お目覚め閉鎖空間
「―――ん……」
「お?」
転移門へと飛び込んで砂塵を逃れてからしばらく、ログアウトしてから大体三十分かそこらだろうか。微かな声音を耳が拾い、顔を向けた先で抜け殻だったアバターが身動ぎをしている事に気付く。
薄暗く湿気っぽい空気の中をその傍らまで寄れば、屈み込むタイミングで彼女は薄らと目を開けた。
「おかえり。具合は?」
「……変な、感じです」
どこかぽーっとした様子で、壁に背を預けたままソラはぎこちなく身動ぎを繰り返す。何となく、寝起きの動作に見えなくもない。
「多分、身体を残して再ログインは……はじめて、だったから……」
とのことで、どうも普段のログインとは勝手が違うらしい。これまでになくぼんやりとしている相棒の様子に少々心配になるが、言葉選びは明瞭だし表情は落ち着いていた。
「……うん、良かった。大丈夫そうだな」
とりあえずホッとして、俺はまだ動けないらしいソラの隣に腰を下ろす。
「……ハルさん」
すると、クイと袖を摘まれる感覚。呼び掛けに横を向けば、寝起きの相棒はジッと此方を見ていた。
「うん?」
その上目遣いは破壊力高いから勘弁してくれないかなぁ……なんてバカな思考は流しつつ、総じて普段よりもどこか幼い雰囲気を醸すソラを促してやる。
「……お陰様で、落ち着けました。ありがとうございます」
そうして彼女の口からも無事の確認が取れて、これで本当に一件落着といったところ。軽く「気にしないで良いよ」と笑い飛ばせば、慎ましい笑顔で返される。
眠たそうなぼんやりフェイスも相まって、散々だったボス戦の疲労を消し飛ばすような癒しの波動である。大概の男子は浄化されるであろうその威力に慄きつつ、緩みそうになる頰は気合で維持。
というか、今更だがソラのステータス欄で点滅している見慣れないアイコンに気付く。ぽやっとした半開きの目はまさしく「寝起き」を表しているようで……この状態、どうもシステム的なデバフっぽい。
非安全地帯でのリログペナルティみたいなものだろうか?気付いた時点で既に点滅を始めていたデバフアイコンは数秒後、手持ち無沙汰に観察する俺が見るうちに音もなく消え去った。
「それで、ええと……何がどうしてこうなったんですか……?」
さて、無事にソラさんが復帰なさったところで現状共有をしていきたい。極めて純度の高い困惑がうかがえる声音はごもっとも、今の俺たちが直面している状況は「なんでやねん」の一言に尽きる。
えー手始めに周りをご覧ください。右手に見えるのは黒岩の『壁』、左手に見えますのも『壁』。先刻まで身を置いていた広大な空間との落差のせいか、やけに圧迫感を与えてくる低めの天井も合わせてご紹介致しましょう。
正面に口を開けておりますは幅三メートルに満たない狭苦しい『通路』。デザイナーのこだわりでしょうか、光の差し込まない閉鎖空間に点々と配置された光源が不気味な雰囲気を演出しており―――いやどこだよここ。
ソラが首を傾げるのも無理はない。彼女のアバターと一緒に【流転砂の大空洞】で転移門を潜った俺は、イスティアの街ではなくこの謎空間へと放り出されたのだ。
通例として、初心者エリアでボスを討伐する事で転移門が出現→街へ帰還が常だったので疑いもなく飛び込んだわけだが、まさか唐突にそのセオリーを破られるとは思いもしなかった。
「ということで、実を言うと俺も困惑してる」
ソラがログアウトしてからのボス戦の顛末から、ここに至るまでの過程を通して説明していく。それに対する少女の反応はというと―――
「な、成程……」
顔に書いてありますよ?「成程、分からん」ってね。
「見た感じ洞窟ってかダンジョン的な雰囲気なんだけど……例によってtipsのポップアップなんか無いからなぁ」
