引き継ぎ
部屋の主が顔を出したのは、ベルを鳴らしてすぐのこと。
不思議そうに首を傾げながら、扉を押し開いた体勢で「どうしたものやら」と固まる青年の反応はなにからなにまで至極当然。
なので、お話はこちらから。
「またの機会、あっという間でごめんなさい。ちょっとお話したいことがあるので、少しだけお時間いただけますか?」
無駄を省いて求めるところを切り出せば、彼はパチパチと瞬いた後――
「えーと……お時間はいくらでも平気ですけど」
と、言葉での答えはすぐに返してくれたものの、困ったように部屋の内と外へ視線を行ったり来たり。
大方、言う通り『時間』は良くても『場所』をどうすべきかと悩んでいるのだろう。ひよりとしては「いいですよ、さあどうぞ」などとノータイムで軟派な対応をされずに安心一つといったところか。
ただし、こちらからの遠慮はやはり省かせてもらう。
「玄関までで構わないので、少しだけお邪魔したりは……流石に、ダメです?」
「いや、まあ……いろいろダメだとは思いますけど」
と、戸惑いの表情を深めながらも大きく溜息をついて、
「親友のこと、でしょう。そりゃまあアレコレ言いたいことは山程あるでしょうし、雰囲気的に真面目なお話だろうってのは伝わりますんで……」
更に言いつつ、彼は扉を押さえるままに身体を横へずらした。
「――――保護者的な御方として、特例の招待ということにしときましょう」
案内されたリビングの造りは、先に見た友人の新居と全く同じもの。男の子らしからぬ……というのは偏見かもしれないが、隅から隅まで綺麗なものだった。
間違いなく数日と経たない内に、ひよりの友人が住むことになる部屋の方が散らかることだろう。きちんと掃除もできるというのは高得点である。
……なんて、別に小姑じみたことをしに来た訳ではない。
「どうぞ、良ければ」
「ありがとう。いただきます」
来客用の備え、なのだろうか。カフェのチェーン店で見るような、お洒落な紙コップで供された珈琲に礼を言う――言いつつ、呑み込むのは苦笑い。
気を遣われているのは理解できるのだが、少々行き過ぎというか行き届き過ぎである。わざわざ封を破いて新品の紙コップを用意してみせたのもそうだし、珈琲を淹れている最中の行動もそう。
わざわざ手元が常に見える形で作業をしているものだから、妙にやり難そうにしていて意図にはすぐ気づいてしまった。
状況が状況なので気持ちはわかるものの、だからこそ逆にひよりの方が申し訳なく感じるレベルの人畜無害アピールである。
いつだかニアがぽろっと『年下』と零していたことから、自動的に自分にとっても二つ以上は年下ということだが……困ったことに、全くそうは見えない。
流石は名高き序列持ちと、無理矢理に納得するのが吉なのか――けれども、そうさせてしまった身として謝りくらいは入れておくべきだろう。
「ごめんなさい、気を遣わせてしまって」
「はは……まあ、互いの不安を取り除く意味でも、徹底しとくべきかと思い」
そう言って笑う彼は、机を挟んで席に着いた今と同じく。ひよりを部屋へ招き入れてからというもの、家具その他で『壁』を維持し続けている。
ありがたいような、申し訳ないような、可哀想なような。
現在進行形で大騒ぎになっているスキャンダルに関しては耳に入っているので、この人も大変なんだろうなと多少なり同情が浮かぶ。
複数の異性から思いを向けられるという意味では、スケールは違えど似たような経験は山程あるゆえに――まあ、それはそれとして。
「それじゃまあ……お話とやらを、聞きましょう」
あちらは耳を傾ける用意ができたようなので、こちらも手早く要件を伝えていくとしよう。『すぐ戻るよ』と言ってしまったのだから、できる限り迅速に。
「では早速……あの子の境遇については、どこまでご存じなのでしょう?」
「ニアについて、ですよね。現実の話でしたら、正直言ってほぼなにも」
返答に首を傾けて見せれば、ほぼの詳細を促されたと察したのだろう。
「失声症というのは聞いてます。いつとか何故とかは知りません。今のところは知る必要もないかなと思って、質問もしてませんから」
「…………なるほど。ちなみに、声に関することは本人も他人に隠したりはしてません。リリアも気にしないと思いますし、説明しちゃいましょうか?」
「んー……? いや、それが本題って訳でもないなら必要ないです」
「……あ、えと、ごめんなさい」
出過ぎた真似――というわけでもない。彼女と近しいがゆえ、互いに思っていることや許されることを知り尽くしているがゆえの確信に基づいた軽口。
けれども、第三者からすればそうとは思えないだろう。
努めて澄まし顔をしていても、テンパっている自分自身は誤魔化せないということか。らしくもなく、いきなり距離感を間違えてしまった――
「あぁ、いや、別に『そういうことは本人の口から』って訳じゃないですよ。単純に、興味がないから必要ないって意味です」
