ふたつはなれず
「――ということで、近いうち一週間ほど空けるかもっす」
「いいじゃないか。彼女主導ならセキュリティも問題ないだろうし、たまには仮想世界から離れて羽を伸ばしてくるといい」
例によってベルを鳴らしてシェフを召喚する非日常にもすっかり慣れ切ってしまい、当然のように美味を貪る正午ド真ん中のランチ時。
結局『前向きに検討する』と口にしてから爆速で固めてしまった予定を告げれば、向かいで相席しているシェフこと千歳さんは事も無げに頷いてみせる。
四谷としても、アーシェが企画する『旅行』は特に不都合などないらしい。
ゲームクリアなどと大層な依頼を叩き付けてくるわりに、そこらのバイトよりも余程ゆるいというか縛りがなさすぎて此方が不安になってくるほどだ。
「なにこれ、鴨?」
「あぁ、ローストが上手く仕上がってね。試しに挟んでみたけど如何かな?」
「いい店でディナーが食える値段がしそうな味です」
適当にサンドイッチをオーダーしても軽率に高級食材が供される贅沢生活。これも天下の『四谷開発』から齎される報酬の一部と思えばまあ――とはいえ、ドカンと入った初期契約金に止まらず毎月口座残高が増えてんだよなぁ……。
人生なにがあるかわからない。いや、もう、本当に、なにがあるかわからないので思考停止は危ういが、このままでは数年と経たず一般的な国民の生涯年収を稼いでしまいそうで恐ろしい。
税金だのなんだのとメンド……難しいことも全て四谷側がケアしてくれていることもあり、マジで俺はただゲームしてるだけなのが罪悪感すら湧いてくる。
境遇というか精神的な側面から言えば、宝くじが当たった人と大して変わらんのではなかろうか。もちろん嬉しくもあり満たされてもいるが、どうしても「これは本当に現実か?」と行き場のない疑いや不安が消えない――
「それはそうと、春日君」
「んあぃ」
コレもべらぼうに美味いが、パンといえば鉄さん謹製の謎主食が早くも恋しい……などと思いながら大口で齧り付いたところへ、次なる話題が降ってきた。
「旅行でもなんでもしてくれていいけど、一度どこかで時間を取ってもらえるかな。君に喚び出しが掛かってる――あぁ、急ぎじゃないよ」
はて、喚び出しとな。
「本当にいつでも構わないから、四谷本社に顔を出してほしいそうだ。代表の予定と合わせるため、半月後から先で日時を指定してくれるかい?」
「そりゃ構わんですが……えー、と」
仮にもレストランでお行儀は悪いが、男二人のランチで気遣いなどいるまい。鴨サンド片手にスマホを取り出してスケジュールを確認……ふむ。
アーシェの『すぐにでも』って様子から察するに、おそらく旅行は今月中の話だよな? で、本当にいつでもいいと言うなら――
「半月どころか一月後になるけど、来月初週の土曜日とか?」
「全く問題ないよ。それじゃ、その日は空けておいてくれるかい」
「オッケー了解」
了を交わし合い、七月頭のスケジュール帳に予定が一つ刻まれる。『四谷本社出頭』と、世間一般の基準で言えばやべぇスケールの六文字だ。
はてさて、如何様な御用事であらせられるのか――――
◇◆◇◆◇
――と、未来の予定より目先の予定。
昼食を済ませての正午過ぎ=お昼過ぎ。今朝がた受け取ったメッセージも、ある種の喚び出しには違いない。
本日二度目のログインを経てクランルームで目覚めれば、起床アクションのルーティーンは今朝より一つ多く四回転半。右腕の操作権が回復したこともあって、調子の戻りようは順調だ――もう一方の代償も、危惧したほど重くはなかったのでね。
「さぁて……」
身体は軽いが心の方はそうもいかない。『気が重い』なんて失礼極まりないことを言うつもりは流石にないが、正直なところ随分前から恐々とはしている。
これに関しては、もうぶっちゃけ致し方のないことだ。
俺を喚び出した相手、約束をした相手、これから顔を合わせる相手は――
