ダブルフロント
「もしかしたら、とは思っていたけれど」
勧められた椅子に腰を下ろしてから、しばしの沈黙と見つめ合いを経て。
やはりというか最初に口を開いたアーシェの声に、見ている俺がひたすら申し訳なくなってくるほどカチコチに固まっているニアが肩を跳ねさせた。
「やっぱり、あなただった――久しぶりね」
「…………ご、ご無沙汰、しておりました……」
で、この様子を見るに……俺も『もしかしたら』とは思っていたが、こちらもやはり以前から面識があったらしい。
攻略の最前線を走るプレイヤーと、一般にも名前が知られているほど有名な職人が関わりを持っていることに何ら不思議はない。
囲炉裏やらミィナやら、イスティアの序列持ち連中とも普通に知り合いっぽいしな――具体的に絡んでいる場面は、未だに見たことなかったが。
「……どういう知り合いか、聞いてもいいか?」
積極的に会話に入るかどうかを迷っていたのだが、チラりチラりとニアから助けを求める視線が止まないので参入を決める。
わかりやすくホッとした様子を見せたニアに気付いているのか否か、この場でただ一人動じずお澄まし顔のアーシェは俺の問いに小さく頷いた。
「一度だけ、彼女に製作の依頼をしたことがある」
「ええと……その節は、申し訳なく」
と、なにかしらネガティブな結果を想像させる反応を見せた方へ目を向ければ、ニアはなにやら気まずそうに目を逸らす。
「断っちゃったから、あたし」
「ほう?」
「それについては、本当に気にしなくていい。理解が十分ではなかった私が、無茶を言っただけだから」
言いつつ首を振るアーシェの視線が、今度は俺へと向けられる。より正確には、俺の胸元――誰かさんと同じ色に輝く、藍色の宝飾へと。
「……そうなったのは、四柱よりも前からのこと?」
「…………渡したときは、正直まだ半々でしたけど……」
再び瞳と共に向けられた問いに、ニアは気力を振り絞るように小さく頷く。
「まぁ、はい――あたしはその、一目惚れだったので」
「……そう。瞳を預けるくらいには、ということね」
白状すれば、会話の意味を十分に理解できているとは言えない。
【藍玉の御守】が特殊な品だということは察しているが、やたら意味深な二人のやり取りを見るに……こいつはどうも、俺が思う以上の〝意味〟を持っているのかもしれない。
そしてそんな風に一人で疑問を抱えたことを、アッサリ見抜かれたのだろう。
「話していないの?」
「いやぁ、必要ないかなーって……」
俺の様子を見てアーシェが問いを重ねるが、今度はそう言ってはぐらかす――が、最後に独り言のように付け足された「重いし……」という言葉が、ギリギリ聞き取れてしまった。
突っ込むか否か、また少し悩む――
「【藍玉の妖精】の〝瞳〟は、特別なものよ」
「あ、ちょっ……!?」
――その前に、これまたアーシェが遠慮も容赦もなく斬り込んだ。
「仮想世界で唯一、自分の意思で作品に『魔法』を籠めることができる職人。そして、それを可能とする魂依器【揺蕩う藍玉の双星】」
淡々と、されど誰にも真似できない類の力強さをもって言葉を連ねる彼女に、さしもの専属細工師殿もアワアワするばかりで口を挟めないまま。
「詠唱も必要とせず、一度きりとはいえ、完全に任意のタイミングで魔法を発動させられるのはとても強力。ズルいと言ってもいいかもしれない」
加えて、本人が使えない魔法を使えてしまうというのも特大のズルだ。
そしておそらく、世界の誰よりもズルを実感したのは俺だろう。【剣ノ女王】と引き分けられたのは、ニアのおかげと言っても過言ではないのだから。
「でも当然、そんな力を好き勝手には使えない――失っているのは、右目ね」
「なんて?」
「えっ、うそ、なんでわかっ……」
「ほんの少しだけ彩度が落ちてる。情報通り」
「いやいや! 自分でも鏡と睨めっこしないとわかんないの――にっ……!?」
グッと身を乗り出し、ガッと肩を掴んで、ジッと二つの藍色を観察する。
狼狽しているニアには悪いが、あちらも明確に嘘をついていたのだから我慢してもらおう――いやこんだけ見てもよく分かんねえな……けど、
「……言われてみれば、右の方だけ色が薄い、気がする」
「うぐ、ぐ……」
納得を経てニアを解放し、その上で意図した半眼を向ける。以前に『少しの間だけ視力を失う』と代償を偽った細工師は、またも気まずそうに目を逸らした。
「お前……実は今も見えてないとかじゃないだろうな? それとも、視力云々がそもそもダミーか?」
「いや、あの……」
「能力を使った直後に視力を失うのは本当のこと。少しずつ回復して見えるようにはなるけれど、力は使えなくなる」
「それは……つまり、あれだよな」
「そう、魔法を籠めたアイテム――その宝玉が、役目を果たすまで」
