微睡み揺蕩う白き残夢 其ノ伍
視界が開けて、数多の情報が雪崩れ込む。
掻き回された世界で自らの位置を瞬時に読み取り、誰よりも早く――否、勢いよく空へと駆け上がる誰かと同時に、周囲よりも一早く身体が動いた。
加減は不要。対プレイヤーとは異なり、どこまで力を込めても過剰にはなり得ない圧倒的な個との不利が過ぎる力比べ。
持ち上げて、下ろす。
ゆったりとした、いっそどこか億劫さを感じさせるような動作で。振り下ろされる前足の着地点へと風のように駆け込んだ勢いのまま、小さな影はその手に握る『剣』を全力で横薙ぎに振るった。
「――っ……」
拮抗が許されたのは、一瞬。やる気のない尾の一薙ぎとは違い、出鱈目な体重が乗せられた動作への割り込みは流石に分が悪い。
【剣ノ女王】をもってしても、僅かに逸らす程度が手一杯だ。
「下がって」
「あざっす……‼」
しかしながら、目的は無事に果たせた。単身で極至近距離に喚び出されてしまい、どう足掻いても退避が間に合わなかった支援術師が足早に離脱する。
あと少し……今。
「《鮮烈の赤》」
ぽつりとイメージを補強する鍵言を口ずさめば、主の求めに従い『魂依器』がその姿を変える。呼名に似合いの、ドレスのような装いが――静謐を滲ませる白から、鮮烈に輝く赤へと。
【夢幻の女神】――またの名を『七色の衣』。最高には及ばずとも、未だ仮想世界に数えるほどしかない第六階梯魂依器。
何者が格付けをしているのか不明な『非公式魂依器ランキング』の防具カテゴリにて、第二位に位置付けられている万能の鎧。
秘めた能力は、
「――ッ……‼」
自由自在な、ステータスの変遷。
攻め手の赤。アバターと鎧、双方の防御性能を限界まで削り注ぎ込まれた力が先に倍する威力を『剣』に伝え、怪物を叩く程度が精々だった一振りを小さき刃へと昇華させる。
重ねて、加減は不要。離脱したプレイヤーが余波の圏外まで逃げ果せた瞬間、アイリスは渾身をもって一閃を放った。
剣身を届かせる必要は、ない。
下から上へ、天を仰ぐが如く振り抜かれた神代の剣は――その軌道の延長線上に、等しく刃をもたらすのだから。
『――――――――――――』
空を奔った斬撃が『白座』の下顎を打ち、揺らいだ巨体から声鳴りが響く。相も変わらず、効いているのかいないのか判断が付かない緩慢なリアクションだ。
生命力の可視化というシステムが、ゲーム的にどれだけありがたい要素であるか切実に思い知らされてしまう。
画面を見ていればいいアナログゲームとは違い、自らが入り込むVRゲームは流れ込んでくる情報量が桁違い。それら全てを処理しながら行わなければならないアルカディアの戦闘は、身体だけではなく頭も酷使する。
単純に、疲れるのだ。そして疲れることの終わりが見えないというのは、個人差はあれど人間にとって多大なストレスとなるのが常。
相手の体力が見えず、更に学習を避けるため初見での挑戦が求められる。改めて、良くも悪くも笑ってしまうような難易度と言えよう。
……きっと、ウンザリしていただろうと思う。
以前のように、殻に閉じ籠もったまま――みっともなく拗ねたまま、ひとりぼっちを気取って挑んでいたのであれば。
「《調和の白》」
変遷は、赤から白へ。
バランスよく、やや敏捷寄りのステータス調整――機動力を取り戻し地を蹴った次の瞬間。信頼に基づいた数多の砲撃が一切の警告なしに背後から入れ違い、怯んだ白の巨体に次々と着弾した。
そして、次弾は人影。幾重にも重ねられた魔法の余波や粉塵を吹き散らし、東と南の代表たる勇士たちがアイリスを追い越していく。
さらに続いて、彼らを追う前衛たちが。
制動を掛け足を止めれば、背後からは次なる砲弾を編む魔法士たちの歌声が。
――見上げれば、
「…………」
数え切れない砂塵の剣と共に、楽しげに空を駆る彼の姿が、目に映る。
「……ねぇ、ゴルドウ」
あの日、確かこんなことを彼は言っていた。
歳食うと、涙脆くなんだよ――と。
自分はまだ流石に歳を食っているとは言えない年齢のはず、なのだけれど。
「……私も少し、泣き虫になったかもしれない」
誰かのおかげで軽くなった心からは……困ったことに。
ふと油断をすると、いろいろと溢れて止まらなくなってしまうから。
一人だったころを思えば、嘘みたいに――楽しいと、笑えてしまうから。
二度、三度、小さき者は数を変えず、淡々と重ねられていく順繰り。
終わりも果ても見えずとも、確かに歩みは進められ――物を映さぬ眼の奥で、だれかの瞳が光を灯す。
奇しくも――白から赤へ、装いを変えた者のように。
奇しくも――白を纏い、赤を従え、空を駆ける者のように。
源なる『白』の底で、蠢く『赤』が瞬いた。
【夢幻の女神】魂依器:戦衣
アイリスの装備する全身装衣にして仮想世界有数の第六階梯魂依器。
月に一度の制約を無視して装備者のステータスを自在に変更できる他、装備自体の補正値や耐性などあらゆる数値を任意でカスタマイズすることが可能。
おそらくはフランス語で虹を意味する『アルカンシェル』が名前の由来だろうという推測の下『七色の衣』などと呼ばれてはいるが、別に七種なんて制約はなくバリエーションは無限大。
ただ流石の剣ノ女王様も誰かさんのような瞬間記憶転写などはできないため、あまりに選択肢が多いと切り替えがゴチャる。ので、基本的に使用している〝色〟は五種類程度。余程でもない限り万能の『白』一強&特化の他色はオーバースペックになりがちなので、対人では色変えを行うことがほぼない(実は四柱ラストシーンで《結風》に対抗して対物理防御特化への変更を試みていたが間に合わなかった)
ちなみに数値的スペックだけではなく外見も自在に弄ることが可能。現在の装いは金属鎧少なめのシンプルデザインなドレスアーマーだが、物理特化の重鎧性能で外見は薄手のワンピース……みたいなイタズラ運用もできる。
ポジティブな部分のカタログスペックだけを見ればぶっ壊れ。ただし巨大なデメリットもアリ。具体的には他装備を併せると魂依器が臍を曲げるため、アイリスは【夢幻の女神】に干渉しない幾つかのアクセサリーしか装備品を身に付けられていない。だからどうしたそれでもぶっ壊れだよ。
なおドレスの基礎デザインは Presented by family。