と、取り繕おうとしたひよりに彼は涼しい顔でそう言った。
強い言葉。しかしながら、表情を見るに意図して選んだものだろう。それがどういう意味かは……まあ、今のところは後回し。
穏やかな栗色の瞳は、ひよりに話の先を促している。
「まあ、そうですね……いつとか何故は確かに関係ないんですけど、あの子が声を失くしていることには関係のあるお話です。意向に沿って詳細は省きますが」
「ふむ」
「端的に言えば、私はリリアの保護者兼監督役みたいなものなんですね。あの子が『声』を理由に日本へ来るにあたって、家族ぐるみの付き合いがあった私がお世話を任された……と、大体はそんな流れになります」
「ははぁ……ご両親は外国に?」
「エリさん……リリアの母親は、そうです。父親は日本にいるんですけど、なにぶん多忙な人なので全国を飛び回ってる感じですね」
「なるほど。それでこっちでは、三枝さんが異国のお嬢様の保護者代わりと」
「そうなりますねぇ」
「…………………………」
「…………………………」
「え、聞くにあなたも多忙な人なのでは?」
「あははー」
彼の疑問はごもっとも。ひよりにも仕事があり生活があり、かの友人と四六時中一緒にいることはできない――けれども、ニアも別に小さな子供ではない。
「あの子は元々引き籠り気味ですし、基本的に家から出ないので……まあ、必要な時に助けになれれば問題ありません。小さい頃からこっちには何度も来てましたし、文化や言葉の壁なんかは最初からありませんでしたから」
オマケに、元の棲み処も三枝家……というより、ひよりの家族が所有しているマンションの一室だ。当然の如く部屋も隣り合わせにしたし、セキュリティの問題もなければ他の雑多な面倒も大したことはなかった。
彼女が日本を訪れてから早三年。ひよりが手を焼いた『お世話』と言えば、当の初恋騒ぎを宥めたことくらいである。
「――ということで、これまでは身内の敷地内で安穏と暮らしていた訳ですが」
「ここへ移るにあたって、そうもいかなくなったと……」
「というか、引き継ぎの必要性が生じたと言いますか」
そこへ至り、彼の顔にようやく納得の色が浮かんだ。
「あぁ、なるほどな……うん、話の流れは大体わかりました」
飲み干した珈琲のカップを脇へ避けて、青年の瞳が真直ぐにひよりへ向けられる。話が早く、理解力も高く、態度も誠実。
また一つ、高得点である。
「あんな子だけど、実は結構しっかりしてるんですよ」
「知ってます。露骨に年下扱いされるときあるし」
「だから、そこまで心配してるわけではないというか。あの【剣ノ女王】様から直々に『責任をもってお預かりします』なんて言われちゃってますし、私としても安心してよろしくお願いしますくらいの気持ちなので」
「個人的には最近のアイツ――アイリスはちょっと暴走気味なんで、安心していい相手なのかは微妙なところだけども……まあ、ここのセキュリティに関しては信頼してもらっていいと思います」
「オマケに、お隣さんは頼りになる初恋の人だもんね」
「そ、な……………………」
不意打ちに弱い――というのは、どうやら情報通りだった模様。
してやられたと言わんばかりの表情を見せる青年にクスリと笑みを零しながら、ひよりは思い出したように掛けっ放しにしていたサングラスを外す。
「声が出せないって、不安なこと怖いこと一杯あると思うんだ。だから、できる範囲で大丈夫なので、一人にしないであげてほしい……というお話です」
「…………」
「幸い入館証はいただけたので、たまに遊びには来ますけどね。それでも今までみたいに、私がすぐ手を伸ばせる範囲からは飛び出してしまったので」
真摯な瞳を見返して、頭を下げる。
「リリアのこと、よろしくお願いします」
二重の意味で――なんて、ズルいことを言うつもりはない。
顔を上げて目に映った彼の表情は、それを正しく理解しつつも……当然というか、なんとも言えない困り果てたようなものだった。
「頼まれるのも、答えるのも、適任は俺じゃない気がするんだよなぁ……」
「ふふ、わかる……でも、お願いはキミにしたかったんだ」
「そりゃまた、なんで?」
「それはもう、決まってますよ」
意思の交換は、もう終えた。どちらからともなく固い雰囲気を解き、これまた揃って口調を砕けさせたのがその証拠。
そんなもの、誰が断れようものかと。そんな風に優しい苦笑いを零した親友の想い人に、三枝日和は悪戯っぽく笑いかける。
「人を見る目に関して、私が世界一の信頼を置いている友達が――あろうことか、一目惚れしちゃった殿方ですもの」
どちら譲りかは定かではない、友達によく似た得意気な笑みを浮かべながら。ようやく手を伸ばした珈琲は、ほんの少し冷めてもなお中々の味であった。
珈琲を淹れるのが上手。
また一つ、高得点。
省かれた詳細に関してはそのうち本人が話すでしょう、多分。