お連れ様
ちゃちゃっと身嗜みを整えて階下のロビーへ顔を出せば、そこには円香さんの言っていた通りに二つの人影が並んでいた。
片や、いつかのデートとは異なる装いでソワソワしている藍色……ではなく、キャラメルブロンドのロングヘアと緑瞳を輝かせるお嬢様。
そして片や、見知らぬ女性。もしや張り切ったアーシェが颯爽とニアをエスコートしてきたのかとも思ったのだが、どうやら予想は外れたようだ。
お母様……というわけでもあるまい。オシャレなサングラスを掛けていらっしゃるので若干印象が掴みづらいが、まあ間違いなく同年代だろう。
染めているのか、明るい亜麻色の髪がよく似合う女性らしい女性。柔らかく穏やかな雰囲気はどことなく四條のご令嬢を思い起こさせた。
そんなお嬢さんたちの視線が、姿を現した俺についっと吸い寄せられるように動く。とりあえずは初対面の誰かさんにご挨拶……と、思ったのだが。
口を開くのは、あちらの方が早かった。
「――どうも、こんにちは」
なんのことはない、ただの挨拶。
「うっ、へ……あ、ど、どうも。こんにちは……?」
しかしながら、そんな他愛もない二言ばかりが途方もなく重かった。
低いだとか男みたいな声だったとかいう意味ではなく、なんというかこう……普通の声とは、情報量が違うと言えばいいのか。
「……もう、なに固まってるの? ほらニアちゃも挨拶」
蜜を凝縮したかの如く、蕩けるような甘い声音。だというのに、嫌味もしつこさも耳に一切残さず爽やかに吹き抜けていく。
あぁ、これは……言うなれば、あれだな。
アニメの中にいる、ヒロインの声だ――と、耳をやられて呆けていた俺の顔面に、ペシャっと柔らかい薄手の布が投げ付けられる。
飛来した物体がなんなのかは、確かめなくてもわかっている。ストール片手に投擲モーションを取った膨れっ面は目に入っていた。
そして顔に絡んだ布を取り払えば、目前に突き付けられているのは――
『あたしの親友に見惚れるの禁止』
とんだ言いがかりの書き綴られた、リリアニア・ヴルーベリ嬢の『お言葉』に他ならない。誓って言うが、別に見惚れてはいないぞ。
聞き惚れてはいたかもしれないけど。
「はいはい、こんにちはニアちゃん」
『ハイこんにちはー!』
「で? そちらさんは――うおっ、こらヤメロ別に興味津々な訳じゃねえよ初対面の相手にゃ普通の対応だろうが!」
どうもテンションというか様子がおかしい……のは、いつものことか。
そんなニアちゃんが親友と呼ぶらしい傍らの女性は、彼女視点では見ず知らずの男をポカポカ殴り出した荒ぶる『親友』を面白そうに眺めた後――
「ごめんなさい。本名は存じ上げないんですけど、こちらの『親友』の様子を見るに……あなたが【Haru】さん、なんですよね?」
サングラスの奥にある色も判然としない瞳が、俺に向く。
普通にリアルバレ案件なわけだが、外ならともかく四谷のセキュリティを通って内にまで入れていることを考慮すれば……。
「そう、ですね。はい」
まあ、問題なかろう。
ニアが不審人物を伴って現れる訳もなし、円香さんも物腰穏やかだが〝宿舎〟常駐の管理人として門番の役目を違えたりはしない。
彼女が招き入れている時点で、この親友さんとやらは身元が保証されていると考えていいだろう。そう判断して仮想世界での名を肯定すれば、女性はどこか真剣な顔でジッと俺を見つめた後――再び、表情を崩して微笑んだ。
「名乗りもせずに、改めてごめんなさい。私、その暴れん坊の幼馴染みたいな者で……え、と…………よければ、これを」
「おや、これはどうも」
不満を体現しているのか単にじゃれ付いているのか判断が難しい〝暴れん坊〟を適当にあしらいながら、差し出された紙片を受け取ってみる。
青葉が芽吹く枝とヒヨコが描かれた、お洒落ながらも可愛らしい名刺。記されている名前は――――三枝ひより。
ふむ……。
いや、残念ながら聞いたことねえな……ん? いや待て、どっかで…………ダメだ、すぐそこまで出かかっている気がしないでもないが思い出せん。
綴られている情報を見るにイラストレーターさんらしいが……名刺まで持ち歩いてるとなれば、もしや有名な御方なんだろうか。
というか、俺はそもそもクリエイター関係の著名人の名前を覚えようとしたことがない。意識低い系で申し訳ないが、ご容赦していただきたいところ。
「……という感じで。名刺にあるようなイラストだけじゃなくて、声とか演技とかクリエイト関係を手広くやってます――本名は、ほぼそのままですが三枝日和です。苗字は漢字そのまま読みを変えて、名前は小春日和のひよりですね」
「本名……えっ」
とかなんとか考えていたら、唐突に推定著名人イラストレーターさんが個人情報をぶっぱなしはじめて仰天する。
が、呆気に取られながら『なに言ってんだこの人』と固まる俺を他所に女性――三枝さんは気にした風もなく朗らかに笑った。
「なんだかビックリされてますけど……私は今、現在進行形で世界中から注目を浴びている【曲芸師】さんの〝日常〟――その命綱を握ったようなものですよ? なのでまあ、せめて同じものを差し出すべきというか、勝手な誠意と思ってください」
「誠意ってあなた……」
暴虐の限りを尽くしていたニアが動きを止めポカンとしている様子を見るに、おそらくは彼女の独断だろう。言いたいことはわかるが……。
「女子が不用心だぞーとか、その辺のリスクもひっくるめてアルカディアの序列持ち様と釣り合い……は流石に取れないので、そこはその子の親友という身分の信用で埋めていただければと」
「………………」
まあ、なんだ。
言いたいことやツッコミどころはいろいろとあるが、これもう納得するしかないんだろうな――あぁ、あのニアの友達なんだな……と。
どこか話し方が似ているというか、抑揚の付け方がそっくりだ。昔から仲を深めている幼馴染と言われれば、そりゃもう説得力が無限大。
ならばまあ、頑固というか一本気なところまで似ているのかもな。
「そしたら、あー……三枝さん、でいいかな?」
「ちなみに、ファンの方たちは私のことを親しみ一杯に『ひよりん』と。ニアちゃは愛情一杯に『ひよちゃん』と呼んでくれます」
「わかった。よろしく、三枝さん」
問答無用でニコリと笑って見せれば、彼女は面白そうにクスリと微笑んで、
「はい。よろしくお願いしますね、ハルさん」
ぽけっとしたまま俺に張り付いている親友を引っぺがすと、姉かなにかのように「いい加減にしなさい」と慣れた様子で叱り始めた。
主人公「聞いたことねえな」
こいつ四柱戦争前にひよりんの配信を勉強がてらサラッと視聴してます。
画家兼アイドル声優兼イラストレーターArchiver(20歳女子大生)とかいう属性特盛ネタの塊みたいな存在をしれっと忘れてんじゃねえ。