信を零さず
「――ニア」
「わかんない。まだ少し距離はある、と思うけど……」
森から噴き上がった気配の密は、俺でもわかるほどに明確なものだった。
であれば戦闘系プレイヤーが持つ上位スキルと比べれば頼りない性能とて、感知スキルを持つニアも気付かないはずはなく。
パッと膝から身を起こした彼女に問えば、返ってくるのは曖昧な答え。索敵距離はそれなりであるものの、数が多いと諸々の精度が極端に落ちるのだとか。
イベント序盤で猿の大群に襲撃された折、反応が今一だったのはそれが理由。つまりは――そういう可能性が、高いと見ていいだろう。
「オーケー、皆を起こそう」
ニアを抱き上げて屋根から飛び降り、それぞれ一目散に男女別の宿舎へダッシュ。スイング式のドアから中へ飛び込み、まだ間仕切りもないだだっ広い空間にて思い思いの体勢で休息を取っていた面々へ――
「 オ ラ 起 き ろ ぉ お お オ ッ ! ! ! 」
叫べば、響き渡ったのは当然ながら女子の声。
大多数の者が盛大に身体を跳ねさせ飛び起きて……寝惚けて混乱した少数の者たちは、まだ見慣れぬ美少女の姿にひどく動揺した様子で狼狽していた。
『白座』討滅戦のレイド同様――とまでは流石に行かなかったが、それでも中々の速度で〝戦列〟は整った。
三十六名マイナス職人三名、計三十三名のほぼフルレイドパーティ。森を切り拓いて構築した拠点は面積的にはそう大したものでもないので、部隊分けをした上で全周囲に防衛線を築くことに無理はない。
敢えて不安な点を挙げるとするなら、俺がアルカディアの『一般戦闘員』の戦力基準を正しく把握できていないだろうことだが……。
反して、森の奥から漂ってくる気配を待ち構えている彼らの表情には、良い意味で緊張の色が薄いように見える。
それはひとえに――
「信頼が重いなぁ……」
「あははー、なにを仰いますやら。四柱戦争や『色持ち』レイドと比べれば、お茶の子さいさいでしょうに」
「皆、別に気を抜いている訳じゃないだろう」
ということで――いや、理解も納得もしてはいるんだけどな。
これまでの戦場では、なんだかんだ俺より〝上〟の人間が何人もいた。それゆえ、事実として……その、なんだ。
自分が一番強い戦場ってのは初なもんで、どんな顔して構えてりゃいいのか感情が迷子。こんなこと言うと嫌がられるかもしれないが、やっぱお姫様はすげえよ。
――さて、といったところで。
「あっ、ざわざわ来た」
「そろそろっぽいですねぇ」
「準備期間を与えてくれる辺り、やはり基本設定は大衆向け……なんだろうな」
やはり感知系のスキルは大抵の者が持っているらしく、なにかにピンときた様子の職人三人が一様に森を見つめて目を眇めている。
ニアたちには屋根の上から全体を監視してもらい、もし〝穴〟が出来そうなタイミングで俺が気付いていない場合はメッセージを送る役目を担ってもらう。
当然、豆腐ハウスの屋根上には防壁もなにもないフルオープン状態。なにが来るのかは知る由もないが、もし流れ弾その他の未確認飛行物体が飛来した場合……
ま、なにも問題はないな。なんだろうが、この手で落とせばいいだけだ。
地響き……というほどではないが、森の奥から騒音と共にいくつもの気配が近付いてくるのを感じる。感知スキルなしの俺が読み取れるということは、もうすぐそこまで迫っているのだろう。
そしたらば、俺も恥を晒さない程度に気張るとしましょうかねぇ。
「転身体でいくの?」
「あぁ、徐々に戦闘挙動も慣らさないといけないからな」
「そっか。…………え、えと、気を付けて……頑張って、ね」
あっちで行くかこっちで行くか……しばし迷った末に兎短刀を抜いた俺を見て、ぎこちないエールを送ってくれる相方殿。
これまで本人も何度か口にしていたが、職人一筋であるニアにはガチの戦場など縁遠いものなんだろう。少々の緊張を隠せていない彼女に振り返り、
「まあ、なんだ。気楽に観戦してろよ。なにが来るかは知らないけど――」
ニッと笑って、ひょいと後ろへ跳ぶ。
「鼠一匹、通さねえから」
有象無象など、いくら来ようが無問題。
男衆共々、一切合切を防衛線の外で撃ち落としてくれようぞ。
◇◆◇◆◇
「…………」
行く先を見もせず、階段を下りるくらいのノリで屋根から飛び降りて行った相方。グワングワン頭の中でリフレインする気取った声音と、子供っぽい笑顔に、
「……まあ、アレは仕方ないな。男の俺でも理解できる」
