空晴れて時は進む
――――水音に混じって、かたりことり。
手慣れた動作でテキパキと洗い物を片付けていく少女の横顔は、いつもと変わらぬ愛らしさ。けれども、そのお澄まし顔の奥では表情に出さない『文句』が渦巻いていることを、自称メイドは知っていた。
「もう。いい加減に機嫌を直してくださいよ」
「直すもなにも、怒ったりしてないですし」
先日の一件から、手当たり次第に家事を強奪するという謎の抗議行動が始まってしばらく。顔にも言葉にも出さないとはいえ……平時よりもほんのりと冷たさを感じる声音は、彼女が拗ねている証である。
困ったことだ。かの青年を屋敷に招き入れたところから始まり、斎は最初から最後まで少女の味方であり続けたというのに。
少女の父が帰ってくるなどと噓を吐いたのも、みっともない姿で想い人と対面しないように身なりを整えさせるため。
青年――春日希を部屋に放り込んで〝蓋〟をしたのも、彼が宣言通りになんとでもしてみせるだろうと信頼した上で、主が逃げ出したりしないよう退路を断っ……もとい、背中を押しただけのこと。
もっと大変だったのはその後だ。尽きず溢れ出してくる好奇心を……もといもとい、不安を押し込め盗み聞きも堪えて大人しくしていたというのに。
こんな風に冷たくされるなど、あんまりである。
それもこれも、綺麗サッパリ全部を掻っ攫って行った『彼』のせいであることは明白。許すまじ曲芸師――とまあ、冗談はさておいて。
「これから三日も会えないのに、喧嘩したまま行ってしまうつもりですか?」
「…………現実世界では、ほんの一時間ですよ」
「まあ、なんて寂しいことを言うんでしょう」
わざとらしく泣き真似を披露するも、揶揄っているとでも思われたのかとうとう少女が頬を膨らませ始まる。
誓って、適当半分に揶揄っているわけではない。悪戯心を抑えられないほど、斎のお嬢様が可愛らし過ぎるから真剣に揶揄っているのだ。
それに、最終的には……素直で優くて甘えん坊な少女はいつだって、こうすれば仲直りしてくれるとわかっているから。
「ほーら。寂しくて死んでしまいそうな私に、お嬢様成分を補充させてください」
「………………」
隣に立って両腕を広げれば、少女――そらはジトーっと十秒近く、ニコニコ微笑むメイドを威嚇するように半眼を向けた後、
「……っあ、こら、それはダメです待って待って――もう、この子ったら!」
わざわざ新しく綺麗に泡立てた、真白な〝武器〟を両手へ山盛りにして……己の欲に忠実過ぎる姉へ逆襲するべく、追いかけ回し始めるのだった。
◇◆◇◆◇
「――――アンタはあれだね。生き様が忙しなさ過ぎて、傍から見てるだけで『楽しい』を通り越して疲れるよ」
よくもまあ、次から次へと途切れることなくイベントを起こすもんだ――と、口では散々なことを言いながら楽しげな表情を隠せていない紅の職人が、のんびり口調とは乖離した様子で慌ただしく手を動かしている。
なにをやっているのかサッパリわからないが、技術的には凄いことをしていらっしゃるんだろうというのはわかる。精密な動作をしているはずなのに、各モーションが出鱈目に素早過ぎてジッと見てると目と頭がバグりそうだ。
「いやぁ、まあねぇ……俺も叶うことなら平穏に生きていたかったんだけど」
「ッハ、無理だね。そういう星の下に生まれたってことだろうよ――そら出来た。もっかい履いてみな」
「あ、ハイ。あざっす」
鼻で笑い飛ばされようとも、此処に至っては俺も流石に反論の余地はなく。突き出された品を作業台の上から拝借して、切り替えスキルで瞬間換装。
真白の髪を揺らす転身体が纏っている、ニアお手製の新衣装。その足元を暫定的に守っていた【海星蛇の深靴】の紺碧に代わり――現れるのは、なにもかもがメインの身体とは異なる白髪青眼美少女アバターに似合いの白。
