勝てない相手
職人たちへの挨拶回り&必要な製作依頼を終え、ようやくログアウトして「さあ休めるぞ」と目を閉じて開けたら夜になっていた。
アラームを掛けといたから寝坊はしなかったものの、迫真のタイムワープである。いつ寝落ちしたのかも定かではないほどで、ほぼほぼ気絶状態。
まあ精神的な疲労が色濃いのはわかりきっている。偉大なる謎技術こと仮想脳様が負担のほとんどを肩代わりしてくれるとはいえ、病は気から理論が脳には適用されないということもあるまい。
数時間程度の仮眠を経ても、疲れと眠気は継続中。案の定ソラさんも再び仮想世界に現れる気配はないし、最後の用事を終えたら俺も寝直すとしよう。
欠かすことはできない、大事な用事――そう、本日は土曜日である。
「――ふふ、また夜更かしの共ができてしまいましたね」
「頑張りましたとも、ご期待ください」
慣れた手つきで【早緑月】の面倒を見ながら、戦勝報告に耳を傾けるお師匠様が嬉しそうにほわんほわん微笑んでみせる。
対する俺は、ポーカーフェイスに努めながらも内心は羞恥で渋面を噛み殺していた。毎度のことながら、ういさんへなにかしらの報告をする際に謎の『盛り上げ重視の語り口調』になってしまうのは我ながら何故なのか。
親に遠足の思い出を語る子供かよ、恥ずかしい。
「それで、あー……その、もう話には出しましたが」
改めて話に上げようとしたのは、今まさに彼女の手にある【早緑月】のこと。
囲炉裏の助けとなるべく刀を預けたことは後悔していないし、ういさんも許してくれるであろうことは聞くまでもなく確信している。
しかしながら、後悔はしていないが後悔はしている。結局のところ、格好付けたところで俺自身が『どういう形であっても手放したくない』と思っていたからだ。
一時でも〝証〟として賜った刀を手放したことに、勝手に負い目を感じている。ゆえに、口に出そうとした謝罪は自己満足――ゆえに、
「刀のことでしたら、どう使うかはハル君が決めるべきことです」
そんなもの不要と一刀両断するのが、この人だ。
「もし私の『どう思うか』が必要でしたら、ハル君のみならず囲炉裏君の力にもなれて喜ばしい限り……と、それくらいでしょうか」
先手に先手を重ねられ、お優しくも容赦なしが基本のお師匠様は甘えた後ろ向きを許してはくれない。向けられた微笑も、どこまでも穏やかなまま。
「……はは、お恥ずかしい」
本当にもう、いろんな意味で。
ういさんと話をしているとき、自分がまだまだ若輩者であることを毎度の如く思い知らされる――そして、
それすら心地良く感じてしまうのが、この人の悪いところだ。
「ふふ……――――さあ、できましたよ」
「ありがとうございました」
手入れが終わり、輝きを増した翠刀が返却される。
ういさんが【早緑月】のメンテナンスに使っているのは、油だの打粉だのを用いる『日本刀の整備用具』としてどこかで見た覚えのある道具一式。
未だに各々の正式名称すらも判然としないのだが、お師匠様から直々に〝勉強〟を禁止されてしまったのだから仕方ない。
持ち主として、弟子として、俺も刀の整備くらいはできた方がいいのでは……という思惑に、かの【剣聖】様はこう仰ったのだ。
――私の役目がなくなってしまうので、ダメです。
そういうとこですよ、お師匠様。
「ハル君」
「はい?」
「こちらこそ、ありがとうございます。贈った物を大切に思ってくれているのは……私も、とても嬉しいですよ」
「本当にそういうとこですよ、お師匠様」
「……はい?」
こてんと彼女が首を傾げる未来が視えたので、直視に絶えない即悶死ムーブは目を逸らして回避させていただいた。
「よくわかりませんが……――ではハル君、そろそろ見せていただけますか?」
「……なにをです?」
「ふふ」
「…………………………………………………………」
いや、圧。
「戦いにこそ参じませんでしたが、私にも師として弟子の〝成長〟を見届ける義務と権利があると思います」
「えぇ……師匠特権をここで持ち出します?」
「持ち出します。必要であれば、また――」
「いやわかりました……! わかりましたから木刀を置いてください……‼」
遅かれ早かれ見せるつもりではあったし、別に断るつもりもない。単にまだ覚悟ができておらず、俺の羞恥心が増すというだけの話で――しからば、
「はぁ……かなり変わるんで、そちらも覚悟してくださいよ――《転身》」
仮想世界において、今はまだ百十人しか持ち得ないスキルの起動。
演出は一瞬。身体を取り巻くように展開した魔法陣が放つ輝き、その白光に全身が包まれて……パキンと、卵の殻が割れるように。
ささやかなサウンドと共に光が散れば、転身体のお目見えだ。
女子曰く、こちらの『髪』は長く伸ばしても現実ほど重くないらしいのだが……それでも、メインアバターに比べれば違和感を感じる程度の差異はある。
腰の横まで届いてしまうほどの長いサイドテールが揺れるたび、気になって意識が持っていかれてしまう。果たして、我が身はこれにも慣れてくれるのだろうか。
――さておき、
「まあ…………これは、驚きました」
「でしょうとも……」
さしもの【剣聖】様も、まさか弟子が女子(白髪青眼美少女)と化すとは夢にも思わなかったことだろう。
パチパチと瞬く灰色の瞳が、珍しいくらい真ん丸に見開かれている。
瞬き、見開いた瞳で……ジッと、ジッと、ジッと、あまり凝視して欲しくはない俺の〝姿〟を見つめていらっしゃる。
「………………さ、さぁーて、それではあの、今日はちょっと疲れたりしちゃったりしてるんで早いですが休ませてもらっ」
「ハル君」
「はい」
嫌な予感がした――ので、申し訳ないが早々に離脱を試みたところ言葉を遮られてしまう。なお、ういさんは余程のことがない限り人の言葉を遮ったりはしない。
つまり現在進行形で彼女にとって『余程のこと』が起きているわけで、弟子としては師匠の一大事をスルーするわけにもいかない。
単に、逆らえないとも言う。
「私、恥ずかしながら夢があったんです」
「夢」
「はい――女の子のお弟子さんができたら、叶えたいと思っていた夢が」
「……そ、それは残念というかなんというか、ほら俺はあくまで男なんでお力になれずに申し訳ないというか」
「以前に、私がしてあげたいことは自分が祖父にしてもらっていたこと……というお話をしたと思いますが」
「………………」
やべえよこの人、完全に剣聖様モードだよ。
にっこにこ笑顔でこっちの話これっぽっちも聞いてくれねえよ……!
「子供のころ、髪を伸ばしていた時期がありまして」
「……はい」
「お祖父ちゃんが、よく私を膝に座らせて梳いてくれたんです」
「なるほど……」
「ハル君」
「はい」
「身長的に膝へ座ってもらうのは難しいので、こちらへどうぞ」
縁側の端に置き直した座布団をぽふぽふ叩き、有無を言わせず話を進める小さなお師匠様が着席を促してくる。
ご本人はその後ろで膝立ちになり準備万端といった面持ちだが、俺はまだ要望に応えるとは言っていな
「ハルちゃ――」
「わかりましたごめんなさいそれだけは勘弁してください」
戦力比は絶望的、決着は即座。
土曜日、師と弟子の憩いの時間。どこからか櫛を取り出したお師匠様にされるがまま……いつもの如く平和な夜更かしは、穏やかに続いていった。
なお、若干一名の複雑な胸中は除くものとする。
ういういしい。