未だ遠く
行き当たりばったり上等――とはいえ、流石に俺もソラも唐突な長旅へと繰り出すほど、現状テンションやらバイタリティやらが溢れているわけではない。
良くも悪くも、先日の疲れとやり切った感が抜け切らない状態だ。やはり今しばらくは、仮想世界での活動は緩いものになることだろう。
といった具合なわけで、そしたらなにをするか……仲良く隠密外套を被り、不審者プレイをしつつの散歩がてら。行先について適当に話をしていると、珍しくソラさんから案というか希望が出されたので一も二もなく可決となった。
なにかと言えば、アバター操作の練習に付き合ってほしいというもの。
どうも【神楔の王剣】戦からの【白座のツァルクアルヴ】戦で立て続けに俺の全力全開機動を見たせいか、自身の身体操作精度に磨きを掛けたくなったらしい。
いろんな意味で天井知らずにおかしなことになっている自覚がある俺を見て……というのが若干アレだが、向上心があるのは良いことである。
ゆうてソラも身体駆動と思考操作、後者に寄っているとはいえ操作精度は相当なもんだが、本人が更に上を望むなら助力を拒む理由などない。
……と、いうことで。
「――はい、捕まえました」
「えぅう……っ!」
先方へ連絡が通るや否や、お連れしましたのは我が師の居城。
元は俺が頼まれたのだから、俺自身が助けになるべきなのでは? などと一瞬なり迷いはしたが……折角『最高の先生』がお暇だと言うのだから、ここは頼っておいた方がベストというか得だろう。
ソラさんは【剣聖】様大好きっ子だからな。早速あの『鬼ごっこ』で中々に容赦なく揉まれているが、満更でもない表情がちっとも隠せていない。
無限に楽しんでくれてていいぞ。俺はその横で慎ましく刀を振っているから――などと思っていたら、どうもあちらは休憩タイムのご様子。
始めてから、大体五十セットくらいだろうか。特設リングの囲いに凭れてダウンしたソラの様子を窺った後、お師匠様がこちらへやって来る。
「ウチの相棒はどうですか?」
「将来性は無限大、といったところでしょうか」
ふわりと微笑みながら返された評価は、まさしくあの少女に相応しいものと言えるだろう。アレで、まだまだまだまだ発展途上なわけだからな。
「ハル君の方は、調子はいかがですか?」
「まずまず、ですかね」
「正直に」
「あー……ならまあ、絶不調です」
ただし、本来の姿である場合は除く――単純な話、まだ転身後の身体に慣れていないというだけだ。
身長も体重も違う、重心バランスも違う、なんなら骨格からして全くの別物。
システムのアシストが働いているのだろう、普通に動く分には特に問題ないのだが……ところどころで生じる微妙な違和感が、戦闘中の繊細な身体操作に致命的なエラーを生じさせる可能性は拭えない。
ので、こうして女の身体でも刀を振り感覚の調整中というわけだ。
「…………ふふ」
そして、そんな俺を見つめてふふりと穏やかな笑みを零すお師匠様。
ええ、わかっていますとも。澄まし顔の女子が死ぬほどガーリーな格好で刀を振っているという図が、中身が俺であるという点も加味して絶妙なシュールさを醸していることはね。
……という内心を読まれたのか、読んだ上でどう解釈されたのか。
「揶揄っているわけではありませんよ。成長に感心していただけです」
「成長……してます? 今この瞬間は退化してるまであるような……」
「そんなことはありません」
卑下でも謙遜でもなんでもなく、素直な疑問を呈するも一刀両断。その後、差し出された手の求めるところを察して【早緑月】を手渡せば――
「…………………………………………ほぁー」
二歩、三歩と離れ、そのまま歩むような自然さで刀を振った師の姿に一瞬で目を奪われる。剣舞と称すことさえ憚られるような、そよ風の如き柔らかな閃き。
彼女が俺に伝えた、我が身を刀と一体にする結式一刀の型。
「――これが、私の剣。ですが、ハル君の剣は少しずつ変わっています」
「…………自覚はしてます」
けれど、俺の中に植えられた原点は少しずつ……戦いを経る都度、本当に少しずつその形を変質させ始めている。
俺としては、それを〝ブレ〟と感じて危ぶんでいたのだが――
「それが〝成長〟です。私が伝えた私の剣を、あなた自身が、あなただけの剣へと昇華し始めている証ですよ」
「………………」
どこぞの大好き侍ほど極端ではないにしろ。心のどこかで、俺も彼女と『結式一刀』を神聖視してしまっている覚えはある。
ゆえに彼女の教えが俺の中で変質するのを、どうしても成長や研鑽ではなく〝劣化〟のように感じてしまう。もちろん、そんなことを口には出せなかったが。
「――ハル君」
出せなかった、けれども。
こと剣について……刀についての迷いなど、この人に隠し通せるわけもなく。
「迷わず進みなさい。あなたの征く先にある剣を、私は見てみたいです」
「…………承知しました」
差し出された【早緑月】を受け取り、つい首を垂れれば優しく頭を撫でられてしまう。勘弁してください、間違いなく相棒の目に入っています。
「ふふ……さて、それでは」
悪戯っぽく微笑んで、横を擦り抜けたういさんがソラのいるリングへと歩み出す。背中越しに向けられた瞳に促され、ついていけば――
「折角ですから、久しぶりに本気の手合わせでもしましょうか」
「えっ」
「趣向を凝らして、お二人と私で二対一なども楽しそうですね」
「えっ……」
穏やか極まる柔らかな声音で放たれる、唐突なお茶目。
その後、ダウンから復帰したソラと俺のペアで【剣聖】様との『お手合わせ』に挑んだのだが――結果がどうなったかなど、言うまでもないだろう。
偉大で小さな師の背中は、まだまだ彼方の先にあるようだった。
なお、糸は使っていないものとする。