霊峰の主
「――っあ…………ご、ごめんなさい、メッセージが……!」
連日続く、中々ゴールが見えてこない特訓の最中。軽やかなサウンドと共に視界端にポップアップした通知に気を取られ、集中を欠いた魔剣の制御が乱れた。
ブレるように輪郭を崩しかけた炎剣を慌てて解けば、ひとまず大事故は回避――思わず、隣に立つ〝先生〟へと反射的に頭を下げてしまう。
「どちらかと言えば、今のは事故なく咄嗟に仕舞えたのを誇るべきだと思うけれど? ちょうどいいから、少し休憩にしましょうか」
厳しいようで優しいようで、やっぱり厳しい先生ではあるが……雛世は注意や指摘こそすれど、叱ることはなく褒めるばかり。
優しいだけではない、真の意味でお手本のような褒めて伸ばすタイプ。
そんな彼女はいつものように、大人の女性らしい綺麗な微笑をソラへ向ける――女性ファンが多いというのも、頷けてしまうというかなんというか。
「メッセージ、確認しなくていいの?」
「ぁ……は、はいっ」
特訓を見てもらうようになってから密かに憧れを募らせているのもあり、油断すると時々ぼんやりと見つめてしまうことがある。
絵に描いたような『余裕のある大人の女性』――そんな人に内心を見透かすような顔でクスリと笑われてしまうと、恥ずかしさもまたひとしおだ。
そうして促されるまま、わたわたと受信したメッセージを開いてみると……広がるのは予想通りの相手から届いた、首を傾げてしまうような文面。
その内容に従って更にウィンドウを操作し、メッセージ画面と入れ替わりにアイテムインベントリを展開すれば――
「…………………………わぁ」
ピカピカと点滅している、限界所持容量超過を示す真赤な錘マーク。
そして〝誰かさん〟と共有している鞄の中に溢れかえるのは、『雪――』だの『氷――』だのと似通った名称の素材群であった。
「どしたのー?」
「わっと、と……!」
――と、唐突に背中へ圧し掛かってくる、ささやかな体重。
今日も特訓を見守ってくれていたミィナが、肩越しに可視化されていないシステムウィンドウの板を覗き込んできた。
そして、こっちがじゃれついて来たということは勿論……。
「ん」
当たり前のような顔で、リィナのほうもくっ付いてくる訳で――懐かれるのは素直に嬉しいけれど、未だに畏れ多いというか心のどこかで緊張してしまう。
そもそも、なぜ彼女たちはこうも自分に懐いたのやら。
「え、と……ハルが素材集めに出ているそうなんですが、インベントリが一杯になってしまったので武器を一つ放り出してくれないかと」
「なにそれ、流石お兄さん無計画だなぁ」
呆れたようにミィナがそんなことを言うが、はてさて山のような戦利品の数々を見せて仕方ないとフォローをするべきか、武器を人よりも沢山持ち歩いているから仕方ないとフォローをするべきか。
……困ったことに、どちらもフォローにならない気がする。
おそらく、形を変えて呆れられてしまうだけだろう。それこそ現在進行形で苦笑いを浮かべている、自分と同じように。
「てか、武器一つだけ出してもそんなに変わんなくない?」
などと、再びの呆れ声。残念ながら、それについては否である。
ほんの少し悪戯心を芽生えさせて、疑問に答えぬままインベントリを操作。距離を越えて繋がっている異次元鞄から、パートナーの得物を取り出せば――
「ひょぁいっ!?」
「っ……!」
思ったよりも高い位置に現れた〝鉄塊〟が、それは凄まじい音を立てて訓練場の床に落下。地響きと轟音にミィナが跳び上がりリィナが肩を跳ねさせて、傍らの雛世もビックリしたように瞬きをしていた。
【愚螺火鎚】――これ一つで共有インベントリ容量の数割を埋めている問題児こと、いろんな意味でアレな【遊火人】作の武装である。
「え……………………え、わかんないわかんない、なにこれネタ?」
「一発芸、用……?」
「えーと……普段使い、ですね」
「……彼、普段からこんなの持ち歩いてるの?」
三人とも流石に引き気味な顔を隠せていないが、これに関してはソラもパートナーをフォローする言い訳が思いつかず。
「え、バカなの?」
……などと、容赦のないミィナのツッコミ対しても、
「あ、はは……」
明言を避けるまま、曖昧な笑みを返す他になかった。
◇◆◇◆◇
「――――ぶぇっくしッぁ‼」
ひやりと肌に浸み込む冷気に、堪らず盛大なクシャミを一つ。お高いコートを押し付けてくれたニアに感謝だな、仮想世界で風邪ひきそう。
そんでもって、向こうで重石を一つ引っ張り出してくれた相棒にも感謝。これでアイツに憂いなく殴り込みを仕掛けられるというものだ。
――んで、アレは結局なにごとなの? どういうデザインセンス???
