか」
気持ちを落ち着けるように深呼吸を二つ、三つとした後。おずおずと彼女が切り出した内容は、俺が半ば予測していた通りのものであった。
インベントリに俺が獲得した分の【星屑の遺石】しか入ってなかったからな。流石に序列持ちと実質序列持ちが組んで戦利品ゼロって可能性も、ルクスが総取りしたってな可能性もないだろうと思っていた。
例えばルクスだけが調伏を成功させており、ソラが『自分には使い道がないから』ってな具合に譲ろうとしても北の一位が頷く可能性は皆無だろう。
アイツは例の〝贈り物〟しかり、貰うだけは好かぬ主義らしいのでね。となれば、ソラの戦利品は既に使用済みと考えるのが自然。
つまり、行き着く答えは――
「いきなり空だと、ビックリするかな……え、と――おいで【ルビィ】」
彼女もまた、遺石を喰む何者かを従えたということ。
呼び掛けと同時、なにかを抱くように重ねられた少女の両腕――その影から、小さな星空が溢れ出した。
俺が見た中で最小の〝鼠〟ほどではないが、ソラの両手に乗る程度の小柄な姿。特徴的な三角耳に、柔らかそうな尻尾を揺らしているそれは……。
「〝狐〟かな」
「そうだと思います。尻尾も、最初は普通に一本だったんですけど……」
主が気にしていた通り、いきなりまさかの大空まっただ中で驚いたのだろう。
ピンと耳を立てて一瞬硬直した後、小動物は慌てて隠れるようにソラのお腹に顔を埋めて――頭隠して尻隠さず。ユラユラと揺れているのは、三本の尻尾。
聞くに、遺石をあげていたら増えたらしい。
「はぇー……妖狐の類、なのかね?」
「あ、まさしくって感じです。魔法が使えるんですよ、この子」
そりゃまた、ソラとは相性が良さそうで……いや本当に、今の彼女には似合い過ぎなくらい似合いな調伏獣だ。纏身体も狐っ娘だしな。
とまあ、それはさておき。
「あー、なんだ。その……俺の方も聞き間違いでなければ、今なんか【ルビィ】って聞こえたような?」
「は、はい。そうです、この子の名前です」
「そ、っかー……」
「はい…………」
「………………」
ルビーとサファイア……ふむ、これはなんというかアレだな?
意図せずゆえの、いっっっっっちばん恥ずかしいタイプの以心伝心だな?
「ま、まあ、そういう偶然もあるってことで……パートナー同士のお揃い感が出ていいんじゃないかな偶然だけども偶然だけに」
「……こ、この子、首元に大きな赤い星が、あってですね」
「ハイ」
「赤くて、キラキラするものを見ると……あの、私どうしても、誰かさんのせいで紅玉が思い浮かぶんです。兎さんに好かれてる、誰かさんのせいで」
「そう、なのかー……」
小狐ばりに、グイグイと。
なにかを求めるように身体を押し付けてくるソラさんの、それこそ宝石に負けず劣らず鮮やかな朱に染まるお顔から視線を避難させる俺を他所に。
プレイヤー組のような羞恥にも、小狐のように驚きにも支配されず気ままな竜は、どこまでも気持ちよさそうに大翼を打ち鳴らしていた。
それだけではないので、こちらも名の『由来』を口に出すのは一旦保留。
が、口に出そうが出すまいが知っている己は誤魔化せない。蒼星を見て思い浮かんだ『青』の片方が、誰かさんの〝空色〟であったというのは……。
どう足掻こうと事実ゆえに、羞恥は不可避であるからして。
蒼に輝く星から咄嗟に連想したのは〝空〟と〝藍〟の青い瞳。
そこから同行者の藍玉に引っ張られて同じく宝石の【蒼玉】に。