山を目指して三千キロ
長距離移動手段として見れば、《空翔》はこれ以上ないほどに優秀なスキルだ。
特殊称号『曲芸師』の強化効果である《鍍金の道化師》により、代償である自傷ダメージを踏み倒せるからという前提は勿論ある。
真赤な体力ゲージがデフォルトになることさえ気にしなければノーコストで連発可能というのは、インチキに両足突っ込んでいるとも言えるだろう。
――が、こと単独での物理的弾丸トラベルには、一つ致命的な欠点があった。
「………………………………………………………………飽きたな」
視界は基本的に、空の青か雲の白。
空を駆るまま新鮮味を求めて地上へ目を向けようが、超速機動によって用を成さなくなった視覚が捉えるのは等しく『線』のみ。
オマケにただ真直ぐ飛ぶだけならば【海星蛇の深靴】の補助もあって、スキルを起動しながら両足を交互に動かすだけである。
道程に山も谷もあったもんじゃない、空しかねえ。
時間感覚も曖昧になってくるが、幸いこの世界はゲームであり俺はプレイヤー。霞む景色の中でも鮮明かつしっかりと役目を果たしてくれるユーザーインターフェースのおかげで、経過時間も現在地もバッチリ把握できている。
負荷によるスリップダメージを含む不意の事故での死亡を避けるため、ある程度は《空翔》の出力を絞ってはいる。そのため流石にキリよく一時間で四桁キロ突破は叶わなかったが、その大台もしばらく前に踏み越えてしまった。
初めこそズルなしの生身で空を飛ぶ快感と高揚でテンションを上げてはいたものの、残念ながらそれも開始十分足らずでサッパリ消沈。
だって景色もなにも見えないんだもの、楽しめる要素がないんだわ。
素直にソラを誘うべきだったかな……いやでもなぁ、なんだかんだ特訓張り切ってるし、今回の素材集めは完全に俺個人の用事なんだよな……。
というのも、今回のソロ遠征の発端はと言えば――
「――街から北へずーっっっっっっっっっっと行ったところにある山脈? 霊峰? にさ、面白そうな素材落とすエネミーがいるらしいんだよね」
「……藪から棒になんの話?」
「キミのお洋服の話。気に入ってくれてるのは大変嬉しいですけども、いつまでも間に合わせのままじゃ恥ずかしいからいい加減に更新しちゃいましょう」
「いや間に合わせってお前、調べた限りコレだって十二分に一線級――」
「〝一線級〟で満足してちゃダメでしょうが、序列持ちともあろう人間が!」
「えぇ……言うて別に、恥ずかしいどころか俺的には自慢の品なん」
「中途半端なの着せっぱなしにしてると職人のあたしが恥ずかしいんですー! つべこべ言わずに素材取ってこーいっ‼」
――といった具合に、仕事に関しては真面目かつプライドの高い【藍玉の妖精】殿に蹴っ飛ばされた次第で……。
いや、いいんだけどね。今の服を甚く気に入っているのは事実だが、それを手掛けたニアが新作を作ってくれるというのであれば素直に嬉しくもある。
問題はその新作の材料とするべく「いいから取ってこい」と要請された素材、それを落とす標的とやらが『幻』レベルの稀少エネミーであるという一点だ。
セーフエリアから真北へ三千キロ程度。
山脈を築くいくつもの山々の内一つ――【極白の万年氷峰】。その極寒の山頂に生息しているという〝主〟の『羽根』が、今回の遠征の主目的。
あくまで幻レベルというだけで、エンカウント自体は誰でもできるとのこと。素材の希少価値を『幻』と言われるまでに上げているのは、主の根城に辿り着くのが困難を極めるからだ。
氷漬けの山の山頂にいる、『羽根』を落とすエネミー……なにがどう困難なのだろうかという想像は、まあ詳しく聞かなくても予想は付くというもの。
対〝主〟に限った話であれば、俺向きの依頼と言えなくもないのだろう。
――問題は、
「……氷漬けにならないかな、俺」
頑強ステータス皆無である先鋭的なこのアバターが、古参の攻略組をして『行きたくねぇ』と首を振るらしい極限環境相手に、通用するか否かという点である。
◇◆◇◆◇
「さっっっっっっっっっっっっっっっむ……」
――ということで、やって来たぜ【極白の万年氷峰】。うっかり水魔法でも使った日には、諸共に瞬間冷凍されそうだぜ【極白の万年氷峰】。
轟々と吹き荒ぶ雪の嵐により、視界は当然の権利の如くほぼゼロ。ここへ辿り着くまでと変わらず、景色もなにもあったもんじゃない。
吹雪と氷――それが目に映る全てだ。
加えて、ニアから『値段は聞かないほうがいい』と恐ろしい注釈付きで貸してもらったモフモフの防寒コートを【蒼天の揃え】の上から着込み、同じく押し付けられた防寒バフの魔法薬で対策をしてもなおこの寒さ。
正確には寒いというか、涼し過ぎる程度の体感温度に納まってはいるのだが……常ならば熱いも寒いも感じることのない超人アバターが肌寒さを感じているというギャップのせいか、自然と身体が震えてしまう。
……いやちょっと待て、なんか氷の結晶マークのデバフアイコン点灯してるわ。
てことはこの身体の震えや手足の感覚が若干鈍っていたりするのは、気のせいではなく明確なシステムによる不利効果か?
アルカディアの過寒暖はVITの数値次第で軽減できるらしいから、まともなステータスで同じレベルの防寒を施せば相殺可能なのかもしれない。
膝まで埋まるような積雪についてはいつもので無視できないこともないが、この轟風だ。慣れるまでは安易に飛んだり跳ねたりしないほうが身のためだろう。
――となると問題は、
「あれ、普通に相性悪くね……?」
飛んだり跳ねたりという一芸を封じられた俺が、これから始まる極限登山で待ち受ける障害の数々を――果たして、突破できるのかという点。
……おかしいな、よく考えたら問題しかないぞ。
ちょっとニアチャン???
うっかりゲームオーバーになったらまた三千キロ走ってもらうからな。