登山を始めてから二時間強。
狼やら雪男やらとの連戦に次ぐ連戦に心の底からウンザリしたので、撃ち落とされたり事故って死んだらもうしゃあなしと割り切って空路を解禁。
小兎刀で『道』を敷きながら【雪隠れの氷牙狼】共の対空弾幕を掻い潜って山頂へ辿り着いた俺は、一変した景色の中で空を見上げるまま首を傾げていた。
雲だか霧だか判断の付かない靄を突き抜け、開けた空間は吹雪の失せた一面の晴天。遠目から見れば鋭く尖っているであろう山頂は、広大とは言い難い『ちょっとした広場』程度のスペース感だ。
雲一つない晴天の下で、少しずつ暮れ始めている太陽に照らされ煌めく山肌。隙間なく凍てついた、極寒の氷フィールド。
その中心に屹立する氷の大樹――葉などなく、杯のように天辺で無数の枝を広げる〝玉座〟の上に、ソイツは羽ばたきもせず浮かんでいた。
「…………………………羽根の生えたエイ?」
誠に遺憾ながら、俺の語彙力ではそう表現する他に正解が思い浮かばない。
平たく大きな菱形の体盤に、細長い尾。
あの特徴的なシルエットは、まさしく『エイ』と称する他にないだろう――ただし、鰭じゃなくて『翼』が生えていらっしゃるけどな。
裏を返せば、それっぽいのは全体のシルエットのみ。
白……というよりは、透き通るような薄青の体表。羽毛に覆われたその姿を見て、アレを魚類と言う者はいないだろう。
更に異質なのが、ぽっかりと穴の開いた頭部。伽藍洞になった円の中心で拍動するのは、見覚えのある〝謎の発光体〟の巨大バージョンめいた青い光。
周囲に手下のように侍る、無数の大迷惑エネミーを見るに――なるほど、カテゴリ的にはコイツらの親玉というわけなのだろう。
「あー…………ちょ……っと、待ってくれ?」
山頂へ踏み入った途端オオカミ共の追跡がピタリと止んだのを幸いに、ボケッとその御姿を鑑賞していた侵入者に焦れたのか〝巨躯〟が身じろいだ。
――左右の翼の端から端まで、目算おおよそ二十メートルオーバー。
威嚇か、はたまた、きまぐれか。大きく羽ばたいた翼が巻き起こす突風に煽られ、吹き飛ばされまいと咄嗟に踏ん張った俺に巨大な影が差す。
風が止み、見上げる先で。
「れ、レイドボス……とかじゃ、ないっすよね……?」
その頭上に表示されたのは、五段重ねの体力ゲージ。ボスエネミーを象徴する豪奢なステータスバーに刻まれた名は――【氷守の大精霊 エペル】。
無数の氷精を従える霊峰の主は、瞳を介さぬ視線でもって……ちっぽけな招かれざる客を、玉座の高みより見下ろしていた。
空洞の頭部中心に光の球が浮いてて鰭の代わりに翼が生えてる全幅二十メートル強の羽毛塗れマンタ。That's a バケモノ。