「本当にいるんだねぇ、あんな男の子。ねぇ~?」
「――…………っもう、うるさいうるさーい」
出会ってから、もう何度目か。
またしても『やられてしまった』藍色は、参ったように――グニャグニャになった頬を捏ねながら、力なく文句を返すのが精一杯だった。
◇◆◇◆◇
「さて……」
落下しながら身を捻って周囲を見渡し、目に映った光景を全て記憶する。
拠点にいくつか設置した篝火頼りの光源に乏しい暗中ではあるが、仮想世界のアバターの目であればその程度でも十二分だ。
切り拓いた広場から森に少し入った位置でスタンバイしている防衛陣。そんな彼らの更に奥、既にその姿が闇から滲み出しているのが見て取れる。
予想通りの、地を往く星空――【星屑獣】の群れ。
ざっと見ただけでも三種類。先に俺が相手取った〝猿〟の他に、大型犬程度のサイズの……おそらくは〝狼〟と、身の丈三メートルを超える巨体の〝猪〟だ。
大群と言うほどではない――と思ってしまうのは、俺の中で群れの基準が例の『赤』になってしまっているから、だろうか。
少なくともこちらの人数を優に上回ってはいる。実際に攻め込んで来ている姿を見てもなお脅威は感じないが、舐めてかかるつもりもない。
しからば、まずフォローに入るべきは――ここ、かな。
《空翔》は必要なし、ヒーラーがたったの三人しかいないという事実も相まっていたずらにHPを消耗するべきではない。着地と同時、素の脚力で地を蹴った。
感覚が麻痺しているが、AGI:230とて一般的な高速戦士をやや上回る数値である。そこに《兎乱闊躯》を始め俺が保持する敏捷系スキルが上乗せされれば、
「――ほ、っと」
「うおビックリしたぁ!?」
疾く駆け付け――狼に翻弄されているメンバーに奇襲を仕掛けようと頭上から飛び掛かった猿を、二重の意味でカットするなど容易いこと。
フォローする相手をも余計に驚かせてしまったようだが、隙アリとばかり攻勢の気配を見せた狼も足元小兎刀で牽制済みだ。許されよ。
「どうです? コイツらの強さ、皆さん的には」
「う、っと……数が多いんで無傷完勝とはいかないだろうけど、大したことはないっすね! 囲まれても早々事故ったりはしないかと!」
真正面から牙を剥いて突撃してきた狼一匹を素の裏拳で吹き飛ばしながら問えば、あちらも長剣で二匹とやり合いつつ所感を伝えてくれる。
明朗に返事を寄越したところを見るに、言葉通りそれなりの余裕はありそうだ。
「あ、でも猪だけは一発がデカいんで、乱戦になって自分ら後衛が突進モロに喰らうと危ないかもしれない!」
と、後方より彼の分隊員から注釈が。なるほどね、そしたらとりあえず――
「事故の元を……あー、っと」
…………………………元を、さっさと潰して回るのはアリか? どうなんだろうか。それって、彼ら的には望まぬヌルゲー化になってしまったり
「あ、曲芸師さーん?」
また隣から、別の分隊員に声を掛けられる。ドデカい鎚を抱えた彼は、まるで当たり前と言うようにニヤリと笑みを浮かべると、
「気にせず暴れちゃっていいと思うよ――ヒーローと共闘なんて、それはそれで一般人にとって最高のお祭りなんだからさ」
「それな!」
「違いねえわ」
「むしろ生で変態機動見られるの楽しみにしてんだよなぁ俺は!」
とかなんとか、言いたい放題言ってくれるもんで。
はは……オーケー、そういうことなら遠慮なく。
「――んじゃ俺も、ちょいと楽しませてもらおうかね」
瞬間、踏み込み、
「へあッ!?」
「うおっ、ちょ……」
「な゛ん゛っ」
「すヴぇえアッ!?」
「出たよ当たり前のように残像……!」
「Fuuuuuuuuuuッ!」
「おい一瞬でデカいの絶滅したんだがぁ‼」
グルリと一周を終えて、片っ端から大物を喰らい尽くした兎短刀を鞘へ放り込む。計九体、小物とは違い大した数はいなかったな。
そしたら後は、
「間引くか」
《十撫弦ノ御指》起動。【刃螺紅楽群・小兎刀】展開。
狙い定めるは、数が多い上に樹上を移動する厄介者――そら、飛んでけ。
駆ける白が撫で撃つ紅刃は正しく無数。乏しい光源を反射して煌めく短剣が、恐ろしいほどの精度で哀れな襲撃者たちを貫き撃ち落としていく。
その様は、まさしく――
「「うっわぁ……」」
「…………圧巻だな。これが【剣ノ女王】と相討った【曲芸師】か」
屋根の上で観戦している職人たちから、緊張を奪うに相応しいものであった。
テンション高いときの若干乱暴な口調が地味にツボなニアちゃんさん。