駆けて
別に、誰かさんとの焼き直しをしたい訳じゃない。剣を交えて心をぶつけ合うなんてファンタジー体験を、意図して起こそうとしている訳じゃない。
これは本当に、単なる俺の独り善がり。
言いたいことを洗いざらいぶちまけるよりも先に、思い出すだけではなく明確に〝あの頃〟の感情を取り戻したいと思っただけのことだから。
もう本当に、ソラはハテナで一杯だろう。いつもの唐突な思い付きに比べても、輪をかけて意味の不明瞭な突発イベントだ。
付き合ってくれているというだけで、有情も有情。
加えて言えば――
「ふ――……ッ‼」
「づぁッ……っと!?」
俺が事前にステータスを調整してイーブンになっているとはいえ、言葉通りの『本気』でこちらを押す勢いを見せてくれているのだから……そりゃもう、願ってもないというかなんというか。
懐かしき『癖』を克服してからの彼女は、センスで言えば元より俺の上を行っていた。俺が今に至るような精密な身体操作を磨き上げるキッカケとなったのは、本人にその気はなくともソラの動きに見惚れさせられたから。
そんな彼女が技を磨き、果てしない大舞台すらも乗り越えた今――
「いや、マジか……ッ!」
「まだ、です‼」
あらゆるものを縛った特殊ルールとはいえ……事実として。単純な剣の技量のみで俺に拮抗するのも、不思議ではないと言えるのだろう。
迷いのない、強烈な打ち込み。真向から受けた鉄剣が軋み、咄嗟にいなそうとすれば逆に滑り込んできた刃に危うく手指を落とされそうになる。
一歩後退――読まれている。剣を後方に振り切った半身の体制から、手首のスナップでまさかの投擲。反射的に更に一歩退くも、直前まで俺が足を置いていた地面を穿った直剣を掬い取り、左手から右手へと型を変えての追撃。
身体がいつもほど軽くない、回避が間に合わない。
判断は即座。ソラの次撃の軌道を推測し、無理な態勢から機先を潰すように剣を振るえば――カクンと、少女の膝が折れて、
「――――ッ」
違う。彼女が自ら膝を折り、俺の真下に潜り込んだのだ。
それは、まさしく。
それらは、まさしく――ソラが見ていた、誰かの姿を写したもの。
「……っ…………、ご、ごめんなさい……」
動きを止めた少女が、息を切らしながら言葉を紡ぐ。
彼女自身、驚いたように瞳を揺らしながら。
微かに震える声で、しかし剣を握る手は揺れることも震えることもなく。
「…………」
ピタリと、俺の首筋に刃を突き付けたまま。
「やっぱり、あの……対人戦は苦手、みたいです」
店売り品の初期装備がクリーンヒットしたくらいで、さしもの俺とて一撃でHPが全損するまではいかないだろう――その程度は、ソラもわかっている。
けれど、いつか彼女自身が『俺に本気で剣を向けることは無理だ』と口にしていたように、やはりここが限界だったらしい。
それでも、あの時とは違うことが一つある。
「俺、本気だったぞ」
「ほ、本当ですか? なんだか、いつもより動きが鈍かったような……」
「そこはあれ。今の俺、ソラとステータス振り同じになってるから」
「へ? なん……へ???」
いやまあ、そこはわりかしどうでもいい。俺が勝手にやりたいことをやっただけだし、一月後にはまた弄れるしな。
同じと言っても近接戦に直接影響するSTRとAGIを合わせただけだから、そこまで大幅な変調というわけでは……少なくとも、動かす分には全く問題ない。
ともあれ、なにが言いたいかといえば――
「お見事だったよ、本当に。今更感はあるけど……正真正銘、先生役は返上だな」
「………………」
ジッと俺を見つめる琥珀色の瞳が、なにを思っているのか。
数秒の間を置いて浮かべられた微笑の奥には、なにが在るのか。
「そう、ですね」
本当に、しつこいようだけど。
「――今、なに考えてるのか当ててみせようか」
「え……?」
俺はもう、わかっているのだ。
「繋がりが、ひとつ消えた」
「――――――」
ふっと、微かに。ほんの微かにだけ、ソラの表情が強張った。
それはおそらく、俺がなにかを言い当てたからではなく――俺がそれを、真向から言葉にしたからなのだろう。
俺がわかっているように、ソラもわかっている。
互いの心なんて、ずっと前から。
そして、今この瞬間――俺は二人で一緒に引いた『線』を、決して侵すことはないと信じ合っていた『線』を、無遠慮に踏み越えたのだ。
彼女にしてみれば、前触れのない、唐突な、予想だにしなかった裏切りか。
そうは思わない。ソラは知っていたはずだ。
「………………」
動かず、ただ視線を返す俺を見つめている相棒は、
怯えたように、瞳を揺らしている少女は、
泣き出しそうなほど、悲しい顔をしたソラは、
「………………ごめんなさい」
ただ一言、震える声を残して。
「……少し、一人になります」
止める間もなくウィンドウを叩き、意識を切り去っていった。見送った俺は、糸が切れたように崩れ落ちるアバターを受け止めて、
「………………さて」
そのまま少女の抜け殻を丁重に抱き上げて、街へと踵を返す。
こうなることは、まあ大体予想通り。今このタイミングであるとは思っていなかっただろうが、彼女が『その時』を考えていなかったはずがない。
最後に見た、あの表情を思い返す。
「きっと『お互い様』って言うんだろうけど、年上の男って時点でなぁ……」
どちらも動くべきではあったとはいえ、だ。どちらも動かなかったとして、より情けない方が俺であることは疑いようもないだろう。
ゆえに、腕の中の半身越しには、届かないことを知りながら。
「――待ってろ」
語りかけた言葉は、遅れに遅れてしまった覚悟の顕れ。
「もう一人にしやしないからさ」
駆けるこの脚は、ただ君を迎えに行くために。