Re:崖下直行
メインフィールドこと【隔世の神創庭園】の広大さを散々体感した今となっては頷ける話だが、イスティアに限らず各陣営の『初心者エリア』は極まった過疎状態が常らしい。
東西南北に果てなく未知の世界が広がっているのだから、わざわざ大した戦利品も望めないチュートリアルマップに出戻りする必要がないという話。
そういう理由がある&他に同期もいなかった俺とソラは気にしたこともなかったのだが、基本的に【試しの隔界球域】の各フィールドは即時生成型空間方式になっていたようだ。
まあそれはそうだろうというか……これらのマップもアーシェがいうアナログゲームの常識に照らし合わせれば、面積的には十分過ぎるほどに広大と言えるだろう。
しかしながら、その程度の規模でサービス開始初期の混沌を受容し切れるはずもなく。無限に等しい正規フィールドへ移ろう前の膨大なプレイヤーたちを捌くため、当然の設計というものだ。
なので各陣営に用意された七つのマップは、仕組み的にはダンジョンと同じ。
俺たちが攻略していた時のように〝設定〟を操作しなければ、上限人数までの自動マッチング方式。きっちりとアレコレ弄れば、パーティ専用のインスタンスへ入場することも可能ということだ。
――ならばそんなインスタンス空間の最奥に座す『白座』も、複数が同時に存在してしまうのでは? という疑問については、残念ながらプレイヤー側では正しい解が見つかっていない。
別インスタンスで他者が戦っていると、例の窪地への侵入が不能になるのは確認されているのだが……それでも、中央部に〝奴〟がいるのは目視できるらしい。
つまりは、別空間で複数が同時に存在しているのは事実。
『境界』――空間を司るモノというのだから、まあそれっぽいと言えばそれっぽいのかもしれない。元より埒外の存在、考察にも限界があるだろう。
ともあれ肝心なのは、そういった理由から邪魔立てやギャラリーに関する心配は必要がないということ。
アーシェを皮切りにさっさと転移門へと雪崩れ込んだ後、向こうではさぞ『もしや』の声が上がり大騒ぎになっているだろうことが察せられるが……。
どうせ、勝とうが負けようが今日の戦いの様子はアーカイブに上げられるのだ。世間の騒ぎなど、遅いか早いかだけである。
というわけで、思いのほか淡々と始まった『白座』を目指す行軍は――
「登山ツアーかな?」
「……そ、壮観と言えば、壮観ですけど」
ソラさんのフォローも、今回に限ってはやや力不足か。
懐かしき【断崖の空架道】――その細く頼りない崖道を辿るのは、長い長い列となった百を超える最上位プレイヤーたちの群れ。
煌びやかな装備に身を包んだ彼らが、前と後ろと賑やかに雑談を交わしながら進んでいく様は……端的に言って、完全に山岳ピクニックのそれ。
小学校の登山とかでよく見る光景だ。
ただし登っているのは無邪気な子供たちではなく、煌びやかな装備を纏った無邪気(?)なゲームプレイヤーたちなのだが。
いやはや、見る限り士気は高いようでなによりである。
「数分後、これが一斉に飛び下りを始めるわけだが……」
「それは、なんというか絵面が……というか、やっぱり飛び下りるんですか?」
「え、わかんない。アーシェから聞いた限りでは、多分?」
俺自身はどうあれ大した問題ではないのでチラっと聞いただけだが、崖下へはどう向かうのかと問うたところ彼女は「普通に下りる」と言っていた。
あの【剣ノ女王】が、普通に、下りる。
誠に失礼ながらロープやらなにやらを用いた〝普通〟の絵が一切想像できなかったので、勝手にああそうか普通に飛び下りるんだなと決めてかかっていたわけだ。
まあ、ゆうて三十レベルそこそこのルーキーが死に物狂いになれば生還を果たせる程度のアトラクション。全員がカンストかつ最上位の猛者たちであると考えれば、総員フリーフォールでも一応は頷ける。
……と、いった具合に。
ゴッサンから『アホが足を踏み外すのが見えたら助けてやれ』との命を仰せつかり、相棒と共に最後尾を務めること早数分。
大窪地への距離が近いという、最も都合のいい落下地点に先頭が辿り着いたのだろう。急ぐでもなくのんびりと歩を進めていた列が、進行を止めた。
さて……それじゃまあ、交流は積極的にということで。
「もし、そこのイケオジさん」
「っうお……っと、どしたいクラウン殿?」
事故のフォローを頼まれたこともあり、一歩引いて全体を観察できるように後列からはやや距離を離していた。
