二度目の招待
「ぁ、え…………な、なんでしょうか……」
話題が切り替わると共に、立場が傍観者から変じたことを察知したのだろう。二人分の視線を向けられて、ニアは警戒するように身を縮めた。
ともあれ相変わらず話者は変わらず……というか、この件について俺は表立っての意見表明が憚られるので黙らざるを得ない。
「まず確認させてほしい。ニア、あなたは現実の彼と面識はあるのかしら」
「へ? え、っと……」
この二人がお互いに持ち得ている情報は、相手が自分と同じという一点のみ。
ニアの方は、俺とアーシェが『四谷開発』と契約を結んだ上で一つ屋根の下……もとい、同じ建物内で暮らしていることは知らずにいる。
転じてアーシェの方も、俺とニアが現実世界で交流した件を知らない。
互いの状況をリークする権利なんぞ俺にある訳がないからな。その辺の情報共有が必要なら、こうして二人の間で行ってもらうしかないのだ。
「まあ、その……はい。あります」
チラと確認するようにこちらを見たニアに視線で『Yes』と返せば、彼女はおずおずと肯定を一つ。それを受け取り、アーシェもまた一つ頷いた。
「それなら、話が早い」
「はいストップ」
しかして続いたお姫様の台詞を耳が拾うにあたり、ノータイムで待ったを掛けざるを得なかった。こいつの口から出た『話が早い』とか怖過ぎる。
直球で現実世界でのことが絡むデリケートな要件なんだ、俺のメンタルの為にも平常運転のドストレート殺法は控えていただきたい。
「これに関しては回りくどい程度でちょうどいいから、丁寧な進行で頼むぞ」
「……ん、そうね。わかった」
「……???」
危なかった。おそらくだが、止めていなければ二秒後にでも例によって『結論』がぶっぱされていたことだろう。
「なら、始めに私たちの現状を話す」
「んぇ、なに、現状……」
「私とハルが、今どういう状態にあるのか――端的に言って、今の私たちは『とある企業』と契約を交わし同僚のような存在になってる。それと併せて、企業が用意した宿舎で一緒に住んでいるの」
「えー、と………………え? うん?」
困惑をメインに、乱立する感情のまま見る見る内に表情を変えていくニアを見ながら俺の方も呆気に取られていた。
俺、回りくどくって言わなかった?
なんで〝端的〟にぶちまけてるんですかねぇ!?
「部屋は違うけど、一つ屋根の下。同棲状態といっても過言じゃない」
「ちょっと待てそれは過言っぐぇえ……!」
そして案の定、隣から襟首を引っ掴まれて吊るし上げられる咎人が約一名。
「ねえ」
「ハイ……」
「なにそれ、聞いてないんだけど」
「だから今こうして話してるわけで――ごめんなさい黙ります」
過去一に冷たい視線と声音を向けられて、この場における圧倒的弱者に他ならない俺は一撃の下に戦闘不能。
おい、後は託すぞお姫様。本当に頼むぞお姫様。
なんで君ほんのりドヤ顔してんのかなぁ???
「っ……そ、それで? わた、あたしはどういう反応をすればいいのかな? 素直に感想を言えって感じなら今すぐ泣くのも辞さない構えですけど?」
「違う、自慢したいから話した訳じゃない」
嘘だぞ絶対に多少は自慢げな顔してたぞ。
まあ、ともあれ。結局こういう感じになってしまったのであれば、後はもう巻きで結論に入ってくれた方が良かろう。
「だ、だったらなんなの――」
「あなたも来ればいい」
とまあ、話の本題はつまりそういうこと。
「〝上〟……クライアントの許可は取った。部屋は確保してある」
「………………は、あ、え……? ちょ、待って待ってわかんないわかんない」
当然だが話の展開についていけないのだろう。俺を締め上げていた手からも力が抜けて、ハテナで顔を一杯にしたニアが戸惑い百パーセントの声を漏らす。
「え……えぇ? あの、つまりあれでしょ。序列持ちとしてオファーを受けて契約がどうこうって話なんだよね?」
「そう」
「それ、あたし完全に部外者じゃないですか。なにがどうなって許可を取るとか部屋を確保だとか…………ご、ごめん、ちょっと一旦落ち着く……」
視線がテーブルの上に向いたのを見止めて、目の前にあったグラスを渡してやる。俺が持ってたやつだが、口は付けていないので新品だ。
