前夜の晩餐
「おや、今日は一人かい?」
「あっちはまあ多忙なもんで」
夕飯時に〝ベル〟を鳴らせばシェフが来る――そんなリアルファンタジーが添えられた生活とて、人間一カ月も経てば多少は慣れてしまうらしい。
『これについてもお給料は貰ってるから』と言われてしまえば、変に遠慮するのも勿体ないというもの。
それゆえ、この一月ちょいで千歳さんとはそこそこ親しくなれた感がある。稀に同席して、三人で卓を囲んだりもするしな。
「君も似たようなものだろうに――ご注文は?」
「いつもの」
即ち、シェフのオススメコース。
なにを頼もうが悉く期待の上を行くもんだから、もう全部任せたところで間違いなかろうという結論に行き着いてしまっている。
苦手なものは伝えてあるし、最早信頼度百パーセントだ。俺もアーシェも、完全に胃袋を掴まれていると言っても過言ではないだろう。
……ホワイト家とやらのお嬢様っぽいし、元々いいもの食べてそうではあるが。
「お待たせしました――ご一緒しようかと思うけど、どうかな?」
「そりゃ歓迎しますとも」
些細な擦過音すら出さずに大皿三枚と取り皿を運んできたシェフ兼ウェイターを迎え入れ、極稀に発生する男二人の食卓と相成った。
本日のメニューは、鰹のカルパッチョに牛肉のタリアータ。それから肉魚共に赤身が並ぶテーブルに見事な彩を加える野菜のテリーヌ。
この人なんでも作れるけど、基本的にイタリアンが好きな気配を感じる。お任せを頼むと、わりと出てくる頻度が高い。
「ニ十分足らずでテリーヌが出てくるのはどいうこと?」
「あぁ、それは趣味で作り置きしていたのを切っただけだから」
「根っからの料理好きだなぁ……」
本格的なやつは地味に初体験だが……あ、とても美味しゅうございます。
毎日のように言葉を交わしているせいか、他人としての遠慮や緊張感なんてものは大分薄れている。
俺視点では、千歳さんは既に気のいい兄ちゃんポジに納まってしまっていた。あと料理が上手いし美味い、素晴らしい。
「うーん、ワインが欲しくなる」
「飲んでいいっすよ」
「そうかい? じゃあ失礼して」
これも仕事なら業務中では?――というツッコミは野暮というもの。緩くいこうぜ、こっちも気を遣わなくていい雰囲気は好ましい。
……おっと、なぜグラスを二つ持ってきた?
「俺の年齢知ってるよね?」
「もちろん知っているとも、だからノンアルコールだよ。甘くない葡萄ジュースみたいなものさ」
〝本物〟そっくりの高級品だけどね――と、まさしく気のいい兄ちゃんは悪戯っ子のような笑みを浮かべながらボトルを空ける。
四谷の大人、現状だと童心を忘れない自由人しかいない件について。
「戦の前の景気付けってやつだよ――どうだい、意気込みのほうは?」
「ノンアルコールで景気付けとは……――とりあえず参考映像を見た限りでは、口が裂けても楽勝とは言えないかな」
率直に内心を打ち明ければ……千歳さんはなにを言うでもなく、穏やかに笑ったかと思えば自らのグラスを傾けた。
俺も倣い、深い赤色が注がれた高そうなワイングラスを手に取る。
グラスよりも更に値段を聞くのが怖い中身については、酒など飲んだことのない俺では形容し難い複雑なお味だった。
「アーカイブに残っている映像のことなら、一年も前のものだ。序列持ち含むプレイヤーたちの戦力は、間違いなく向上しているだろう」
それはもちろん、わかっている。しかしながら、理解した上で――
「全員が倍強くなってるとしても、厳しくない?」
客観視した戦力比は、揺るがない。
過去に一度、未熟極まる身で全身全霊を叩き付けた記憶。それを綺麗さっぱり上書きした『映像』の中の奴は、正真正銘のバケモノだった。
「まあ、そうかもしれないね」
更に言えば、敗戦の記録であるアーカイブの映像は不完全なもの――つまり、まだまだアレの先が在るということだ。
外からの観測者たる彼は、その程度のことは俺なんかより理解しているだろう。否定もせずに頷いて……けれど、どこか余裕を感じさせる表情は崩れない。
「ゲームとして考えたら、彼ら『色持ち』の難易度は理不尽と言わざるをえないものだろう。真っ当に攻略して、上手くいくとは思えない」
「……いいのかそれ、いろんな意味で」
肩書だけとはいえ、運営開発に携わる者が言ってはいけない台詞だろう。
「よくないだろうね。でも、いいんだよ――だからあの世界は、特別を許容する」
「………………」
言っていることは正直よくわからないが、早々に耳を塞ぎたくなってきた。もう勝手に喋らせて料理に集中していようかな……。
特に隠そうともしなかった、そんな内心が顔に出たのだろう。千歳さんは「別に難しい話じゃないよ」と可笑しそうに笑った。
「単純な話〝特別〟な戦力なら一年前だって揃っていた。二年前に『赤円』が討滅されているんだ、『白座』にだって敵わない道理なんてないだろう」
「それはまあ、選抜メンバーとの相性とか『赤円』討滅後の謎強化とかが……」
「まあ、いろいろ要因はあるだろうけどね」
首肯しながらも、彼の表情と声音は俺の弱気を肯定していない。
当事者でないがゆえの楽観視――とは言えない謎の頼もしさが、その黒い瞳の奥底に感じられた。
「俺はゲーマーじゃないけれど……三年間アルカディアのプレイヤーたちを見続けて、ひとつだけ君たちに関する真理を得たという確信があるんだ」
「ほう、お聞きしましょうか」
しばらく前からナイフとフォークを置いている俺を他所に、自身でも納得のいく出来なのだろう料理を満足そうに食べ進めながら。
非ゲーマーにして四谷代表補佐のシェフは、どこまでも気楽に言葉を連ねる。
「技術の多寡よりも、装備の質よりも、なによりも――モチベーション。それこそが、プレイヤー諸君の〝戦力〟に直結する最大のファクターだ」
「あー……」
断言されたその内容に、俺としては……
「誰よりもプレイヤーたちを見守ってきた身として、保証するよ。誰かさんのおかげで、過去最高に……いや、あの世界が始まった頃のように、連日連夜大盛り上がりで尽きぬモチベーションに突き動かされている彼らは――」
楽勝とは口が裂けても言えないし、弱気も不安も存分に在る。
しかしながら、どうにもこうにも――
「一年前と比べて、倍程度じゃ済まないだろうからね」
不思議なほど、負ける気だけはしていない、俺としては。
「……クライアントのご期待に沿えるよう、頑張ります」
「あぁ、楽しみにしているよ【曲芸師】殿」
もちろん、当然、彼の言葉に否を唱えることなどできようはずもなく。
特訓を重ね、強化に励み、装備を充実させて……準備期間は飛ぶように過ぎ去り、来たる決戦の日は目前の明日。
かくいう俺も、腹の底で揺れているモチベの熱は無視できず――
今夜は寝つきが悪そうだと、遠足前の子供のような気分で苦笑いを零した。
やっとここまで辿り着いたけど、四柱から130話近く経ってるのマジ……?