夏目斎
思えば、初めから俺に対する好感度が謎に高かった『彼女』と顔を合わせるのは三度目のこと。そして三度とも全てがこの場所であった。
「――どうぞ」
「ありがとうございます」
隠れ家的な運用をされているらしき『事務所』にて、そんなメイドさんから珈琲を供されるのもまた三度目。ただし、今回がこれまでと違う点は、
「さて……それでは、ご用件を伺いましょうか」
彼女――夏目斎が、机を挟み目前へ着席したこと。
徹吾氏に付き従う立ち姿しか目にしていなかったため、静かに腰を下ろし落ち着いた様子を見るのは初めてだ。こうどっしり構えられると謎のオーラが……なんて内心で慄いてしまうのは、己が立場の弱さを自覚しているがゆえだろうか。
ともあれ、気合を入れて臨むとしよう。
「まずは……改めて、急なお呼び立て失礼しました。時間を取っていただいて、ありがとうございます」
「お気になさらずに。メイドは意外と暇ですので」
昼過ぎに〝返事〟を貰ったときと変わらず、気にした風もなく快い反応を見せるメイドさん。正直、今はその泰然とした様子が少し怖い。
俺が一方的にビビっているだけなのは間違いないのだが、四谷関係者の中で断トツこの人が読めないのは事実であるからして。
「ふふ、なにやら緊張されていますね」
「……白状しますと、若干。つまり、緊張するべき用件という訳で」
「なるほど。それでは、私もそのつもりで真面目にお聞きしましょう」
絶やされることのない穏やかな笑み、そしてメイド服という現実感のない装いのコンボから繰り出される圧――いかん、怯むな。また一人相撲になる。
「話というのは、ソ……夏目さんのお嬢様に関することで」
「そうでしょうね。それと、気にせずそらで大丈夫ですよ。私のお嬢様は、お嬢様と呼ばれると拗ねてしまう困った子なので」
「は、はぁ……」
「それから、私相手にそこまで緊張する必要はありません――和晴さんからなにを吹き込まれたかは存じませんが、私はただの美人で優しいメイドさんですよ」
「………………」
やべぇ。
この人、マジで思った以上に掴み所がねぇ。
「では、その……単刀直入に――」
「その前に、ひとつだけ」
いつまで経ってもペースを譲ってくれないメイドさんに、またも会話の手綱を持っていかれてしまう。本人の言う通り真面目というかおふざけの気配は感じないのだが、どうにもフワフワというか……。
なんというかこう、暖簾に腕押し感が強い。
「今回、私を呼び出したあなたの〝立場〟を聞かせてください」
「立場、ですか」
「はい。ソラのパートナーとしての【Haru】であるのか、そらの婚約者としての【春日希】であるのか……答えによって対応を変えるつもりはありませんので、気兼ねなくお答えください」
私が個人的に知りたいだけですので――と、どう足掻いても『気兼ねなく』というのは無理がある意味深な問い。
なんと答えるか、一瞬迷う。けれども冷静になれば、難しいことを考える意味も理由も必要も端からありはしなかった。
「考えてないです。なので、答えは『特に無し』で」
首を傾げたメイドさんが黒い瞳で俺を見つめ、どこまでも柔らかい視線で言葉の先を促してくる。それはまあ当然だよな、と。
「パートナーとか婚約者……後者は偽装ですけど。どちらでもないというか、名前の付いた関係性云々はこの際もうどうでもいいというか」
恥ずかしいことを言おうとしている自覚はある――けれども、俺はもう躊躇わない。誰かさんを見習って、自分の意志で『求められる俺』で在ると決めたから。
「ただ『ハル』として、『ソラ』に伝えたいことがあります。話したいことがあります。確かめ合いたいことがあります。謝りたいこともあるし、教えてほしいこともあるし、約束したいこともあるし……他にも沢山、いろいろと」
「…………」
「立場とか、関係ない。ただ俺が、あの子に言わなくちゃならないことがある」
ジッと俺を見る夏目さんは、怖いくらいの無反応。瞳も揺らさず、表情も変えず、ただただ真直ぐに俺の目を見据えて――
「春日さん」
「はい」
再び口を開いたとき、彼女は初めて笑っていた。
「正直に申しまして、私はあなたのことが好きではありませんでした」