「あ、ありがと……」
「あぁ。……その、だな。なんもかんも急だけど、なにかを強制するとか難しいアレコレが発生するとか入り組んだ話じゃないんだ。それこそ無理な相談だとは思うけども、できるだけ気楽に聞いてくれ」
「…………わかった」
そんなこんなで、ニアが少々の落ち着きを取り戻したところでアーシェが再び口を開く。この件はなにを隠そう、彼女の発案であるからして。
「一応、形だけは彼と契約を結んでもらうことになる。【曲芸師】の専属職人兼サポーターとして、両世界問わずハルをフォローすることが建前」
「た、建前……」
「そう、建前。特に今まで以上のなにかをする必要はない。強いて言うなら、この困った人を落とせるよう今まで以上に頑張って」
「そ、それ…………えぇ……?」
冷静に考えてアーシェが言っていること、やろうとしていることは『敵に塩を送る』とかいう次元の話ではない無茶苦茶なものだ。
ニアが困惑するのも無理はないが――しかしながら、そこで首を傾げるのは【剣ノ女王】ことアイリス……ひいてはアリシア・ホワイトの解像度が足りていない。
「正々堂々、条件はできる限り対等に――それでこそ、私も本気を出せる」
今までのが本気ではないという事実に震える俺を他所に、ニアはもう真実呆れ果てたようにポカンと口を開けて固まってしまう。
こういうやつなんだよ、このお姫様は。自分が割を食うなど知ったことかとばかり、いつでもどこでも正々堂々真正面を貫く主人公なのだ。
損な性分だよな。ゆえにこそ、彼女は数多くの人間から尊ばれるわけだが。
「えぇ…………え、と……あの……………………えぇ?」
「急いで答えを出す必要はない。部屋はずっと確保しておくから、気持ちが固まるまで時間を置いても大丈夫よ」
「…………あの、ごめん。まずその宿舎? とやらは場所的にどの辺にあるのかな。引越し……ってことになるでしょ?」
「うん、待って」
言いつつタタタッとアーシェがとんでもない速度でウィンドウを叩き、なにごとか操作をする。おそらくは、住所を記したメッセージを送ったのだろう。
受信したメッセージを読んでいるのか、しばらく虚空を見つめたニアは……困ったようなホッとしたような言い表しがたい感情を含む吐息を零して、ウィンドウ消去のジェスチャーを振った。
「まあ、東京だよね。今の部屋からも遠くないし、仮に引っ越すとなっても面倒は少ないけど…………でも、えぇ……急だなぁ」
「なにからなにまで正常な反応だと思うし、アーシェも言う通り時間を置いて考えて大丈夫だぞ。越すなら越すで、部屋の質に関しては保証するけどな」
「……ちなみに、どんな部屋?」
「あー、部屋ってか家?」
「序列持ちめぇ……」
ゆうてニアも程度は不明なれど推定お嬢様な訳だが……まあ、現状どんな暮らしをしているかまでは知らないんだけどさ。
「……十分に悩んでくれて構わないけれど、一つ後押しするなら」
「え……あ、はい。するなら?」
そこでまた無表情に浮かんだ『ほんのりドヤ顔』を感じ取り、薄っすらと嫌な予感を覚えるものの時既に遅し。
「一緒に暮らせば、彼の手料理が食べられる」
「手料理」
「とても上手。お嫁さんになってほしいくらい」
「お嫁さん」
「食後に淹れてくれる珈琲も美味しい」
「珈琲」
「夜中までゲームで遊ぶのも、悪いことをしているみたいで素敵よ」
「悪いこっ……――キミさぁ?」
「ちょっと待って誤解がある俺はこれでもセーフティを設けて防衛に努めている側であってだなぁ……‼」
アーシェの言葉から、別々の部屋で暮らしているだけではなく普通に招き入れているものと断じたのだろう。
据わった眼で再び襟首を締め上げてくるニアに必死の弁解を試みる。誓って言うが、俺は自らアーシェを部屋に招いたことなど一度もない。
が、ペラ紙みたいな防衛網を毎度のこと突破されているのが罪ではないのかと問われれば罪だと思いますマジごめんなさい。
しかして、その後――
「それじゃ、改めて詳細を聞かせてもらってもいいかなぁ? 全部、正直に」
青筋を幻視するような迫力でもってニコやかに俺へと迫りつつ、ニアがアーシェの誘いにどう答えたのかは――まあ、みなまで言う必要もないことだろう。
ラブコメじみてきたなぁ。