増えるお隣さん
段ボールがいくつか……と円香さんが言っていたが、正直言って『いくつか』と言われ想像するようなちょっとした数ではなかった。
ロビーから場所を移し、マンション地下にある駐車場へ足を運んでみれば停まっているのは迫真の中型トラック。「最近中型免許を取ったんですよー」とニコやかに笑った三枝さんに圧されながら荷台を拝見すると、座していたのは箱の山。
ちなみに、ゆくゆくは大型免許も取る予定だという。多趣味なのでとか本人は仰っていたが、趣味で特殊免許に手を出す女子が世界にどれだけいるのだろうか。
「――で? なにがどうなってこんな爆速ムーブになったんだ?」
というわけで、何度か経験のある引越しバイトのノウハウを活かしつつダンボールの山を車内から消し去った後。ラスト二箱を重ねて運ぶ道すがら、隣をちょこちょこ付いて来たニアに現状へ至った流れを問うてみる。
『昨日お誘いにOK出した後、お姫様ちょっとだけ抜けたじゃん』
「あぁ、何度か姿を消してたな」
『そんときに、千歳さんだっけ? その人にもう連絡入れたんだって。それで戻って来てから、住居を移るにあたって話を通す必要がある相手に渡してくれーって連絡先をもらったのね』
「ほう」
『で、それをパ……お父さんとひよちゃんに事情を説明しつつ渡しまして』
「事情……ってのは、どんな風に?」
『仮想世界関係のスカウトを受けたので、利便性その他の事情から引っ越しまーす……みたいな?』
「まあ、それっぽいか」
『すると、あたしのことが大好きな二人は予定も用事も放っぽり出して〝連絡先〟に電話を掛けて――あ、勿論だけど、信用に足る相手から預けられたってことは話したよ? 流石に【剣ノ女王】様の名前は日和って出せなかったけど』
「まあ、うん」
『けど、その電話を受け取った相手が結局【剣ノ女王】様だったというね』
「なにしてんのアイツ」
確かにちょくちょく会場から姿を消してるなとは思ってたけどさぁ……。
「それ、アーシェはなにをどうやって電話越しで本人証明したんだ?」
『あー……なんというか』
娘or親友から『信用の足る相手』と聞かされてはいるものの、誰かも知らされずに掛けた先で相手が世界一の有名人を名乗れば……まあ、大なり小なり疑いを持つであろうことは想像に難くない。
という疑問に対する答えは、ニアが示す端末の液晶に映し出されていた。
現代人の大多数が知っているであろう、覇権SNSのアプリ画面。そこに表示されている〝誰かさん〟が投稿した最新の呟きには、こう綴られている。
――『私は本物のアリシア・ホワイトです』
「マジでなにしてんのアイツ」
『あたしも正直ちょっと笑ったよね』
おそらくは、世界中のファンが〝姫〟の唐突なご乱心を案じたのだろう。返信やらなんやらを示すいくつかのアイコンの隣にある数字は、アプリが表示バグを起こしそうな勢いでとんでもない数値を更新し続けていた。
通話と並行してリアルタイムでこの呟きを見せられれば、そりゃまあ信じる他にないというものだろう。
『それでまあ信用問題は一発というか、あのアリシア・ホワイト様に責任を持ってお預かりしますなんて言われちゃ安全問題はクリアしちゃうよね』
「そう、だなぁ…………そう、か?」
ある意味で世界トップレベルのセキュリティの持ち主ではあるだろうが、膨大な話題や視線が向く先と考えれば逆の意味でも世界トップレベルだと思うんだが。
いやまあ、実質的にはアーシェと四谷が責任を持つというだけ……だから別にいいのか。実際に契約を結ぶのは俺なわけで、それも単なる建前な訳だし。
俺たちの現状と同じく世間に公表する予定もないわけで、現実でも仮想世界でもニアの立場がどうこうなったりはしないだろう。
……俺関連で既に騒がれてしまっているのは、まあ手遅れとして。
「それで……あ、ドア頼む」
いつの間にやら目前に迫ったゴールを見止めて、一旦会話を切り上げる。テテテと早足で俺を追い越したニアが扉を開けてくれるのを待って、俺やアーシェの部屋と同一の間取りへ足を踏み入れた。
位置関係としては、当たり前のようにお隣さん。
生活音どころか気配すら感じ取れるような厚みの壁ではないというのに、なぜ二人して当たり前のように密着してくるのか。
「これも衣装部屋でいいか?」
『ん、おねがい』
彼女が持ち込んだ荷物の内訳は、ほとんどがお洋服。
そりゃまあ大体の箱が軽いはずだという納得と、本当にこれら全部を使うのかという疑問が半分半分である。世の女性とは大体こんなものなのだろうか。
