段々相互通行
時間にすれば、十分程度だろうか。
ソラにも話した過去のあらましを語り終えれば、やはり湧いてくる感想は「こんなものか」と言ったところ。
自分では何年も前に割り切っていた事柄とはいえ……いつだか千歳さんに威嚇したように、他人に触れさせるのは抵抗があったはずなんだけどな。
まあ、相手によるということか。
ニアが俺に似たようなことを言ってくれたように――俺もまた、思った以上に彼女を深く懐へ入れてしまっているということだろう。
それはなんというか、そうだな。
素直に喜ばしいと、思える………………の、だが、
「あの、あのですね……そういう訳で、俺のスタンスはそこそこ伝わったかなと思う次第なんですが」
「…………」
「あの、ニアちゃん? ニア? ニアさん? え、寝た?」
「……っ」
「よかった起きてた。いやよくない、おいちょ、はな、離れてくれ離れろ現実は意外と力強いなお前……っ!」
物理的に懐へ入ってくるのは今しばらく勘弁してくれと宣う理由を、懇切丁寧に朗々と語ったばかりである。
それがどうしたことか、いつの間にやらソファに押し倒されている現状。いや本当に、マジで心の底から大変によろしくない――
……ダメだ無理。譲歩してでもコレは脱しなければ俺が保たん。
「ニアさん、くっ付いてもいいから少し手加減してくれ頼む。ある程度はそっちのリクエストにも応えるから平にご容赦を何卒いや本気で……」
なにを要求されるにしても、この体勢よりはマシだろう。そう考えての二千歩譲った提案だったが、どうも『リクエストに応える』の辺りが決め手だったらしくピクリとニアは反応を示して――――
「……………………これはこれでマズ……いやハイ構いません大丈夫です」
二言を問うようにグリグリ押し付けられる背中の熱から必死に意識を逸らしつつ、腿から先に伝わる細っこい脚の感触から必死に意識を逸らしつつ、腰に回すよう強制された両の腕からは感覚という感覚を消去。
消去できない、助けてくれ。
すっぽりと膝の間に納まったニアはご満悦……という雰囲気でもないが、オーダーを実現させて不満ということもないだろう。
それにしたって二の腕サワサワするのはちょっとやめてもらっていいですかね身体よりもなんというかもう心がくすぐったいというか俺いま体温測ったら平熱プラス2℃くらいあるんじゃないかと――
『ねえ』
「ハイ」
俺の膝に乗っけたメモ帳にカリカリと綴られた呼び掛けへ反射的に言葉を返せば、彼女はペンを迷わせながら少しずつ文字を連ねていく。
『ありがと、きかせてくれて』
「まあ、必要なことだから」
『そうかな。別に、ひみつにしててもいいことだとは思うよ』
「俺が話したいから、必要なことって意味だぞ」
『話したかったの?』
「そう」
手が止まり、言葉が途切れる。待つべきか少しだけ考えてから、口を開いた。
「保身の意味もある。俺はそんなこんなでちょっとばかり考え方が歪んでるかもしれないから、グダグダやるのも大目に見てほしいって言い訳みたいな部分は……まあ、間違いなくあるよ――続くから、落ち着け」
自分を笑いものにするような物言いをすれば、叱られるだろうというのはわかっていた。ゆえに、叱られるためだけにネガティブなことを口に出したりはしない。
腿を抓ろうとした手を捕まえて――迷ったが、離さないままで。
「あとは、まあこれも保身といえば保身なんだけどさ。というかこっちの方が百倍ダサい、言っちゃなんだが頑張ってるアピールだ」
振り向いた瞳が近くて、息が詰まる。けれども目は逸らさぬように堪えて、責任を持って吐き出すべき傲慢を口にする。
「出来事自体は吹っ切ってるとはいえ、怖いものは怖いよ。それは残ってるし、多分だけど完全には消えない――でも、だからこそ本気は示せるだろ」
「…………」
「トラウマは蹴っ飛ばす。逃げないし目は逸らさない。向き合うフリもナシだ」
顔が死ぬほど熱いが、頑張れ。
せめてバチッと言い切らなきゃ、格好いいとこなんて一つもない。
「絶対に適当にはしない。誰にも、俺を好きになってくれたこと後悔させない」
少なくとも、そのくらいの意気込みはあるってことだ。いつか答えを出すときが来ても、全員から『心を寄せる価値』があったと思ってもらえるように。
