レッツ・クック
必要最低限の拠点整備が済んでから、更に時間は流れて日暮れ時。
イベント開始からの経過時間と空模様。双方を鑑みるに、三泊四日の初日となる今日は半日――つまり、きっかり十八時間設定と考えて良さそうだ。
そして残り丸三日で三十六時間×三の百八時間。計百二十六時間ということで、イベント終了のタイミングは深夜……という形になるのだろう。
――で。少しずつ辺りが闇を増していく中、宴会場を兼ねる特大ログハウスにて。サバイバルにおける『最大の楽しみ』の準備作業は着々と進行していた。
休憩を終えてから俺がニアを連れて採ってきたものを含め、植物系の食材は明日の分まで心配いらない程度には潤沢。
それだけではなく、更に出稼ぎに行っていた野郎共が首尾よく〝たんぱく質〟をドッサリ持ち帰ってくれたので……数時間前のアレはアレで趣があり悪くなかったが、やはり可能であれば美味を求めたいところ。
その点、今回の土産品である〝猪〟は期待が持てる――というか、既に鑑定を終えたシェフが言うには『ものが良い』とのことで。
期待大というか、ほぼ勝ち確である。やったぜ。
「うぉおー……」
「その反応からして、仮想世界の料理風景は見慣れていないようだな」
「恥ずかしながら、バトル一辺倒だったもんで」
――再び、で。山積みにされた肉の下処理を次々と進めていく鉄さんの様子を興味津々で眺めていたら、包丁で食材を小突いている彼に笑われてしまった。
先の猿煮込みは夢中で開拓作業をしている間に用意されていたので、この世界における『料理人』の作業風景を目にするのは初のこと。
魔法……とはまた違った雰囲気というか、ある意味で他のなによりもゲームらしい光景と言っていいかもしれないな、これは。
「それ、包丁が特別な感じ? それともスキルの力?」
「両方だが、より重要なのはスキルだな」
「ほぉーん」
キッチン――などとは口が裂けても言えない有様だが、とりあえず出来る限りで整えた調理場の一角。まな板というか作業台代わりの大テーブルの上で、鉄さんの持つ包丁が触れた肉が見る見るうちに〝変貌〟していく。
刃で切っているわけではない。文字通り触れた瞬間、巨大なブロックがパッと光を放つと厚切り薄切り様々な精肉へ生まれ変わっていくのだ。
「見ての通り、アルカディアの料理に〝技術〟は必要ない」
横に突っ立っている俺に、ありがたくも解説をしてくれるらしい。よどみない動作で片っ端から下処理をこなしつつ、鉄さんが口を開く。
「求められるのは、反復練習によるスキル熟練度の向上。ありとあらゆる食材が互いにどう作用し合うのか、呆れるほど多種多様な組み合わせを試して頭に叩き込んだ知識の量――そして、これが一番重要だが」
言いつつ、彼は大きめに切り出した肉塊を手に持つと――次の瞬間、轟と巻き起こった〝炎〟が盛大にその手を呑み込んだ。
「あ、え?」
あまりに突然のことに、俺呆然である。
戦場で度々お目に掛かった致死の爆炎に比べれば可愛いものだが、それでも決して『調理』に相応しい火力とは思えない灼熱の赤……どうでもいいけど、この世界の火って色と温度の関連性に信用がないんだよな。
ソラの炎剣や雛世さんの熱線も基本は赤色炎だけど、不完全燃焼とか知ったことかと言わんばかりに平気で金属溶断したりするし。
ゆえに、今しがたの『赤』も現実的な温度ではなかったと思われる――ほら見ろ、一瞬だったのに肉が見事に真っ黒けだ。
「この世界の料理には、おおよそ現実の常識が適用されない。魔法を用いて物理法則を無視した調理工程も平気で行えるし、頭のおかしな調理法が頭のおかしな美味を生み出すこともある……つまり〝発想〟が要になる。ほら、食べてみろ」
と、黒焦げの肉塊を鉄さんが再び包丁で突けば――まるで刺し盛りのような姿となって現れたのは、香ばしく焼けた真っ赤な生肉。
意味の分からない情報を叩き付けられて、瞬く間に脳がエラーを吐き出した。
食欲をそそる油の焼けた匂いがしっかりと鼻に届いているというのに、視覚情報から判断できる肉の有様は全くの『生』である。黒焦げのガワは何処へ?