ちなみに、俺の部屋にあるウォークインクローゼットは物の見事にもぬけの殻だ。寝室にある馬鹿デカい箪笥すら使い切れていないのだから、さもありなん。
ということで、ラスト二箱を衣装部屋の端に積み上げて――
「はい、おしまいっと」
「ありがとうございますハルさん、ご苦労様でした」
『ありがとー!』
部屋の中であれこれ作業をしていた三枝さんとニア、それぞれから労いと感謝の言葉を受け取り無事にミッションコンプリート。
荷解きに関しては男の俺が手伝うべきではないだろうし、あとはもう引越しに関して力になれることはないだろう。部屋ってか家中にある最新式高級家電類の扱いに困ったら、その都度に助けを呼んでもらう方向で。
なお、ヘルプに馳せ参じても助けになれるかはまた別の話。自慢ではないが、俺もまだ部屋のポテンシャルを二割程度しか使いこなせていない自信がある。
「そしたら、とりあえず失礼するぞ。俺がいたら荷解きできないだろ」
『えー』
「えーじゃないんだよ。ハプニングに見舞われて通報されるのは御免だぞ」
そういうギャグが許されるのはラブコメ漫画や小説の中だけ、加えて普段からそっち方面でどうしようもない奴と認識済みな主人公に限られるだろ。
あとは女子二人に囲まれている現状でやらかした場合の精神的ダメージを鑑みて、わりと真面目に今日のところは退散させていただきたい。
「ま、なんかあれば言ってくれ。物理的に近いし、助けにはすぐ来れるよ」
『ちぇー。はいよー』
「三枝さんも、機会があればまたね」
「はい。機会があれば、また」
手早く挨拶を済ませつつ、また引き留められる前にと素早く退散の構え。ひらひらと手を振る女子二人にこちらも手を挙げ返しつつ、衣装部屋を出る――
「あ、っと……ニア」
――と、その前に。入り口から首だけ振り返って声を掛ければ、すいっと首を伸ばしたニアがパチパチと瞬きしながら俺の言葉を待つ。
小動物……というか、まるで飼い主の反応を窺う犬か猫のような健気な素振りに、内心で小さく笑いを呑み込んだ。
「夕飯、一緒するか? 一応だけど引っ越し祝いということで」
「っ……!、!、!」
「わかったわかった首取れるぞ。そしたら後でな、こっちから連絡する」
伝え終え、今度こそ部屋を出て玄関へ向かう。
目に焼き付いた、そういう玩具のようにブンブン首を振っていたニアの様子に今度こそ小さく笑みを零しつつ――
最後の瞬間に目が合った……即ち、ジッと俺を見つめていた三枝さんの静かな表情を、ほんの少しだけ気に掛けながら。
「………………」
〝彼〟が姿を消した衣装部屋の入口を、ぽけーっとした表情で見つめ続ける親友の横顔を盗み見る……盗み見どころか、真正面から見つめたところで今の彼女の視界には自分など映らないかもしれない。
苦笑を零しながら、ひよりはフッと身体の力を抜いた。
家族以外の男性とオフで言葉を交わすなど、いつぶりのことか。警戒と緊張を維持していたら必要以上に疲れてしまったのだ。
そう、必要以上に。
つまるところ、クリエイターとして多様なしがらみの中に生きる【三枝ひより】の目に映った【曲芸師】は、おおよそ警戒の必要なしという評価を勝ち取った。
というか、なんなのだろう。あの絵に描いたような好青年は。
一般基準では容姿も十分整っているし、気遣いがマメでユーモアもある。親友が言っていた自己評価云々については現状よくわからなかったが、これはまあモテるだろうなというのはすぐに納得できた。
映像で見た仮想世界の【Haru】とは声音のトーンを始め、物腰というか雰囲気が大分違ったが……人によっては、その辺もプラス評価なのではないかと思われる。
少なくとも、ひよりはそういう二面性は嫌いではない。面白いと思う。
――なので、第一印象は十二分に『良』ということでよろしいだろう。
しからば、お次は、
「ニアちゃ、ちょっと一人で頑張っててくれる? お仕事の連絡とか、少しだけ用事をお片付けしてくるから」
「……!」
「ん、すぐ戻るよー」
大丈夫だよとか、付き合わせてごめんねとか、ゆっくりで平気だよとかとかとか――表情一つで伝わってくる賑やかな『言葉』全部を受け取り、健気で可愛らしい親友の頭を一撫でしつつ部屋を出る。
衣装部屋を出て、玄関へ。
靴を履き、玄関を出て――隣の扉へ。
「さて…………頑張るぞ、私」
そうして、三枝ひよりは気合を入れるように深呼吸を一つ。
〝彼〟の部屋のインターホンを押す指先に、迷いはない。
そのヒヨコ、保護者につき。