俺の全部で向き合って見せるという、当たって砕けろの意思表明。
「…………とまあ、そんな感じで俺も必死だ。なにが言いたいかってぇと――」
意識せず、手に力が籠もる。好き勝手に言葉を吐き出し続ける俺に対してなにを思っているのか、ジッと向けられる瞳を見返しながら。
こんなこっぱずかしいこと、一体どんな表情で口にすればいいのやらと途方に暮れる内心は包み隠して……口の端を持ち上げ、強がりの笑みを貼り付けた。
「多分だけど、俺がぶっちぎりで重い。そこんとこ勘違いしない方がいいぞ」
つまるところ、難儀で難解で面倒で重たい厄介物件ということだ。
弱みや短所は見せとかなければフェアじゃない。つまり、そこを見せるということはフェアを望んでいる=本気の顕れに他ならない、と思う。
というのを、丸ごと伝えるために――
「話したかったというわけだ。ご理解いただけたかな?」
流石に限界、これ以上は見つめられても変な顔しか御覧に入れられない。困ったときのクッションで視線を遮って、火照った顔を冷まさせてもらうとしよう。
さてニアちゃんはどんな反応をするのやら……と、そのまま構えてはいたものの。意外や静かというか膝の上で大人しくしていた――のは、十数秒ほどばかり。
再びカリカリと音が聞こえたかと思えば、遠慮がちに膝を叩かれる。
そろりとガードの端から様子を窺えば、こちらに向けられているのはフワフワロングの後ろ姿。ペンはテーブルに放られており、空いている片手にはメモ帳に綴られた言葉が一つ――もう片方の手は、強く俺の手を握って離さない。
クッションを放り出して、これまでになく小さな文字を覗き込んだ。
『私のことも、話そっか』
どういった思考の流れでニアがそれを書いたのか、わからない。
俺が自分のことを話したから、お返しにということなのか。もしくは、自分が一番重いと言った俺の言葉に否を唱えるためなのか。
わからないけれど、ただ一つわかる気がするのは。
「また今度でいいよ」
「……、…………」
理性の危機に瀕して可及的速やかにスタンスを告げておきたかった俺とは違い、おそらくニアのそれは今でなくてはならない事柄ではないということ。
勝手に自語りを叩き付けた俺に引き摺られるように、話すべきではないだろうということ。勿論、ニアが話したいというなら謹んで聞かせていただくけどな。
「デリケートな問題だと思う。だからこそ、とりあえず直球で一つだけ聞かせてくれ――それは、俺が気にしたほうがいい問題か?」
人によっては、とんでもねえ物言いだと非難されるかもしれない言葉。だからこそ、今この場でニアと二人きりゆえ口にした。
以前に三枝さんと話したとき、似たような流れで俺が彼女に返した言葉は全てがそっくり本心だ。俺は別段、ニアが『声』を失っていることに興味が無い。
正確には、あまり気にする必要がないと思っている。
なぜならば、
「お前って仮想世界でも現実世界でも全然変わらないだろ。いつも賑やかで、いつも騒がしくて、いつも俺を振り回す……最後のは、お互い様かもしれんが」
声があってもなくても、正直言って変わらない。
「だから俺、言っちゃなんだが現実で特にお前を気遣ったことないぞ。いや勿論、困ったことがあれば頼ってくれていいし、なにかあればフォローはするけどな?」
こちらの世界で出会って以降も……白状するが、出会ってからはより一層。
「そういう訳で、むしろ気にした方がいいってんなら改めるから言ってくれ……という感じなんだが、そこんとこ如何かなと」
不利など気にする余地のない――ただただ魅力的な女の子でしかないのだから。
そして加えるならば、ここまで堂々と言いたい放題を宣えるのは単に、
「――………………っ、っ! っ!」
「お、なんだその頭突きはなんの意思表示だやめっ、おま、ぐふっ、オイこら現実の俺は向こうよりも紙耐久なんだぞ暴力反た――鳩尾……ッ!」
これまでの付き合いを通して、彼女が望むであろう接し方くらいは……まあ、それなりに自信を持ってこれだと言えるようになったから。
自覚してほしいね、本当にさ。
そんなことを、当たり前に察せてしまえるくらい、
俺の方こそ、少なからず誰かさんに目を奪われているということを。
そんなのどうでもいいくらい魅力的ってこと。
といったところで四章第一節、これにて了といたします。