「全部ぶっちゃけられた……」
これは……誤魔化されたり教えてもらえなかったことを責めるんじゃなく、自分でも調べなかった俺が悪いと思うべきだよなぁ……。
拗ねたような顔でそっぽを向いているニアに、少なくとも俺があーだこーだ言えたものではないだろう――いや、やっぱり一言くらいは文句を言っておくか。
「言えって。知らなきゃ正しく感謝すらできないっつの」
「だって、だから、重いじゃん! あたしが勝手にやったことだし……!」
「それで周りだけ勘付くとか、俺の無知とアホさが露呈するだけなんだが?」
「いいじゃんそんなの今更でしょー‼」
「頑張って汚名をそそぐ努力はしてんだよ!」
「――仲良しなのね」
スッと差し込まれた涼やかな声音に、二人揃って急ブレーキ。
むぐっと声を詰まらせたニアに――アーシェはなぜだか、あまり見ない自然な微笑みを向けていた。
……当の本人は、顔を赤くして俯いてしまったので気付いていないが。
「ニア、と呼んでいいかしら」
「……それはもう、ご自由に」
「うん。あなたも、敬語は無しでいい」
あからさまに『それはきついなぁ』という表情を浮かべるニアをスルーしつつ、アーシェは一人だけ椅子から立ち上がった。
「順番的には、私のほうが後になる。だから――横入りするような真似をして、ごめんなさい」
そして、先刻ソラにもそうしたように頭を下げる。
狼狽えるのは、勿論ニアのほうだ。
「は、え、なんっ……待って待って! こういうの、謝られても困るし……! そもそも誰が悪いとかそういうアレじゃ――黙って見てないでフォローしろぉっ!」
「この場で俺に発言権があるというのか……?」
一体全体なにを言えばいいというのか。そもそも、この状況になっている時点で絶対悪が誰かなど決定付けられているわけだが。
しかしまあ、とりあえずは……。
「アーシェ。俺も困るし、ニアも困ってる。できればそれは勘弁してくれ」
「……ん、わかった」
素直に頭を上げた【剣ノ女王】様を見て、大きく胸を撫で下ろす――次の瞬間、当然の如く「アーシェ???」と首を傾げたのは見なかったフリをしておこう。
呼ばなきゃアーシェが拗ねるし、呼べばニアにバレる。元より詰みだ。
「あなたの言う通り、私も本当は〝誰が悪い〟なんてことはないと思ってる。後から挨拶をする側として、誠意を示したいだけの自分よがり」
結局そうやって自分を悪者側として扱いながら……彼女の顔には、一度たりとも罪悪感やそれに類する感情は浮かばないまま。
「他人にとって私がどういう存在かは理解してる。だから、あなたを委縮させてしまっていることも、わかってる」
「う……も、申し訳――……や、ごめん」
「いい、無理もない。私だって『神様』と話をするときは、緊張するから」
これ、多分だけど四谷の人間のことだろうな……運営開発はまさしく、良くも悪くもプレイヤーにとって神に等しい存在だから。
俺たちは、そんな神様がスポンサーとかいう意味不明な状況のわけだが。
「ニア」
「はいっ……!」
神様……? と首を傾げているところへ名前を呼ばれ、反射的に背筋を伸ばしたニアに天上のお姫様が微笑みを向ける。
「難しいかもしれないけれど、私に気を遣わないで。遠慮も容赦もしなくていい、あなたはあなたの恋をして」
「っ…………」
差し出された手は、果たしてニアへの宣戦布告を意図したものなのか――傍らから見守る俺には、どうにもそういうことには見えなかった。
「負ける気はない。でも、負けても恨んだりしない。でもそれ以前に……とにかく、まずはこの人に恋をしてもらわないと、なにも始まらない」
そう、おそらくそれは、向けられた相手が違うのだろう。
「………………それは、そう、だと、思う。うん」
俺と同じく意図を読み取ったのかもしれないニアが、百面相の後におずおずとアーシェの手を握った。
「えと、じゃあその……わかった。ひとまずはってこと、だよね?」
「うん、ひとまずは――ハルの性格的に、この状況から一気にどちらかへ傾くというのは考え辛い。だから……競争は、その後で」
「それは、そう、なのかなぁ……」
なにやら恐ろしい会話が展開されている気がするが、今に至りこの場における俺の発言権は綺麗さっぱりゼロであるという確信がある。
なにを言っても、言わずとも、待ち受ける未来は大火傷のみなのだろう。
そうして、ガーネットとアクアマリン、向けられた二対の瞳は――
「ひとまずは、二人掛かりで――彼を、恋に落としましょう」
これまでもこれからも……心の底から、ありがたいことに。
「……お手柔らかに、お願いします」
情けない俺から、容赦なく――逃げ場を奪ってくれるようだ。
お姫様と妖精の挟み撃ち。主人公は死ぬ。