無累を託せし白業の旅路 其ノ伍
高く果ての見えない真白の大壁が現れた瞬間、いくつかのことが同時に起きた。
俺の身体に宿っていた《天秤の詠歌》のエフェクトの消失。
【双護の鎖繋鏡】の金鎖を通じて繋がっていたソラの気配が喪失、並びにSTRステータス共有効果の消失。
更には視界端に浮かぶパーティメンバーのステータスバーが色を失い、見たこともない灰色に表示されるまま凍り付く……と。
異様な変貌を遂げた『白座』がなにをしたのか、考えるまでもない。
「やられた……!」
『強制転移』に続いての『空間隔離』……おそらくは、十体の分け身を基点に周囲のプレイヤーが引き込まれ、分断された――いや違う、減っている。
ラストの二体の周囲には当然相応のプレイヤーが集っていたというのに、振り返り見たこの空間には即座に数えられる程度の人数しか存在していない。
十一名……即ちレイドメンバー総員百十名の、ちょうど十分の一。ギミックの全貌を想像するに足る材料は、ご丁寧にも全て揃えられている。
要するに、近い順で振り分けられたとかそんなところだろう。
落とし穴に嵌められたという、結果は一つ――然らば、すべきこともまた一つ。一秒でも早くコイツをぶちのめして、仲間へ繋がる道を拓くのみだ。
「《コンストラクション》」
繋がりの途切れた盾を仕舞い、右手に喚び出すは煌めく翠刀。左に白、右に緑を携えて地を蹴り砕き突貫した俺に、並ぶ影が一つ。
不思議な感覚だ。肩を並べて戦うのも初めてなら、連携の練習さえしたこともなかったというのに――
言葉も視線も交わさずとも、互いの動きが手に取るようにわかっていた。
『赤』を纏い肥大化した『白』の分け身が、口も開かず身体を震わせ猛り吠える。恐ろしくもどこか不思議な穏やかさを感じさせた先刻までの声鳴りと、明らかに異なるおどろおどしい咆声。
地響きを上げて一歩踏み出した奴の敏捷性は、再び増した体積と身のこなしから察するに……おそらくは、本体と分け身の間程度まで落ちている。
踏み込むだけで盛大に地を割り砕いた様子から見るに、膂力が跳ね上がっているだろうことも予想可能だ。
そして明確に『突進』の構えを取った怪物の背部……『赤』が溢れ出した後に伽藍洞の黒を覗かせる〝穴〟から、再び一斉に真っ赤な触手が湧いて――
んじゃ、役割分担はそういうことで。
《空翔》起動。双刃を手に宙を駆け、湧き出した端から夥しい数の触手の根元を手当たり次第に両断。
弾幕になり損ねた半透明な『赤』が、気味悪くうねりながら霧散して、
「《鮮烈の赤》」
『白』が二歩目を踏み出す刹那、眼前に躍り出た小さな影が――奇しくも、白から赤へ。その身に纏う色を変え、神代の『剣』を振り下ろした。
『――――――――――』
轟音と衝撃が地を穿ち、叩き伏せられた巨体から歪な悲鳴が鳴り響く。
突風に煽られた身体を《兎乱闊躯》の虚空タッチにより制御しつつ……再度の《空翔》。際限なく湧き出てくる触手の束を、帰り際にもう一度カット。
そのまま宙に遊んだ『お姫様』の身体を腕に引っ掛けるようにして攫う――直後、折り重なった魔法の連弾が地に伏した『白』へと降り注いだ。
どうやら士気に心配はいらないらしい、誠に結構。
「手応えは?」
「あった。でも、さっきまでと比べ物にならないくらい硬い」
「なるほど、そしたら――」
「えぇ、そうね――」
着地と同時にアーシェの身体を放ち、再び並んで敵を見やる。
爆炎に炙られ、雷に打たれ、されど未だ目立った傷は見当たらず。怒りで空間を震わせながら、のそりと起き上がった巨体へと、
「「――徹底的に斬り刻む」」
共に一歩踏み出す気勢に、畏れなど欠片も在りはしない。
攻撃役を任せたアーシェを振り切り、先を駆ける俺が成すべきはセカンドフェーズを隔てての対弾幕処理。
幸いなのは、第一段階の折とは違い奴が砲台を生み出す気配がないこと。あくまでその身から放つ触手の雨は、数の点では大雑把になら見切れる程度。
いや盛ったわ。正確には……まあ、限界ギリギリ。どうにかこうにか見切ったフリができるかな程度の大層な弾幕である。
根元で落とすならまだしも、バラけた後に逐一叩き落すには多過ぎる。テトラとの繋がりが断たれた今、《先理眼》もとっくに営業終了済み。
どうするか……仕方ない、こうする他に思い付かん。
なぜか先程から光を失い、やる気を見せなくなった【空翔の白晶剣】を鞘に放り込む。突出した俺に殺到する触手群を迎撃しながら、空いた左手に【早緑月】を移して――そっちが『赤』なら、こっちも『紅』で行かせてもらおうか!
右で抜き放った【兎短刀・刃螺紅楽群】をそのまま心臓へ直行させれば、響くのはささやかな破砕音。解けた髪が、首元をくすぐる。
一度限りの死亡回避カードを乱雑に切り……《決死紅》発動。
見開いた視界を通して、映った全てを瞬時に『記憶』。考えるのは後だ――後付け思考の感想会は、ひとっ走りした後に取っておけ‼
「せぇ…………んのッ‼」
紅の燐光を散らし、いざ突貫。
脇を掠めた一本を蹴飛ばし、真正面から迫った連弾を左の翠刀で一刀両断。《フリップストローク》起動、右の紅剣から外した小指一本で下方より迫る弾幕に刃の雨を打ち返しつつ、後方宙返り後に七回転半を決め全方位から迫った『赤』を細切れにして払い除ける。
上に逃げても下に逃げても敵弾の密度は変わらない。ならばひたすら前へ――頼れる刃は両手に在り、勘と記憶に則って右か左を動かせば迎撃は叶う。
前へ、
前へ、前へ、
前へ前へ前へ……真直ぐ、前へ。
畏れず進み続ければ――こうして、辿り着けるのだから。
結式一刀、十の太刀改。
「――――《薙雷》ッ‼」
二本の脚が辿り着いた背の上で、真横に奔る刃雷を解き放つ。閃いた翠刀が響轟を打ち鳴らし、本来ならば全く足りない刃渡りをもって、
夥しく立ち昇る『赤』の束を、一刀の下に薙ぎ払った。
「アーシェ‼」
白から赤へ、赤から白へ、そして今度は……白から青へ。
「《迅疾の青》」
次の瞬間、切り拓かれた道を青と銀の光が迸る。
彼女の青は、縦横無尽の機動力に重きを置いた俺とは種類が違う。その歩みはただひたすらに――真直ぐ駆けて、神速のただ一振りを届けるためのもの。
「《起きて》」
それは、呼びかけにして鍵言。好むと好まざるとに関わらず、その身に押し付けられた〝証〟を揺り起こす声音。
しかして、囁くように微かな震えをその手に伝えた『剣』は、
「――――ふッ……‼」
ただ一人の主に従い、立ちはだかる大壁にその刃を深々と刻み込んだ。
やりたい放題か君たち。