尽きせぬ未知へ
「――おっそーい!!!」
「遅くない。待ち合わせの時間前だぞ」
いい加減に通い慣れたアトリエの扉を潜るや否や、文句と共に勢いよく飛んできた藍色をさらりと横へ受け流す。
そわそわと落ち着きなく待っていたのだろう。相方殿はわざとらしい膨れっ面を披露してくるが、そうそう容易くベタベタを許すつもりはない。
いや許すつもりはないというか、こんな初っ端からフルスロットルを許容してしまうと先の三日が思いやられるからというか……ともかく。
「これまでの虚弱貧弱強制無抵抗仕様だと思うなよ? 返り討ちにされたくば遠慮なく挑み掛かって来るがいい」
「はいはい、ドヤ顔かわい」
「やかましい」
装備だけではなくステータス諸々の調整も終えて、いよいよこの転身体もそれなりに戦闘運用が可能な身体と相成った。
まだまだ完璧とは言えないが、非力な女子一人あしらう程度は訳ないぞ。
「人のこと散々急かしといて、そっちはちゃんと準備できてんのか?」
「と、言われましても。素材も設備もなーんにも持っていけないんだから、あたしの〝準備〟なんてコレだけですけど」
言いつつパッと腕を広げて見せるニアは、淡紫と黒を基調とした見慣れないポンチョ姿。普段は晒している足元も厚手のニーソックスとブーツを履いており、お洒落ながらも『旅装』の感が強いコーディネートだ。
ルーキー時代にカグラさんから譲り受けた部屋着から始まり、なんだかんだニアが作った服ばかりを着ている俺である。パッと見ただけで、デザインセンスから彼女の自作品であることは察せられた。
…………一応、これもお洒落なんだよな? ならまあ、
「似合ってる」
「んぇっ?」
「あれだ、雨の日にカッパ着てはしゃいでる子供味を感じるな」
つい余計な照れ隠しが付属したが、その程度は適当にスルーして美味しい部分だけつまんでいただく方向で――というのも、元はと言えばデート代わりだから。
その辺、全く気遣わない訳にもいかんだろう。俺もできる限り努力はする。
「な、なんなの急に、調子狂うな……」
「宣言した通りだよ。俺も諸々気楽に行くことにしたから」
急な誉め言葉にわかりやすくまごついたニアちゃんはとりあえず放置して、俺の方もチャチャっと支度を整えていく。
詳細情報が公開されていない【星空の棲まう楽園】の舞台こと、超巨大フィールド『鏡面の空界』へ持ち込むことができるのは〝装備品〟のみ。
行動制限に引っ掛からない限りに纏った品以外は、ややキツめの重量指定に納まる分であればスペアその他を専用インベントリに詰め込んで持っていける。
この時点で、残念ながら【巨人の手斧】や【愚螺火鎚】は無念の留守番決定。アイツらを普通に装備するとマジで一歩も動けないレベルだからな、どちらの条件でもエラー扱いになってしまうのだ。
とりあえずいつもの如く腰の背部には兎短刀を、右側には【早緑月】を鞘ごと吊って……ふむ、これだけでも結構重い。
「意外とおっきいよね、その刀」
「あぁ、まあ普通に一メートル以上はあるからな」
腰に吊ってはみたものの、おそらく転身体の体格だと【早緑月】をこのまま抜き放つのは無理があるだろう。咄嗟の時は兎短刀に頼るが吉か。
あとは紅蓮奮に盾が二種……は、今回は留守番かな。汎用性の鬼と至高の一刀、それに右手と左腕には頼りになるユニークが揃っている――十二分だろう。
予備のインベントリは、カグラさんから受け取った例の物で満杯だしな。
ちなみに転身の両面で異なる装備品を登録していても、転移の際に適用されていた側の装着分しか持ち込めないらしい。注釈があったので間違いない。
ただそれに関しては武器だけで、防具や衣装類についてはお目こぼしされる点は有情である。懐かしの裸一貫で野山を闊歩せずに済むというもの。
「というか、そっちメインで行くの?」
「ん? あぁ……いや、クールタイム中。さっきカグラさんから装備を受け取るタイミングで裏返ったばっかだから、あと三十分くらい戻れないんだよ」
「あー……そういう。や、別にどっちでもいいんだけどさ」
「やめい、遊ぶな」
頬をちょいちょい突いてくる手をあしらいながら、もうすぐ訪れるであろうシステムアナウンスを待っている……と、なにか言いたげな顔が目に留まった。