「え……え、これ、食べて大丈夫なやつ? 野生動物って生食は……」
「心配するな。これで火は通ってる」
「えぇ……?」
いやまあ、平気だってんなら食べますけども。野生だし〝豚肉〟だしで、なんかこう猿とはまた違った忌避感が拭えないが……。
「その、このままで? 味付けなんかは」
「もうしてある。簡単にだが」
いつの間にだよ。それもまた俺が知らぬスキルの力だろうか――などと考えつつ、恐るおそる謎の焼き生肉を一切れ摘まみ上げて口に放り込んでみた。
――――じっくり三十秒、堪能し終えて。
「鉄さん」
「あぁ」
「是非に俺とフレンド登録を」
「…………まあ、構わないが」
また薄く笑われようがなんだろうが、全くもって気にならない。
今イベントにおける我がグループの〝ボス〟が誰であるか、少なくとも俺の中では不動のものとして決定付けられたゆえに。
マジでビックリした。ビックリし過ぎてビックリした。
言うなればそれは、刺身のステーキ。なにを馬鹿なことを言っているんだと正気を疑われるかもしれないが、そうとしか形容できない不可能な食体験だった。
グリルされた肉と脂のジューシーな香ばしさ、そして火を通した赤身からは失われてしまうはずの柔軟な弾力。不可逆の調理工程を経てなお留められた『生』にしかありえないプラスの特徴を一切損なうことなく、焼きによって昇華される風味が矛盾なく――いや、極大の矛盾をもって両立している。
猪肉自体の特徴だろう、多少ワイルドな風味はあるが……それが気にならない、というかそれどころではない程の衝撃が口内を蹂躙していった。
初体験の不思議感覚だ。食感も生ではあるが生ではなく、ジワっと噛み潰せる&サックリ歯切れがいい感触が同居していて脳が混乱する。嫌味な硬さが一切ない。
意味がわからない。
意味がわからないが、果てしなく美味い。なんらかの方法で行われたらしき味付けも、仄かに舌を喜ばせる程度の絶妙な塩加減が無限にグッド。
肉が塩味で美味いではなく、塩で引き立てられた肉が旨い。
イベント中の特別仕様なのだろう。仮想世界の食事ならざる『しっかりと食べ物が腹に溜まる』感覚も相まって、笑えるほどの感動が溢れていた。
ただ一つ、今この瞬間、声を大にして言いたいことは――
「炭水化物が欲しい……ッ」
米でもパンでもなんでもいいから、この未知なる美味を引き立てる主食が……! 心の底から、切に……ッ‼
「探せばどっかにあるかなぁ……?」
「森に、か? 米でも小麦でも、可能性は乏しそうだが」
「ですよねぇ……‼」
肉だけありゃいいって人も大勢いるだろうが、俺はご飯が欲しい派なんだよ……! 焼き肉の食べ放題でもライス大盛頼む系の男子なんだよ……‼
打ちひしがれる俺、くつくつと可笑しそうに笑みを零す鉄さん。
そして――
「ん~……とびきり賑やかでぶっ飛んだ人かと思いきや、気遣い上手で優しい普通っぽい好青年――でもやっぱり、賑やかというか楽しい人ではあるねぇ? んん?」
「なにその顔。ニヤニヤしながらこっち見ないで」
ワイワイ騒ぎながら腹を空かせて『席』――という名の床に腰を下ろす男衆の傍ら。相変わらず仲良く友人とじゃれ合っているニアと目が合うと、相方殿はパチクリ瞬きをした後『べーっ』と舌を出してみせた。
なんでだよ、今は俺なんもしてなかったじゃん。
ジッと楽しそうにしてるとこ見つめてた照れ隠しに決まってんだろ。
あとボスが『技術は必要ない』とか言ってますが必要あります。
実際ボッてお手て燃やして肉を焼いた瞬間スキルを四つ並列起動してるぞ。