他でもない俺自身が覚醒させてしまった、無敵のパートナー様であるからして。
コツコツと、控えめに部屋の扉が叩かれる。
クランルームの個室は謎材質の効果か次元的なアレコレがあるのか、百パーセント防音かつ気配も遮断する完璧なパーソナルエリア。
唯一中と外を繋ぐノックの音はらしい慎ましやかなものであったが、スタンスを新たにした〝彼女〟と既に数日ほど付き合っている俺は理解している。
この薄壁一枚を取っ払ったら、一体なにが起こるのかをな。
しからば、覚悟を一つ――
扉を開けた瞬間。視界一杯に、眩い金色が広がった。
「―――わぅっ!?」
「―――おっごァッ!?」
目測を見誤ったのか、はたまた勢いを付け過ぎて制御不能になったのか。額で顎を強かに打ち抜かれた俺は、派手に床へ転がり昏倒する。
視界に在るのは、ステータスバー下部に点灯する強制硬直アイコン。
そして、赤くなった額を押さえる涙目の美少女が一人。
「……前にも、やったぞ、これ」
「ご、ごめんなさ……!」
痛覚のないアルカディアでは、驚きや衝撃こそがなによりのダメージになり得るもの。自ら突っ込んできたという事実は置いとくとして、感情表現がオーバー気味な仮想世界が少女の瞳に雫を描いたのも自然なことだ。
で、物の見事にスコーンどころかドゴーンと顎を打たれた俺がデバフを叩き付けられるのも当然の流れ――ッハハ、本当に成長したなこやつめ。
懐かしいあの日よりも、確実にスタンの時間が長かったぞ。
そんで、さぁ。
「いつだったかは、慌てて心配してくれたんだけどなぁ」
「……そのくらい、平気です。心配なんていりません」
「いっそ清々しいまでの開き直り……」
「知りません、悪いのはそっちなんですから」
「そ、それは流石に異議あ――」
「ナシです。黙ってください」
「えぇー…………」
跳ね飛ばした俺をクッション代わりに押し倒し、上から退こうとしない少女は可愛いお顔と声音でもって情け無用の暴虐の限り。
なんかもう、傍から聞けばトンデモねぇ一方的な言葉攻めだが――
「………………三十秒、もう経ったぞ。今日の分はおしまい」
「……会えなかった四日分、まだ残ってますもん」
傍から見れば、甘えている以外のなにものでもないことは明々白々。
容赦なく首元にぎゅうと回された華奢な両腕を、口では「おしまい」と言いつつ俺が無心で払い除けられないことも……まあ、流石に致し方なしということで。
「思ったより、長く感じました」
「……そっちは、楽しめなかったか?」
「三日目まで……ルクスさんが偶然見つけた〝巣穴〟に突撃するまでは、のんびり旅行みたいで楽しかったです。追いかけたら酷い目に遭いました」
「なるほど。フルで楽しめたようでなにより」
抗議するように胸へ打ち付けられる額に、先程のような勢いはなく。籠められているのも、力ではない。
「こっちもいろいろあったぞ。土産話の交換会で一日二日は消えるかもな」
「堂々とデートの自慢をされて、私はどんな顔をすればいいんでしょう」
「あー……語らない方がよければ、そのように」
「秘密にするなんて許しませんからね。どんなことしたんです、ニアさんと」
「どうすりゃいいの……――あーあーはいはい、お嬢様の御随意に」
首に回した手を解き、不満を訴えるように俺の両頬を思い切り引っ張りながら少女は身体を持ち上げる。
怒りが二割、他が八割といった様子で可憐に頬を染めた彼女は、なにより輝く琥珀色の瞳で真っ直ぐに俺を見つめて――
「……会いたかったです、ハル」
「俺もだよ、ソラ」
もう熱を隠さず、ただただ嬉しそうに微笑んでいた。
アルカディア一周年です。
広がり続ける物語と、ハルとソラの出逢いに心からの『ありがとう』を。
仮想世界の内と外、そのまた『外』からご声援いただける皆様へ、
自由に紡がれる物語の語り部として、尽きせぬ感謝をお伝えします。
これから先、まだまだ続く御伽噺を、どうぞご期待くださいませ。