まだ時間はあるし、このタイミングでそれは『聞いてくれ』と言ってるようなものだぞ――まあ、考えていることなど丸わかりなので訊ねてはやらないが。
「『私は私で楽しむので、気にしないでください』ってさ」
「へっ……?」
「俺のパートナーから伝言。宛先は〝ニアさん〟に」
「……、…………」
ちなみに、俺宛の伝言というかお言葉は――『ハルは許しませんから、三日間それはもう盛大に気にしてください』である。それはもう、盛大に気にしつつソラがルクスと楽しくやれるのを祈るばかりだ。
当然というか、俺とソラの関係性が〝動く〟ことはニアとアーシェに共有済み。あの日、事前に駆けずり回った過程で全て話してある。
そして、二人共に納得は済ませてくれている。
というより、ニアに関しては『そもそも最初からずっとソラちゃんが最大のライバルだと思ってはいたんですけど?』などと困惑を返されてしまった。
明確に矢印が向いているかどうか……までの確信は持っていなかったらしいが、それはそれとして仲が良過ぎるので最大の壁には変わりない、と。
本当に、なにからなにまで俺の一人相撲というか空回り――そんな感じで、大変お恥ずかしい姿を晒しまくった例の件はさておき、
「俺も、あれこれ吹っ切ったからもう迷わん。どうすりゃいいかなんてわからないし、どうなるかなんてのも予想が付かないけど……とにかく」
それでも、すべきことは――できることは、限られているから。
「ニアが隣にいるときは、ニアを見る。だから、そのつもりでかかってこい」
本当に、俺がまともに〝恋〟とやらができるかどうかすらわからない。だからこそ、答えを見つけるためには恐れず進む以外の道はない。
相棒ではないけれど、パートナーではないけれど、
ましてや、偽装婚約者なんて愉快な関係でもないけれど、
「…………か、格好付けるなら、男の子の時にしてほしかった」
「そいつは失敬」
不器用で真っ直ぐな想いを伝え続けてくれる彼女も――もう無碍にはできない、俺にとって大切な人であることは間違いないから。
――――そうこうして、適当に言葉を交わし合うこと十数分。
「っ……!」
「っと、来たか」
比喩ではなく、仮想世界中に鳴り響いたであろう鐘楼の大響音。
不意を打たれたニアが猫のように小さく飛び跳ね、時間を予測して構えていた俺が顔を上げると同時――
――ワールドイベント【星空の棲まう楽園】が開始されます。
――参加プレイヤーは任意の安全地帯で待機してください。
――間もなくイベントフィールドへの転移を開始します。
――間もなくイベントフィールドへの転移を開始します。
――間もなくイベントフィールドへの転移を開始します。
「…………あー、ニアチャン? 凄い顔してんぞ」
「し、仕方ないじゃんっ……! こういうの自分で経験するの初めて……っ」
高らかに鳴り響くシステムアナウンスに右往左往する相方を見て、思わず気の抜けた笑みを零しつつ――なんだかんだ、否応なしに上昇していくテンションを自覚して口の端を吊り上げた。
考えることは山程あれど、
するべきことは数多あれど、
見るべきモノはいくつもあれど、
折角の一大イベントなんだ、心の底から楽しまないと大損だよな?
「ほれ」
「っ……!」
差し出した手を反射的に掴んだニアを引き寄せて、テンパりまくっている身体を受け止める。そのまま頭をぽふぽふ連打すれば、落ち着いたのか混乱の極みに達したのかピタリと大人しくなった彼女を他所に――
視界を移ろわせれば、固定表示させていたウィンドウの上で数字が揃う。
それ即ち――――『00:00:00:00』
「さあて……」
これから連れて行かれる先は、一体どんなファンタジーなのか。
なにはともあれ、
「ま、楽しんでいこうぜ!」
「え、なにっ――」
――『鏡面の空界』への転移を実行。
――これより、ワールドイベント【星空の棲まう楽園】を開始します。
一方その頃、冒険を前にテンション爆上げの【旅人】のせいで始まる前から確実に終始愉快なことになっていたであろうソラ&ルクスペアの明日はどっちだ。