青空と春風
すべきことを、果たせたと思う。
伝えるべきだったことを曝け出し、聞くべきだった言葉を引き出せたと思う。
随分と乱暴な運びになってしまったのは自覚しているが、後悔はない。勢いのままにやり遂げた今、胸の内は殊更に晴れやかであるからして――
………………晴れやか、なんだけども。
困ったことが、ひとつ。
「――ハルは、本当にハルですね」
「うん、まあ、結局どこまで行っても俺は俺だったというわけで……」
「言ってることもやってることも滅茶苦茶です。どうするんですかこれから」
「いや、そりゃもう責任と誠意をもって向き合わせていただく所存というか」
「三人を相手に、ですか?」
「は、はい……」
「お二人相手だけでも、毎日のように参っていらっしゃいましたけど」
「そこはこう、心機一転的な……」
「そういう『とりあえず動け』みたいなところ。男の子なら仕方ないのかもしれませんが、巻き込まれる女の子のことも考えてください」
「…………」
「まだ答えなんて出せるわけないのに、強引に告白させるなんて……本当に、とんでもないことですよ。ちゃんとわかっていますか?」
「ご、ごめんなさい」
「………………」
「……、…………」
「……もう、ハルなんて嫌いです」
「……………………………………ええと、言動が一致してな――い゛ッ……!?」
ずっと、ずっと、甘えるように……というか、そのものベッタリと甘えるまま。ふにゃふにゃに脱力して胸に身体を預けながら、俺を捕まえていた四谷のお嬢様に思い切り手の甲を抓られてしまう。
ここは仮想世界ではなく現実世界。当たり前だが一切の痛覚遮断機構を介さない痛みが駆け抜けて、その激しさに仰天した。
ねえ、今この子マジで抓った。本気の全力で摘まんで捩じり上げたって……‼
「なにか言いましたか?」
「言……ってない」
素直に非と敗北を認めれば、剣呑な視線を向けてきたソラさんは瞬く間に甘えモードに逆戻り――……いいのかなぁ、コレ。
いやダメなんだけど、本能的にも感情的にも押し退けられねえんだよなぁ……。
まず、なんでこの子こんないい匂いすんの。本当に同じ人間か? 香水って感じでもなし、人体がデフォルトで甘い香りを放ってるのはどういう理屈なんだよ。
あと体温メッチャ高い。湯たんぽ抱いてるみたいで眠くなってくる。
なにより意味わからんくらい柔らかくて気が狂いそう。なんで肩の先まで柔らかいんだよ、そこもうほとんど骨じゃん。女子ってのは全身軟骨で出来てんのか?
「そ、ソラさん、一旦離れてもらっていい? 脚痺れてきたんだけども」
「…………」
「あ、ちょ、ごめんなさい嘘です嘘つきました許して……!」
嘘も方便で拘束を脱しようと試みる――が、容赦なしのノータイムで痺れているはずの脚を鷲掴みにされ、痛がるリアクションなど上手くできようはずもなくアッサリと看破されてしまう。
「……別に、離れてほしいなら、そう言ってくれればいいです」
と、徹底抗戦の構えかと思いきや意外と物分かりが良くていらっしゃる。これ幸いに「じゃあ……」と口を開いて
「ハルが私にくっ付かれるのが嫌なら、離れてあげますから」
「は――が、ぐ……っ!」
俺はたったの三秒で強制的に黙らされた。
わざとらしい……とは、また違う。どこまでも素直に晒された拗ね顔と併せて、オーバーキル気味の十割コンボ。それは卑怯では???
「いいじゃないですか、パートナーなんですから」
「あ、相棒の距離感とはまた違うような……」
「仕方ありません、あなたのことが好きな女の子ですから」
二方面ゴリ押しパワープレイ……!
