春空
「――――と、まあ大体そんな感じで」
不要な部分を端折りつつあらましを語り終えるも、胸に身体を預けるまま動こうとしないソラから言葉はなく。
そりゃそうだろというか、前もって言った通り『楽しい話』じゃなかったからな。反応に困るのが当たり前といったところだろう。
そもそも必要だから話しただけで、過去のことなんざどうでもいいんだ。重要なのは、それからどうして今の俺が出来上がったのかということだから。
「憎い、なんて強い言葉を使ったけどさ。結局は怖いというか、ビビってるだけなんだよな。兄を――誰もが認める〝完璧〟だったアイツを狂わせた『恋愛』に」
ちっとも似ていなくても、俺は兄の弟だから。
中学生という多感な時期に深々と植え付けられた恐怖と不信は、歳を重ねるごとに薄れるどころか染み付いていき……結果、恋愛ノーセンキューなどと宣う不健全な青少年が出来上がってしまったというわけで。
どうしても、消えてくれなかったんだ。
他人のように見えてしまった、大好きだったはずの兄の顔が。
「実際、この歳になって本気で『自分までおかしくなるかも』……なんて考えちゃいない。俺とアイツは違うって、ハッキリわかってはいる」
それでも、不安が消えなかったんだ。
いなくなった後も決して切れることはない血縁、兄弟という繋がりが、俺も同じなのではという〝もしも〟を抱えて胸の奥に居座っている。
「自己評価が低いってのも、そこからだよな。散々比べられてきて、完全上位互換だのなんだのと言われてた兄が、おかしくなって全部メチャクチャにした。そんで、止せばいいのに俺はその兄の劣化版なんだって――」
服を掴む小さな手が、責めるように……あるいは、誰かに代わって痛みを堪えるように、籠めた力を伝えてくる。
礼を言う代わりに、綺麗な黒髪を揺らす少女の頭を優しく撫でた。
「一番に俺を甘やかしたのはアイツだったけど、父さんと母さんも俺のことしっかり守ってはくれたんだよ。俺は俺として胸張ってりゃいいってさ……で、そんな風に過保護にされて素直に育った上、ナイーブな時期に突入した直後だったからな」
それはもう、盛大に拗らせてしまった。
そんなことする必要もないのに、不必要に自分を卑下しまくった。結果、自分の容姿すら上手く客観視できないアホが出来上がったというわけだ。
顔だけは、ほんの少し似ている――それが、アイツの『弟』であるという呪いに拍車をかけていたりもした。一時期は、鏡を見るのも嫌だったっけな。
………………さて、こんなもんかな?
話してしまえば呆気ないというか、十分そこらで語り終えてしまえる程度の〝なにか〟だったわけか。案外、大したことなかったな。
それじゃ、こっからは前を向いた話をしよう。
「ぶっちゃけ今の俺はアイツのこと、もうなんとも思っちゃいない」
誰かに話すため思い返さなければ、顔が浮かんでくることもないくらい。
「いなくなった二年後に〝連絡〟が来て、それを聞いて一気にどうでもよくなった。自分でもよくわからんけど、突然『あぁ、もう知らね』ってなったんだよな」
本当の意味でいなくなって、繋がりが切れたように思えたとかそんなんじゃない。そもそも、あの春日叶が本当に死んだのかという疑いすらある。
家を出て、たった二年ぽっちで野垂れ死にするようなタマか? なんやかんやで死を偽装して、それこそ現実感のない一大スペクタクルに巻き込まれていた……と言われた方がまだ説得力があるね。
父上も母上も、失踪した息子がくたばったにしては数年程度で吹っ切れ過ぎている。また、例によって俺に知らされていない何かがあるのやも――
とまあ、そんな適当な思考を面白半分で浮かべられる程度には、
「俺も吹っ切ったというか、忘れたよ。とっくの昔に」
そして、置き土産の方も少しずつなんとかなりつつある。元より、俺はそのために【Arcadia】を求めたのだから。
「それはそれとして、わかりやすく『違う自分になれる』っていうのに惹かれたんだろうな。現実なんて関係ない、データの身体に乗り移ってさ――まさかのVRE判定を喰らって、一番変えたかった顔がそのままになったのは想定外その一」
当時は遂にバイトと勉学を両立させる修羅道を突破した解放感から、まあ仕方ねえ程度にサラッと流したものだが……逆に言えば、その時点で『仕方ない』と割り切れる程度には俺の心も回復していたということで。
