お誘いは突然に
「――――海に行きましょう」
イベントから一夜明けての朝七時。
早くから部屋を訪ねて来た『お姫様』が開口一番に放った言葉に、俺はたっぷり五秒ほど思考を止めフリーズしていた。
主観にて四日ぶりに目にする眩いばかりの美貌に眼球を焼かれつつ、その口から放たれた甘やかな声音が形作った言葉の意味を寝惚け頭で噛み砕く。
昨日はニアを帰してから速攻で寝たので、睡眠時間はしっかり八時間弱。しかし目覚めが五分前ということもあって、中々に頭が仕事をしてくれない。
前日の一時間三泊四日分の疲れもあるだろう。仮想世界での目覚めとは比較にならないスロースタートの思考を一生懸命に回した末――
「…………ごめん俺、海洋恐怖症なんだ」
口から出たのは、まさしく寝惚けた答えであった。
◇◆◇◆◇
「―――ほほう、別荘」
「そう、街外れの海沿いに。プライベートビーチもある」
「ええと……俺、海ってか水場はちょっと苦手というか」
「まだ本格的に暑くなっていないから、そもそも快適に泳げるような水温じゃない。単に旅行と思ってくれていい」
「あぁ、まあそれなら――じゃなくてだな」
前触れもなにもなしに、唐突が過ぎる。
初のワールドイベントを終えて、すぐにでもアーシェなりゴッサンなりから召集が掛かるだろうことは想定していた。イベントに関しての情報共有は勿論、保留にしていた転移システム拡張の件など話すべきことは山程あるはずだから。
そのため彼女が朝一番に訪ねて来たこと自体には驚かなかったが、続く思いもよらぬ開口一番には見事フリーズさせられたという訳だ。
ご本人様は慣れ切った様子で俺の供した珈琲を楽しんでいらっしゃるが、こちらの頭の中は戸惑いとハテナで埋め尽くされている。
「な、なんでというか、どうした突然?」
「旅行に行こうなんて、いつ言っても『突然』になると思うけれど」
「それはそう――いや、そういうことじゃなくて。いろんな意味でそんなことしてる場合か、みたいな……待て待て曇るな。行きたくないって言ってる訳じゃない」
無表情なりに、決して無感情ではないというのは今更の話。
肯定を避けて疑問ばかりを呈す俺に、アーシェが薄っっっっっすらションボリし始めたのを察して咄嗟のフォローを差し込んでおく。
表情が人より薄いだけで、実は人一倍に感情豊かなお姫様であるゆえに。
「いきなりで頭が追い付いてないんだよ。心配しなくても前向きに聞くから、何故とか諸々一個ずつ教えてくれ。オーケー?」
「……ん、オーケー」
ある程度の表情が読めるようになってから、優位に立つどころか余計に弱くなっている気がしないでもない今日この頃である。
どいつもこいつも、女子ってのは無限にズルい。
「んじゃ、とりあえずまあ……〝何故〟からいこうか。さっきの繰り返しだけど、突然どうしたんだ?」
まずはジャブから――そう思い初めに〝何故〟からいった俺は、未だに寝惚けていたのだと言わざるを得ないだろう。
「ニアが羨ましい」
「ん、ぐふっ……」
「私も、あなたとお泊りしたい」
ちょっとでもいつも通りに頭が回っていれば、剛速球で放たれたドストレートな回答も予想できて然るべきだったから。
暢気に珈琲を口に含んでいる場合ではなかった。
「こほっ……嫉妬はしてない、とか言ってなかったっけ?」
「そんなこと言ってない。私は『ニアならいい』と言って文句を口にしなかっただけ。羨ましいと思っていたし、やきもちだって焼いてた」
「そ、そう、ですか……」
ソラやニアで例えれば、見事な膨れっ面と言って差し支えない無表情っぷりである。そもそも致死性素直爆弾である彼女の言葉は全て本心なのはわかりきったことだが、そこに表情が加わるとこれが大層な破壊力。
世間では『硝子のような静謐さ』だとか『薄氷のような美しさ』だとか称えられているが、時間を共にするほど俺の中からはそう言ったイメージが薄れていく。
こいつ、本当に、ただただ可愛いだけなんだよな――と。
もちろん格好良いとか綺麗とかすげぇとか、かの【剣ノ女王】に対する畏敬の念は尽きないが……それは、それとしてさ。
「つ、次いこうか……ええと、そんな暇あるのかって話に」
純粋核弾頭を真向から受け止め続けては蒸発あるのみ。向き合い続けるためにも時には受け流すのが肝要ということで、サラリと流してネクストクエスチョン。
受け流せていないとか、掠っただけでもゴッソリ持っていかれたとか、その辺の事実こそ見て見ぬフリして受け流していこう。
「時間ならある。というより、出来た。具体的には、次の『色持ち』攻略――対『緑繋』は三ヶ月先まで延期する」
「ほう?」
おそらくは真面目な話にシフトしたのだろう。表情を改めて向き直れば、アーシェもまた南陣営の代表としての顔に切り替えて要点を語った。
まず始め。今回のイベントで解放された〝調伏獣〟が『緑繋』攻略に革命的な恩恵をもたらす可能性が極めて高いため、有用な【星屑獣】の確保や育成に時間を取るのがベターだという結論が出たらしい。
その結論は一体いつどこで出たんだと問えば、本日早朝から開かれた南陣営首脳陣会議の席で出たとのこと。朝五時から集合したんだってさ。
これは南の意識が高いと賞賛すべきなのか、事前の約束もなければイベント後の招集もなかった東陣営が緩いと見るべきなのか……ともあれ、そういうこと。
