デートの尻尾
「――――おっぐぅヴぇぁッ……」
目を覚ました瞬間、身体に襲い掛かったのは過去類を見ないレベルの甚大な違和感。幻感疲労とはまた違う、恐ろしいまでに低スペックな現実の肉体スペックから生じる激烈なギャップを原因とした不調感。
クッッッッッッッッッッソしんどい。
【Arcadia】に対する信頼なくしては病院駆け込み待ったナシといったところだ。初期の頃にかかっていた仮想酔いを何倍にも強くした感じだが――
「…………で、一時間しか経ってないってマジ?」
主観からすれば、現在は三日前のイベント開始時刻から一時間後。
筐体カバーのホロディスプレイに表示されているデジタルクロックは、丁度22:00を刻んでいる……と、本格的に頭がバグりそう。
事前に知らされて呑み込んでいた情報ではあるものの、実際に己が身でその無茶苦茶を体験するとインパクトがデカすぎて笑えてくる。
いよいよもって、リアルファンタジーを隠さなくなってきたなと。
「今更か……よっ、と」
身動ぎを検知した筐体がカバーを開き、シートが背中を持ち上げるのを待たずして機械仕掛けの寝台を出る。多少フラつくし眩暈もするし多少なり吐き気がしないこともないが、通説としてこの症状の緩和には『身体を動かす』ことが一番。
仮想体とのスペック齟齬で脳が混乱しているのが原因だからな。無理にでも動いて、感覚を慣らしてやるのが手っ取り早いのだ。
なお、すっ転ぶなりで怪我する可能性もあるため無理は禁物――ま、階段上り下りとか危ないことしなけりゃ大丈夫さ。
ともあれ、茶でも飲んで寝るとしよう。
アナウンスされたログイン制限とやらも、暗にシステムから『休め』と言われているのだろう。仮想脳が負荷を引き受けてくれるとはいえ、現実の頭にも三泊四日の記憶が反映されている以上なんらかの疲労は溜まっているはずだ。
無理は厳禁。常識人……かどうかは一部怪しいが、理性ある知人連中も今夜は大人しくしていると思われる。感想会や情報交換はまた後日――
……の、つもりだったんだけどなぁ?
「さぁて、どっちだ」
冷蔵庫を開けようとしたタイミング。響き渡った来客の報せに動きを止めて、訪れた誰かさんを予想する。
ニア――ではないだろう。地獄の遺石回収作業の後『またな』と『おやすみ』を交換して別れたので、数分と経たずにチャイムを鳴らしに来るのは不自然だ。
ので、択はどうせイベントを走り切った直後だろうと元気一杯なのであろうアーシェか、なにかしらの連絡を持ってきた千歳さんの二つに絞られる。
……と、思ってたんだけどなぁ?
端末に映った人影の髪は黒ではなく、未だ見慣れたとは言い難いキャラメルブロンドのふわふわロング。映像越しにも伝わってくる酷くソワソワした様子が気になり、通話の手間を飛ばして玄関へ直行。
鍵を回して、ドアを開け、見えた顔に「どうした?」と声を掛けるべく――
「――――は、え、なんっ……?」
口を開くその前に、飛び込んできた身体に思考が止まる。
より正確には、その体温の近さに。俺も頭が回っていなかったというか、ドアホンに映った時点で気付けよという話だが……。
「ちょちょちょ待て待て待て待ておま服っ! 服着ろ――いや着てるけど薄い薄いなんて格好で出歩いてんだシャツ一枚はあかんだろ!?」
熱が近い。肌が近い。こちらもこちらで初夏ゆえの薄着ということもあって、もう全面的にあらゆる意味で大変によろしくない。
加えて、どういったつもりか即座の説明を求めたいというのにスマホを持っているように見受けられない。ぶかぶかでワンピース状態になっているデカTにはポケットなども無さそうなため、完全に手ぶらだろう。
なにしてんのコイツ、大事な『声』を忘れてくんなよ。
えぇい仕方なし……ッ!
「っ……、…………ふぅうううう……!」
鋼の意志で熱に浮きかける思考を叩き伏せ、遠慮無しに抱き着いてくるニアに押し倒されないよう踏ん張りつつ肩に両手を掛ける。
なにこれ細っこい――じゃなくてだなぁ‼
「端的にYESかNOで答えてくれ。ド直球で聞かせてもらうけど全面的にお前のせいだから俺は謝らんぞ――――これ夜這いじゃないよね?」
その瞬間、彼女はピタリと数秒停止。これ以上ない明確な緊張感の下、俺もまた身を固めて答えを待っていると……振られた首は、横に。
ハイ、よし、オーケー。突然の危機は脱した――とは言い難いが、とりあえずのところ前触れなしに血迷った訳ではない模様。
なにを考えての行動なのかはサッパリだけどな。ともあれコレを維持する訳にはいかないので、とりあえずでもなんでも状況を動かさねば。
今日のところは帰りなさい――は、通じないんだろうな知らんけど。
ならもう本当に仕方ない、こうしよう。
「…………三十分……や、一時間だけ、延長を認めよう」
引っ付いている〝相方〟の身体をほんの少し引き寄せて、足を引っかけられて半開きになっていたドアを閉める。
改めて見れば、ダボTワンピースにスニーカー姿は見ようによってはパンクファッションの亜種に見えなくもな……くもないわ。それもう完全に寝間着だろ、流石に下は着てるものと信じさせてくれよ?
さておき、俺の言動に顔を上げた彼女は緑色の瞳を意外そうにパチパチと瞬かせた。自分が非常識なことをしているという自覚はあるらしい。
大変結構。そのまま最低限の理性は維持しておいてくれよ。
テイクバック。