暗中散策
見慣れた転移の青光に包まれて――数秒後。再び開けた視界が映したのは、仮想世界において人外の記憶力を持つ俺でも見覚えのない景色……。
いやまあ、流石に鬱蒼とした森中の風景なんて事細かに記憶しようとしたことすらないけどさ。あと、一つ言っていい?
「くっっっらぁ……!?」
「それな」
呟きかけた独り言を相方に持っていかれてしまい、半開きになった口からの出力を同意へと切り替えた。袖にしがみ付いているニアの言葉通り、滅茶苦茶に暗い。
【セーフエリア】周囲の森もかくやといった、どこを見回しても切れ間は望めそうにない大樹の園。数多の木々が光を遮る森の中が薄暗いのは当たり前ではあるのだが……それにしても、不自然なくらい闇が濃い気がする。
時計機能――は、ロックされているか。その代わりプレイヤーの求めに応じて視界端に現れたのは、百二十六時間から始まった一秒ごとのカウントダウン。
気が利いているような、そうでもないような。大まかにでも現在時刻を測るために、今イベント中は空を見上げることが多くなりそう……だな、と…………。
いくら深い森と言えど、上に目を向ければ空くらいは拝める――そう思い、なんの気なしに首を反らした瞬間。視界に飛び込んだ〝おかしなもの〟を原因に即時脳内でエラー報告が撒き散らされた。
なにがどうなってんだアレは。
「………………ニア、上」
「え、なに――――」
暗いのが怖いのか森の中が怖いのか、引っ付いて離れようとしないニアと『異常』の共有を図る。空を指差した俺に従い、彼女もまた真上に目を向けて……俺とほぼほぼ同じリアクションを見せた。
「………………空、なくなっちゃったの?」
「…………間の部分とかは、空といえば空なのでは?」
好き放題に茂り、幾重にも重なってカーテンを作り上げている木の葉。その隙間から辛うじて見通せる〝先〟にあるのは――小さな小さな、地上の姿。
「なんかこう、常識と認識が齟齬を起こして頭ん中が引っくり返りそう」
「それめっちゃわかる……」
イベント開始直後。いきなり展開したフルスロットルファンタジーに好意的な意見を述べれば、眩暈がするとでも言わんばかりニアはフラついて――
「っわひゃい!? な、なにっ、なんっ……なにぃっ!?」
頭の上に降ってきた大きな落ち葉の感触に驚き、悲鳴を上げて跳び上がった。
――とりあえず、当初の予定通り他の参加者を探すところから始めよう。
相談も特に必要とせず、そんな思惑から森の中を歩くことしばらく。未だ森の終わりも、切れ間さえも現れる気配はないが……これが意外と楽しい。
飛ぶでもなく跳ぶでもなく、並んで一歩ずつ歩くというのも雰囲気があって悪くない。それに加えて、隣に引っ付いている職人様が、
「あ、そこにある青い木の実」
「ん、これか?」
「そそそ。それ魔法薬の材料になるやつだね、MPの方」
「はぇー」
と、そんな感じで。これまで俺が見向きもしていなかったような〝素材〟を逐一見つけては、紹介と解説を行ってくれるので退屈というものが存在しない。
全貌どころか一部すら詳細の見えないイベントフィールド『鏡面の空界』だが、今のところ植生やらなにやらは【隔世の神創庭園】と同じ様子とのこと。
そのため目に付く素材も基本的に知っている物ばかりらしく、得意気に説明する藍色娘のドヤ顔が可愛らしい。またスクショを撮って本人に送りつけてやろうか。
「ちなみに、そのまま食べてもびっみょーに回復するよ」
「へぇ、そうなんだ」
ひょいパク。
「お゛ッ゛……ぐヴぇ…………!!!」
「…………この世の地獄ってくらい渋味が強いけどね」
「さ、先に言って……?」
「なんの躊躇いもなく、いきなり口に放り込むとは思わないじゃん……」
だって仮想世界だし、衛生面とか気にするのもアホらしいかなって……。
「更にちなみに、普通にお腹壊してデバフとか発生することもあるから。現実世界と同じく、今後は軽率な拾い食い禁止ね」
「マジかよアルカディア……」
知れば知るほど、意味がわからない作り込みである――おっと、これは立派な木の根っこだこと。ここまで盛大に隆起していると、最早ただの壁だな。
「抱えられるのと、引っ張り上げられるのと、放り投げられるの。どれがいい?」
「三番目やったら怒るからね」
怒るよりも泣きそう……あぁ、はいはい。了解しましたよ、お嬢様。
「……ほんと、サラッとやるよねこういうこと」
「誰にでもはしない。これからは、より一層な」
小さい子が抱っこをせがむように両手を伸ばしたニアをひょいと抱え上げ、メインの〝表〟程ではないが力を増した身体で巨大な根の壁を飛び超える。
転身体でも、このくらいなら軽いもの……いやまあ、そもそも《月揺の守護者》の効果でニアを抱える負担はゼロになるのだが。
障害物を突破して、さあ降ろすぞと腕の中に視線を向ければ――
「…………そこまで素直な反応されると、俺もこっぱずかしいというか」
「うる……さいなぁ! もう獣道ばっかで疲れた! このまま運んでほら早く‼」
二つ名とは似つかぬ〝色〟に首元までを染めたニアが、全力の照れ隠しをもって暴れ出す。振り回される右手に光るブレスレットの〝紅〟だけは、今の彼女にピッタリ似合いと言えるだろう。
「別にいいけどさ……中々、絵面は倒錯的なことになってると思うぞ」
「恥ずかしげもなくイケメンムーブする美少女にお姫様抱っこされるのも悪くはないというかそれはそれでクるものがあるというか白状すると中身がキミってのも相まってその姿も普段とは別方向でドキドキすると言いますか――」
「聞いてない聞いてない長い長い長い。ったく、五分だけだぞ」
「十分!」
「マジで欲望を隠さなくなってきたなコイツ……」
――ほらな、だから言ったろ? ただ暗い森を歩いているだけだというのに、既にこれだけ楽しいのだから困ってしまう。
これから待ち受けるサバイバル生活、なにがどうなるかなんて予想も付かないが……常に賑やかで、愉快なものになることだけは疑いようがなさそうだった。
転身体だとニアちゃんのが微妙に身長高いという事実。