案の定というか、ワールドイベント【星空の棲まう楽園】は半不定期という形で恒常化した。ログアウトの際おそらく全プレイヤーに追加告知が入ったものと思われるが、ほぼ一定周期で『鏡面の空界』が解放されるとのお達しである。
肝心の周期は約二ヶ月毎。結構な高頻度と驚くべきか否かといった具合だが……これを前提に考えると、やはり俺たちのグループは生き急ぎ過ぎたのだろう。
本来ならば複数回のイベント開催を跨ぎ、段階を経てステージを進める想定だったんじゃないかね。知らんけど。
さておき、そう言った理由で二ヶ月後――八月頭の第二回を待つべきという判断だろう。切れ者揃い……というよりは、かの『女王様』が仕切る南の集会場で掲げられた指針。信頼をもって、まず間違いなく各陣営も賛同するだろうな。
で、八月の頭まで辿り着くとなれば――
「次の四柱があるから、自動的に動けるのは九月になるか」
「そういうこと。リベンジが楽しみ」
いや、だから別に俺は勝ってないんだよなぁ……。
「弱音とかではなく冷静な判断の下に断言させてもらうけど……初めから全力全開テンションMAXで来られた場合、俺の勝率はゼロだと思うぞ」
「ふふ」
「いや、ふふじゃなくて……まあいいや」
未来の恐るべき『リベンジ』は今しばらく忘れることとして、ともかく二ヶ月ほどの暇……と言っていいかはわからないが、時間が出来たという訳だ。
「大体わかった。俺は変わらず自己強化に励むべきだとは思うけど……ま、そういうことなら少し遊びに行くくらい構わないか」
「うん。一週間くらいなら、仮想世界を留守にしても平気」
「一週間も行くつもりなの???」
ツッコミにクスリと微笑みを返されるも、果たして冗談だったのか否かは不明。いや別に不都合はな――いわけねえわ。俺、現役の大学生。
「あの、アーシェさん。俺ちょっと大学があるから、あまり長期は……」
「アルカディアの序列持ちなら、出席の融通はいくらでも効くはず」
「おいちょっと待てまさかの強行突破か」
これまでの大学側の動き……というか、理事長様こと九里さんの対応を鑑みるにアーシェの言っていることこそマジなのがなんというかこう凄い闇。
いや序列持ちを現役プロスポーツ選手と同義かそれ以上であると考えれば『そういうもん』なのかもしれないが、どうしても俺の中では〝娯楽〟だからなぁ……。
しかも、旅行となれば本当にただ遊びに行くだけだ。建前も何もあったもんじゃない、完全無欠のズル休みである。
「……真面目なのは、とても良いこと。偉い」
「偉くはないと思うなぁ……なんだかんだ休みまくってるし、勉強にも全く付いていけてないし……」
なにが怖いって、このままズルズルなあなあで卒業してしまいそうなのが怖い。それで気が済むのなら、初めから大学に残るって選択は取ってねえんだわ。
「なら、こうしましょう」
とはいえ別に断るつもりなど毛頭なく、せめて土日の短期旅行にしてくれないかと提案及び交渉を行うつもりだった。
が、俺の返答がネガティブなものになると思ったのか……はたまた、どうしてもゆったりした日程が望ましかったのか――
「旅行中、私があなたの臨時講師になって勉強を教える」
「はい?」
アーシェの口から飛び出た思いもよらぬ『こうしましょう』に、思わず素っ頓狂な声を返すもお姫様は大マジの無表情。
「勉強に付いていけてないなら、そのまま適当に大学へ通っても意味は無い」
「ぐっふ……ッ」
そして唐突に真向から胸を刺され、致命傷を負う。俺を非日常の道へ引きずり込もうとした張本人からのド正論パンチが重過ぎてビックリした。
「だから、追い付いて復帰するための合宿とでも思ってくれたらいい」
「いや、いやいや、いやいやいや待て待て。それっぽいこと言ってるけど、そもそもアーシェが俺に勉強を教えるってのが」
『可能なのか』と口に仕掛けて、次の瞬間『可能なんじゃね?』と思ってしまった自分自身に再びビックリ。いやだって、なんの根拠もなくただ彼女が人一倍賢いところを知っている程度でそんなアホなこと――――
「教員免許を持っているわけではないけれど、大学一年生に勉強を教えるくらいは問題ないと思う。少なくとも一般的な大学生が卒業までに学ぶことなら、特別専門的な分野でもない限り各系統は頭に入ってるから」
人一倍、賢いところを、知っている、程度、で………………。
「え、と……失礼ですが、おいくつでしたっけ?」
「十九歳」
「俺、十八歳で大学一年生なんだけど……」
「そうね。でも私は、大学なら四年前に卒業してる」
「……、…………」
それってつまり飛び級で入学したのは何歳だったのかとか、いったいどこの大学を卒業したのかとか、果たしてどこの国の大学なのかとか、聞きたいような聞くのが怖いようなアレコレはとりあえず呑み込み――
――――およそ十分後。
「………………ちょ……っと、極めて前向きに検討させてもらっていいか?」
「ん。いい返事を期待してる」
大学の鞄から引っ張り出してきたノートの疑問点を初見で悉く懇切丁寧に解説してみせたアーシェに、俺はただただ畏敬の目を向けるのみであった。
誰だよ『ただただ可愛いだけ』とか評した馬鹿は。
頭が高いぞ間抜け、アリシア・ホワイト先生と称して崇め奉れ。
ということでアリシア・ホワイト先生も活躍する四章第二節です。
張り切って参りましょう。