「……永久無料パス、返した覚えはありませんし」
「それは手を繋ぐアレであって」
「手を繋ぐには、近付かないといけません」
「ああ言えばこう言う……‼」
参ったな、想定外だ。
過去の印象から甘えん坊っぽくなる未来は予想できていたが、まさかここまで直球のパワーファイターに変身するとは思っていなかった。
俺がどうしてもソラのことはぞんざいに扱えないという点を加味して、ある意味で『最も困った相手』を目覚めさせてしまったのかもしれない――
はいストップ。ちょっと待って、やめなさい。
その妙に艶っぽく手の甲をスリスリするのをやめなさい……‼
なんやかんやでお赦しを賜り、ほんの僅かだけ距離を置いてしばらく。
未だに片手を捕まえられながら、肩を寄せてくる少女と〝自己紹介〟を交わしつつ……これまでに話してこなかった、なんでもないことを伝え合いながら――
「――――高校一年生……十五歳…………去年まで中学生、だと…………」
「そ、そんなにビックリされることですか……?」
時に驚いて、
「もう全く気にしてないって言葉を信じて、私も気にせず言いますけど……ハルが『弟』だって聞いて、物凄く納得してしまいました」
「どういうこと?」
「ハルはハルだからハルだったということです」
「どういうこと???」
時に納得されて、
「…………え、冗談、ですよね?」
「ほんとほんと。学生証あるけど見る? 正真正銘の現役だぞ」
「……………………わ、悪いこと、してませんよね? 裏口入学とか」
「それはどういう意味かな」
時に疑われたりもして――いくつもの言葉を交わしながら、ひとつひとつ知るべきだったお互いを渡し合う。
そうして、
「……本当に、いいんですか?」
「いいよ。それは必要になったらで……というか、ソラが俺に『知ってほしい』って思う時が来たらでいい」
まだ秘密があることまで、今度はしっかりと言葉で認め合う。
あっという間に時間は過ぎ去り、別れの時間はすぐそこに。壁に掛けられた時計に目をやる俺を見て、察したソラがほんの少しだけ手に力を籠めた。
「…………泊まっていっても、大丈夫だと思いますけど」
「いろんな意味で大丈夫じゃないから、帰してくれるとありがたいな」
それはもう、いろんな意味で――と、もしあと一押しされれば揺らぎかねない内心を隠しつつ、取り繕った俺を見つめて……。
「……お見送り、します」
ソラは穏やかに微笑んで、そっと俺の手を放した。
「――ちゃんと夕飯食べろよ? さっきお腹鳴ってたぞ」
「なっ……鳴ってません!」
いいや鳴ってたね。小さくとも可愛らしい音がバッチリと――いやごめん、ごめんて聞いてないです幻聴だったね許して……!
「もう……! ハルは、ほんとうに、もう……‼」
玄関までお見送りしてくれたソラさんのじゃれつきを宥めつつ、涼しい夜風に火照った体温を逃がしていく。
熱の内訳は大仕事を遂げた達成感と、するべきことを果たせた安堵が少し。
後の大半は……目の前で顔を赤くして怒っている、可愛らしいが過ぎる女の子から撃ち込まれてしまったものばかりだ。
本当に、これから先が思いやられるが――
「……ソラ」
後悔はしていないし、二度とするつもりはない。
「改めて、これからよろしくな」
「…………はい、こちらこそ」
恥ずかしそうに、けれど確かに浮かべられた笑顔は、間違いなく――俺が駆け出すキッカケとなった、記憶に刻まれたものと同じ色を取り戻せたから。
「ハル」
〝名前〟を呼んで、瞳を向けて、少女は晴れた空色一杯に俺を映す。
次に紡がれる言葉は、お互いにわかっていた。
「大好きです」
「……うん、ありがとう」
答えをもって応えられないことに、最早もどかしさなど感じない。
そんなものに、かかずらっている暇はない。
俺はこれから、ここから――
「おやすみ、ソラ」
「おやすみなさい、ハル」
答えを出すために、もう決して立ち止まらないから。
◇◆◇◆◇
振り返らず、去っていく姿を見つめていた。
とうとう、なにもかもを奪い去ってしまった背中を見つめていた。
熱が重くて、息が苦しくて、胸の奥が溶けてしまいそう――それでも、どうしようもないくらい彼が好きだ。
もう、ずっと何年も想い続けていたかのよう。
ずっとずっと、夢に見続けていたかのよう。
だから、いつか、絶対に。
「――覚悟、しておいてくださいね」
彼が届けてくれた、パートナーとしての〝好き〟を、
「次は、きっと……女の子として好きだって、言わせちゃいますから」
自分と同じ〝恋〟に変えてみせると、少女は希み歩き出す。
空を迎えに来た春風が、気ままにどこかへ飛んで行ってしまわぬように。
心を攫った、その温かな風を――いつまでも手放さずいられるように。
第三章、これにて了といたします。
主人公二人の〝心の準備〟にお付き合いいただき、ありがとうございました。