「で、仮想世界デビュー当日。ビックリするぐらい可愛い女の子に、出会いがしら額で顎を撃ち抜かれたのが想定外その二」
「…………………………私だって、痛かったです」
「そこはまあ、お互いさまってことで」
十数分ぶりくらいか。小さいながらも声を聞けたことが嬉しくて、我ながら気の抜けた笑みが零れてしまった。
「そんでまあ、魅力的な女子なんて俺が忌避する最たるものだったはずなのに……なんでかな。まっっっっっっっっっっっったく、抵抗感がなかった」
それどころか、あの時の俺は難しいことをなにも考えちゃいなかった。ただただ突然現れた少女に目を奪われて、極自然に高揚までしていた。
暗い森を歩く内、なんの恐れもなく、春日希としてではなく、
ただ、俺は俺として。
「この子と冒険したいって思ったんだ――想定外、その三だな」
まだ、口には出来ないけどさ。
それもある意味、一目惚れってやつだったんじゃないかな。
「そしたら、後は……あー、なんだろうな。もう言いたいことは大体言った気がするし、その後も想定外の大洪水だったって〆で過不足ないんだが……」
あまり引き延ばしても、意味はない。早く楽にしてやりたいし、ここらでさっさと結論に入ってしまうべきかな。
俺も、それを早く伝えたいと思っていたから。
「ソラ」
縋り付く小さな身体を抱き留めて、名前を呼ぶ。
そうされることが好きだと、俺にそれを求めてくれると知っているから。
「俺、ソラのことが好きだよ」
躊躇いなく、言葉を伝える。
彼女は決して、その意味を違えないとわかっているから。
「だから、難しいことはひとまず全部さて置いて……とりあえず『これだけは絶対』ってのを伝えるから、心して聞くように」
言う必要、あるかなって思う。
腕の中で少しずつ身体の力が抜けていく彼女には、言葉にせずとも既に百パーセント伝わってしまっているという確信があるのだが。
「もし関係性が変わっても、いなくならないって約束する」
「…………」
「むしろ、ずっと傍にいて見張っててくれよ。俺が恋愛どうこうで、自分でも気付かない内におかしくならないようにさ」
「………………なに、言ってるか、わかってます……?」
「わかってるとも」
とんでもないことを言っている自覚はある。凄まじく傲慢で独り善がりなことを言っている理解もある。けれど、
「誰かの気持ちに向き合うって決めたなら、俺がまず見ないといけない人は、最初から決まってた。無視して一人で勝手に歩き出すなんて、できないよ」
どこぞのお姫様の言葉に、今ようやく『否』を叩き付けよう。
俺が前に進むために、悪者という肩書きは独り占めさせてもらうからな。
「約束してくれ、俺を見てるって」
「…………ハル」
「そしたらずっと、俺は隣にいるから」
「……ハル」
「鬱陶しいくらい、傍にいるから」
「ハル」
「もう一人にはしないから、絶対に」
「…………っ……」
互いに、顔は見ない方がいいだろう。まず間違いなく、二人揃って酷いことになっているだろうから。今はただ、
「だから……教えてくれるか、ソラの気持ち」
言葉を聞かせてくれれば、それでいい。
彼女の事情は未だわからずとも、抱えている恐れがなにかという推察に疑いはない。ソラはとにかく、大切な相手を作ることを怖がっている。
きっと、その先の『失う』ことを恐れているがゆえに。
だから俺が示すのは、決していなくならないという約束。弱みを曝け出した上で、自身では信用ならない春日希を見張っていてくれという交換条件の提示。
依存でもなんでもいい、今更だ。
互いの心が必要とし合った上で寄り添っているのだから、他の誰かに文句を言われる筋合いなどない。知ったことかよ。
今これから、彼女に想いを口にさせる責任は――
「……………………私、は……」
「うん」
三つ目にして、一つ目の想いを伝えられる覚悟は――
「……、…………わた、しはっ……」
「うん」
独り善がりに暴き出した、少女の想いと向き合う決意は――
こっから先、全部丸ごと俺が背負う。
顔を上げた少女の、空色の瞳と視線が絡む。
水滴に濡れた二粒の空は、見慣れた琥珀色を思わせる強い煌めきを伴って――
「あなたが、好きです……」
目を逸らせぬほど、途方もなく、綺麗だった。
シリアスとかもういらないから。
突然の連投にお付き合いいただき、ありがとうございました。
長々とした過去編とかいうまどろっこしいものをぶちまけるつもりはございませんので、ここから先はいつもの砂糖漬けストーリーをお楽しみに。