「……はい」
理由は、いくらでも思い浮かぶ。噛み締めるように頷けば、しかし夏目さんはキツい言葉とは裏腹にころころと微笑んでみせた。
「勘違いしないでくださいね。私の可愛いそらの心を攫ってしまった〝騎士様〟に、嫉妬していただけですから。なんだこの野郎って感じでした」
「なんっ……は、はい」
「ですから、あなた個人に対して思うところは特になかったんです。言い換えれば、興味ゼロですね。あくまで私個人が向ける目は、ということですが」
「……、…………」
どういう反応をすればいいのやら戸惑う俺を置いて、奔放な言葉を使い始めたメイドがつらつらと言葉を並べ立てていく。
「そらの人を見る目を……というより、あの子が〝懐いた人〟を信用していましたから、嫉妬を除いて悪感情はありませんでしたよ。『危機管理がしっかりしているのは高得点』なんて偉そうなことも言ったように、諸々評価はしていました」
「そ、それはどうも……」
「ですがそれはそれとして、つまらない人だなとも」
にこりと、向けられた綺麗な笑顔が刺さる。
「比較して、という意味になります。私が初めて見た『曲芸師』は、もっとずっと楽しそうな人でしたから」
「……四柱のとき、ですか?」
問えば、夏目さんは頷き楽しそうに「ふふ」と笑みを零した。
「恥ずかしながら、私は仮想世界のことをよく知りません。四谷に仕えておいてなにを……と思われるかもしれませんね。いまいち興味が湧かないというだけなので、理由を聞かれても困ってしまうのですが」
「はぁ……」
「けれど、そんな私の目にすら――あのときのあなたは魅力的に映っていました。期待したんですよ? この人なら、私の大切なお嬢様を守ってくれるのではないかと。隣で、あの傍若無人な笑顔を絶やさず……手を引いてくれるのではないかと」
ぼ、傍若無人……。
「それが現実世界で出会ってみたら、ちょっと気が遣えるだけの普通な男の子だったんです。言葉を選ばず失礼しますが、正直期待外れでした」
「……………………………………その、面目次第もなく……」
「ですので、この場をもって謝罪させていただきます」
「はい……?」
こちらも正直、もう全く付いていけていない。会話回しが自由過ぎるというか、このメイドやはり四谷関係者の中でも比類なきほど――
「今のあなたは、十分……いえ、八分程度は魅力的です――現実に竦んで、猫を被っていましたね? 春日希さん」
我が道を行く、メイドさんだ。
「答えによって対応を変えるつもりはないと言いましたが、撤回します。今の春日さんが相手であれば、私も無駄に気を遣う必要はないと存じますので」
「は、はい……あの、いえ……あの…………えぇ?」
「そういう訳ですから、改めて用件を詳しく伺いましょう。春日さんも私に遠慮をする必要はありませんから、なんなりと」
「なんなりと、と申されましてもですね……」
三十秒だけ待って欲しい、マジで。
俺もこの場に参じるにあたって様々なパターンはシミュレートしていたが、ここまでこのメイドが自由人全開ではっちゃけるなどとは予想だにしていなかった。
いやまあ確かに、形はアレでも欲しかった言葉は貰えたんだけどさ……。
「ちなみにですが、なぜ私を選んだのかをお聞きしても? そらに関することでしたら、碌に関わりのなかったメイドよりも旦那様の方が適任……というより、春日さんとしては動きやすかったかと思いますが」
「あー、と……それに関しては」
それはまさしく、欲しかった言葉――『俺のことが好きではない』と言ってみせた彼女こそが、誰よりも適任だったからに他ならない。
「夏目さんは絶対、俺の味方にはならないだろうと思ったので」
俺が欲しいのは、援護ではない。己が覚悟を〝判定〟してもらった上で、絶対的にソラだけの味方である人から『お赦し』が欲しかったのだ。
ゆえに、夏目斎しかいなかった。そう思惑を語れば、
「春日さん」
「はい」
「やはり、そちらのあなたの方が魅力的ですよ」
「……恐縮です」
大切な相棒の姉でもあり、母でもあるというメイドさんは――柔らかく目を細めて、楽しげに微笑んでみせるのだった。
目指せパーフェクトコミュニケーション。