ゲームの外で調べれば一発だろうが、基本的にアルカディアは説明不足というかルート示唆が乏しい。初見で挑むのは中々にハードというか、三年前の発売当初はさぞ阿鼻叫喚だったに違いない。
「ダンジョンですか……ぁ、でもログアウトは出来るみたいですよ」
「あ、そうなの?」
首を捻りながらウィンドウを操作していたソラに示され、手元を覗き込むと確かに「ログアウトしますか?」の表示が―――いや、それ自体はどこだろうと変わらないのだが、非安全地帯で追加表示される警告文が無い。
「安地にしては安らぎのかけらも無い空間っすね……」
寒々しい小部屋を見渡して呟くと、ソラも同意するように苦笑い。その後に確認してみると、通路から先は非安全地帯らしく警告文が表示された。
「一時セーフゾーンねぇ……」
要素爆盛りの死地を命からがら突破してきた身としては、正直言うと素直に街に帰して頂きたかった。
その辺の壁にヘッドバット決めて自ら命を散らす手も無くはないが……こないだ攻略サイトで見ちゃったんだよなぁ「自殺」のデスペナルティ。丸一日のステータス半減に加えて、蓄積経験値減少だけに飽き足らず確率でスキル消失とかマジ?
手順を踏めばスキル再入手は可能らしいが、いくらなんでも重い。運営からの「システム的には可能だけど倫理観念的にNGな?」という圧を感じる。
現実と見紛う仮想現実ゆえというか、現実世界における人格へのフィードバックを懸念してかもしれない。基本的にこのゲーム、現実準拠の倫理に背くような行動に対してのペナルティが容赦無いのだ。
「まだ街には帰れない……みたいですよね」
「転移門どころか石ころすら転がってないからなぁ」
壁面に点々と配置された光源の水晶を除き、何一つオブジェクトの存在しない空間は言外に「さっさと進め」と主張するかのよう。
……クソボスから続いて、なんかデザイナーから喧嘩でも売られてるような気がしてきたんだが錯覚かな?
「まあ、延長戦にしても俺はもう少し休憩……てかもうこんな時間か。昼時だな」
現実時刻はおよそ正午、素直に一旦ログアウトして休むのが吉かもしれない。
「朝から結構な時間プレイしてるけど、ソラはどうする?」
今日は珍しく朝からログインしていたソラだが、彼女のデイリー平均プレイ時間は既に超過している。そう思い訊ねてみると……相棒は何やら考え事をしている様子だった。
「あの、ハルさん」
「どした?」
「少しだけ、このまま探索してみませんか?」
と、完全に休憩モードに入っていた俺的には意外な提案。
「その心は?」
「あれだけ大変なボス戦の後に、街にも帰さず問答無用で次のエリアっていうのは……流石に、意地悪すぎるんじゃないかと思いまして」
そうだね、デザイナー性格悪いなって思ったよ。
「だから、この場所も迷宮というよりボス戦の延長で……あの、なんて言えば良いのか」
「あー……あれか、後語り的な」
「えと……そんな感じで、進んだら案外あっさりゴールがあったりするのかなって」
ふむ……一理ある。小部屋の外が安地外という点に少し嫌な予感はするが、確かにあの「大変」の一言で済ますには悪辣極まる連作スペクタクルを乗り越えた先に、更なる苦行(長)を設えてくるとは考え難い。
考え難いというか、考えたくない。
「……進んでみよか。案外、曲がり角を曲がれば即ゴールとかあるかもな」
「はいっ―――ぁ、その……私から言い出しておいてなんですけど、ハルさんもお疲れでしょうから無理は」
「平気へーき、どうせならスッキリさせた方が心置きなく休めるよ」
ソラさんどうも好奇心が先行していた様子。遅れてわたわたと気遣ってくる様にまた癒されながら、俺は薄暗い口を開けた通路へと足を踏み出す。
微かな光源が頼りなく浮かぶ通路の先は、静かな暗闇で満たされていた。
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