越境
大切な相棒の姉代わりであり母代わりであるとか、あれこれ助言と共に協力をしてくれたとか、諸々の赦しをいただけたこととか――
全部を踏まえた上で言わせてもらう。あのメイドいい加減にしろ。
仮想世界でソラに逃げられてしまうことは想定内だったし、その場合は四谷の御屋敷で〝場〟を設けてもらうことはあらかじめ予定されていた。
またも千歳さんにご協力願い、ここまで送迎してもらったのも手筈通り――しかしながら、あんな風に突撃を仕掛けるなんてのは冗談抜きで計画外。
あまつさえ……。
「「………………………………」」
ソラのお部屋で、こうして二人で取り残されるなんて想定外も甚だしい。
正気? ねえあのメイド正気なの? 真向から『好きじゃない』とか言っといて、男を最愛のお嬢様の自室に放り込んで即撤退かますとかなに考えてんだよ。
いやむしろ、好かれていないからこそ……むしろぶっちゃけ嫌われているまであるのかもしれない。ゆえに、これは俺を貶めるためのメイドの策略である可能性が無きにしも非ず――
「…………………………二度目、ですね」
「っ……あ、なに?」
申し訳ないが、こちとら覚悟は別の案件に丸ごと占有されている。突発的なイレギュラーを冷静に対処する程の余裕なんてありゃしないのだ。
…………けれども、落ち着け。大丈夫だ。
「……ごめん、二度目って?」
基本的に、ソラと夏目さんの二人が住んでいる形だからだろう。四條のそれと比べれば小さめなれど、『お屋敷』と呼ぶに相応しい四谷邸。
その邸宅にすら初めて足を運んだのだから当然だが、ソラさんの部屋もまた初見。無遠慮に見回すわけにもいかないのでパッと見、全体的に物が少ない。
広さに関しても、同じお嬢様である楓の部屋と比べるべくもない『普通の部屋』程度。置かれているのは机と、ベッドと、そして【Arcadia】の筐体くらいだ。
「現実世界で会うのが、です」
そんな部屋のド真ん中。貸し与えられたクッションに腰を下ろしながら問えば、身を守るようにベッドの端で固まっているソラが答えを返す。
件のメイドとは違い、しっかり警戒心を持ち合わせているようで誠に結構だ。
「そ、っか……結局、あれからこっちでは会ってなかったっけ」
初めて彼女と――四谷そらと顔を合わせた日。四柱戦争を終えて、あらゆる意味で俺が現実に吞み込まれていた一ヶ月前。
一ヶ月、まだそれしか経ってないのか。そんなことを思い意味もなく笑みを零せば、俺をジッと見据える空色の瞳が僅かに眇められた。
怒っている、そう見せたいのだろう。
「なにしに、来たんですか」
そしてまた、漏れ出しそうになった笑みを呑み込む。細められた眦、硬い声音、強い言葉選び……本当に、この子はずっと変わらない。
いつまで経っても――怒るのが、下手なままだ。
「ソラに会いに来た」
「…………少し、一人になりますって言いました」
その言葉をもって、彼女は俺に『一人にしてください』とも言ったのだろう。もちろん、読み取っているとも。
でも、
「お断りだ」
答えは既に決まっている。より正確には、それは回答ではなく――
「ソラが言ったんだぞ」
「……な、なにを言っているのか」
「『ずっと私のパートナーでいてください』ってさ」
交わされた約束に基づいて、俺が全うするべき使命でもある。
「これまた散々、ソラが言ってたことだ。パートナーってのは隣に並んで、支え合うものってな。俺、忘れてないぞ」
それは、二つの意味で。
彼女が言葉にしていた『相棒』という存在への理想も。そして彼女が自らの言葉を全うするように、何度も何度も俺の心を支えてくれていたことを。
「だから、支え合わなきゃな。今度は俺の番ってだけだよ、当然だろ?」
「…………、……なに、言ってるのか、わかりません」
「まあ、そうだよな」
俺たちは、互いの心が見えている――それが、おかしいんだ。
なぜなら俺たちは、相手のことなど何一つ知らない他人同士。俺は【四谷そら】のことを知らないし、ソラは【春日希】のことを知らないまま。
それなのに、あの世界で通じ合ってしまった。パートナーであるにしても行き過ぎだと、周囲から呆れられてしまう程までに、深く。
だから、歪んだ。
相手のことを何一つ知らないのに、相手のことが誰よりもわかる。その上、言葉を交わさずとも互いが〝なにか〟を抱えていることさえ察して、相手の求める姿で在り続けていた――異常も異常、まともではない。
だから、擦れ違った。
だから、もう俺は臆さないし躊躇わない。
「俺は、恋愛を憎んでた」
「――――……待、って」
それは、お互いに不可侵を守り続けていた〝なにか〟の片割れ。
「ソラの抱えているものだって……詳しい事情は知らないけど、まあわかってる」
「ダメです、やめてくださいっ……」
それは、相手を守るつもりで引いていた〝線〟の越境。
重ねて――俺はもう、躊躇わない。
「――失うことが怖くて堪らない。もっと言えば、大切な相手を作れない」
「――――――っ‼」
勢いよく立ち上がったソラが、真直ぐに俺へ歩み寄ると手を振り上げた。
その平手がどこへ向かおうとも、文句を言うつもりは更々ない。けれども俺が目を逸らさず、避けようともしなかったのはそれが理由ではなく。
「っ……、…………っ……!」
涙も流さぬまま泣き顔を見せる彼女が、力なく崩れ落ちるのがわかっていたから。初めから行き場などなかったその小さな手が、
「……なん、で」
縋り付くように俺を求めることが、わかっていたから。
そう――
「……わかってた、だろ? 仮想世界でも、現実世界でも」
《以心伝心》なんて、端から俺たちには必要がなかった。俺もソラも、互いのことなんて一つも語り合ったことなどないというのに、
「俺が今なに考えてるか、全部わかるだろ」
「…………」
俺たちの不可思議な通心は、一方通行ではない。だからこそ、俺たちは互いを知り合う必要があった。
知らずとも通じ合えるだなんて、信じ合うフリをするのではなく。
「…………全部なんて、わかりません」
「それはまあ。でも俺は、今ソラがしてほしいことなら大体わかって――ちょちょちょ待っ、急に暴れなさんな! しない、しないから!」
少なくとも今はまだ、小さな身体を胸で受け止めるくらいが精一杯だ。
……そこから先を、もし彼女が望むなら。
「ソラ」
返事はなくとも、意志は伝わる。
「そっちのことは、無理に話せとは言わない。だけど、もう俺のことは全部ぶっちゃけるから聞いてほしい」
「……ハルだって」
「俺は無理するわけじゃない。聞いてほしいから話す――俺のこと、知ってもらいたいから話すよ。まあ……楽しい話じゃ、ないんだけどさ」
だから、本当に今更ながら――
「聞いてくれるかな」
「……、…………………………はい」
先伸ばし続けた、春日希の自己紹介をするとしよう。
「俺さ、兄弟がいたんだ」