そのためこれまでお喋りをしていなかったものだから、突然に話しかけられて驚いたのだろう。初めこそ大きなリアクションを見せたが、軽装灰髪で髭がダンディなナイスミドルはすぐにニカッと気の良い笑みを浮かべる。
散々に序列持ちを持ち上げている彼らだが、真に一般的な目からすればここに集っているプレイヤーは一人残らず〝上澄み〟である。
つまりは、程度の差こそあれど彼らもまた上に立つ者。
ノリよく囃し立てたりはするが、話しかければ互いに『一人のプレイヤー』として応対してくれる。
これから戦友になる身としては気が楽というか、ありがたい限りだ。
「恥ずかしながら適当な説明しか受けてないんだけど、こっからどうする感じですかね? 普通に下りるとは聞いてるんだけども」
無知の披露など、俺にとっては今更のこと。
我ながら羞恥ゼロで『どの口が』と思いつつ恥を忍ぶ体で問うてみれば、長刀を背に吊るイケオジは「あぁ、なるほど」と気にした風もなく頷いた。
「その通り、普通に下りるだけだよ。この先に一か所だけ絶壁がなだらかになっている場所があるから……まあ、なだらかと言っても絶壁に比べればだけど」
「ほほう。まあそうか、アバターの身体能力なら」
「うん。先行組が下にクッションを敷いてくれるし、滑り落ちるだけなら問題ない……仮に問題が起きても、同じく先行組が助けてくれるから」
「なるほどなるほど……了解っす。ご教示ありがとうございました」
「なんのなんの――今日は一発、頼みますぜ我らが七位!」
「はっは――そりゃもう馬車馬の如く働きますんで、ご期待あれ」
ノリよく突き出された拳に拳を返せば、上等なコミュニケーションはこれにてコンプリート――ええと、確か……そう、ムートンさんだったな。
先日『顔合わせ』と称して選抜メンバーたちとの挨拶は一度済ませているが、百人分バッチリしっかり覚えてるぜ。
相も変わらず、我がことながら気持ち悪いレベルの記憶力。
これが仮に現実世界でも活かせるなら、勉強会も必要なさそうだが……いや待てよ、向こうの授業ノートなりをどうにかこっちで複製した上で記憶すれば――
「ハル?」
「はい」
「なんだかわかりませんけど、悪い顔をしてますよ」
「未遂です、許して」
なぜバレたし……いや、そうよな、ズルはよくない。ただでさえ現実比五割増しの娯楽タイムという、【Arcadia】の恩恵に与れていない者たちからすれば特大のリアルチートを満喫しているのだから。
まあ実際、こっちの『記憶』がどういう仕組みかも詳しく判明していない以上、そんな悪巧みが通用するかどうかもわからないのだが。
さておき――
「かくかくしかじかで、飛び下りるというか滑り降りるみたいよ。絶壁が超急斜面程度になってるポイントがあるんだってさ」
「かくかくしかじか……」
俺の言葉選びに笑みを零しつつ……飛び下り回避が喜ばしかったのか、納得したソラさんは「そうですよねそれが普通ですよね」と満足げに頷いている。
今に至りこの子も大概なアクション適性だと思うが、平時のメンタル的には『極めてお淑やか』からブレない四谷のご令嬢様だ。
無粋なツッコミなど入れる必要はないのだろう――ゆえに今、俺が考えるべきことは他にある。
絶壁に近しい急斜面。
勢いよく滑り降りる。
俺たちが最後尾。
そして、ソラさんは膝丈スカート。
「………………ダメだな」
「はい?」
「ダメだと思います」
「は、え……なにが、どういう――」
どういうもこういうもないんだよ。
そしてまた暫く後……答え合わせをしようか――即ち、こういうことです。
アルカディアの鉄壁スカートシステムが如何に優秀だろうが、男なんてスカートとロングブーツの間に覗く肌色だけで盛り上がっちまう生き物なんだよ‼
「誰が下からなど見せるかバーカ‼」
「誰に言ってるんですかなにしてるんですかぁッ‼」
他に択など断じてあるはずもなく、ほぼ滑落状態となる滑り台など迫真の無視。
親指を立てて崖下の霧へと消えていったムートン氏を見送った俺は、当然のようにソラをひょいと抱え上げて――
「さあ行くぜ、人は空を飛ばないの反例Part.2!」
「やめっ、はな――っもぉおぉおおおおおおおおおおッ‼」
いつかのように、躊躇いなく崖から踏み切ったのだった。
ソラさん結構やんちゃに飛び回るので戦闘中はもっとヤバい気がしますが、
TSSと四谷令嬢のお淑やかパワーでなんとかなるでしょう。
なんとかなります(世界の意志)