既に装着していたハーフグローブと併せて、軍服×和服モチーフの【白桜華織】と渾然一体になった様は流石の連携といったところか。
相変わらずのメイン上下衣装に手套&深靴という組み合わせだが、もうこのスタイルに慣れ切ってしまったし今まで不足を感じたことも特にない。今回の一式も、これにて『揃った』という安心感が湧いてきた。
「どうだい?」
「あぁ、バッチリ完璧」
銘はそれぞれ【氷織の燐光手】と【氷織の燐光脚】……とのことだが、相変わらず意味はわからんけど雰囲気お洒落なのでヨシ。性能も十二分ゆえ文句なしだ。
どちらもニアが【蒼天六花・白雲】を作成した時に余った羽根の切れ端をベースとして、不足分を同じ雪山に生息していたエネミーたちの素材で補った代物――
というのが当初の予定だったのだが、依頼を預けた後に俺がなんやかんやでエペルの討伐を果たしてしまったことを報告したところ……大笑い後に『よし、全部出せ』が炸裂して予定外の作り直しが決定。
完成していたデザイン自体は使い回せるとはいえ、それでもわりとデスマーチだったはずだが……そこは流石のカグラさん、見事完成に漕ぎ着けたというわけだ。
手の甲が半分以上露出したハーフグローブは、思えば初めての非指抜き仕様。なのだが、着けている感覚が全くせず体感では百パーセント素手。しかしグリップはしっかりと効いており、剣でも刀でも鈍器でもガッチリ握れそうだ。
ブーツの方は、ニアの【白桜華織】に合わせたのか膝上&膝下と丈が異なる非対称仕様。片足タイツの左が膝下で、素足全開だった右が膝上丈。左の長丈の方はやや複雑な二重構造になっており、おそらく普通に履こうとすると苦労することになるだろう。切り替えスキル万歳。
ここまで非対称だらけのデザインだと、チグハグ感が強く出そうなものだが……それでもなおカチッと嵌まっているのが、本当にもう流石の一言である。
手套も深靴も、彩色はエペル由来の微かに青味がかった白。衣装と併せて、総じて全体的に白基調の仕上がりとなった。
……俺、なんか仮想世界だと白ばっか着てるな? まあいいけどさ。
「注文通り、余計なギミックは付けず単純性能に一極したよ。フィールドエネミーとはいえ準レイド規模の怪物素材だからね、正真正銘の一線級さ」
「いやはや、デスマーチと併せて重ね重ね感謝――――……ところで、この実に可愛らしいフサフサは必要だった?」
と、手足どちらにも付けられている毛皮飾りを指で弾きつつ問えば、カグラさんからは「ニアが付けろって五月蠅くてね」とのご返答。
犯人は見つかったようだな、覚えとけよあんにゃろう。
「ま、とりあえずは〝タイムアップ〟だ。具合は向こうで確かめとくれ。なにか不満があれば、終わった後に注文を聞くよ。あっちの方も、ね」
「あいよ了解――って、わりと時間ヤバいな……んじゃ、各々の健闘を祈って!」
「あぁ、また好きに暴れてきな」
いやまあ、今回はおそらく大騒ぎに首突っ込んだりはしないだろうが……ともあれ、いつもの如く突き出した拳をぶつけ合えば挨拶はサッパリ終了。
専属魔工師殿と笑みを交わして、俺は相方の元へと急ぎ駆け出す。
待ち合わせ時刻まで、あと十分。別に歩いたとて間に合うが、なるべく早く馳せ参じておかないとアイツのことだから――ハイ来ました。
【Nier】――『大丈夫だと思いますけど、もし来なかったら泣きます』
【Nier】――『本気で泣くから、覚悟するように』
「わかったわかった……!」
心配性なのか、はたまた信用がないのか、ピロンピロン終わりなく鳴り始めたメッセージの着信に苦笑を零しつつ、ただ駆けた。
『白座』討滅から、一週間後。
即ち、カウントダウンクロックが指し示していた今日この日。サービス開始から三年半、アルカディア史上初の公式イベントが――
未知で埋め尽くされた【星空の棲まう楽園】の舞台が、その幕を開ける。
それでは第四章、張り切って参りましょう。