わるもの
「――ヘレナ」
「かしこまりました」
鈴音のような声音が俄かにざわついた場の空気を静かに裂き、主のオーダーを受けた侍女殿が場の中央に繰り出して視線を集めた。
「内々のお話がありますので、そちらのお二人を少々預からせていただきます」
と、声が向けられたのは東陣営の代表たる総大将殿。
実の娘らしい彼女から事務的に投げ掛けられた言葉に、ポカンとした顔で俺とアーシェを見ていたゴッサンは「お、おう……」とお手本のような戸惑いの反応。
「あまり長くは掛からないと思われますので、まだお二人と話がされたい方はここでお待ちください――ルクス。貴女は先に伝えていた通り、必ず待っているように」
「ん? はいはいオッケーわかってるよー」
会議の時と同様にサクサク状況が進行していき、誰も彼もがゴッサンと似たような戸惑い顔。落ち着いているのは、アーシェとヘレナさんと俺くらいのものだ。
まあ、俺は平常心のフリをしているだけなのだが。
とにもかくにも、なにが申し訳ないって今まさに目をグルグルにして混乱の最中にあるソラさんがね……口止めされていたので仕方ないのだが、だからといって今回のサプライズの非が俺にないとは言えないだろうから。
「あー……そしたら、俺はフレンド登録だけ先に頼めるか? この後すぐに用事があるもんだから、アレコレ話すのはまたの機会ってことで」
「それなら、僕もお願いしようかな」
「あぁ、ハイハイそれはもうこちらこそ是非に」
と、ありがたい申し出を受けて、オーリン&フジさんコンビとのフレンド登録を済ませた後に――
「それでは、少々お時間をいただきます」
「了解です。ということでソラ、いきなりで本当に申し訳ないんだが……」
「ぅ……は、はい、大丈夫です。ちょっと、混乱していますけど……」
急な展開で中々の負担をかけることになるであろうソラに、これも勝手と言えば勝手な罪悪感を募らせつつ。
わかりやすくジト目を向けてくる赤色娘から引き渡された相棒を伴って、俺はヘレナさんが起動した転移の光に包まれて『南の玉座』を後にした。
◇◆◇◆◇
「――つまり、悪いのは私。あなたには伝えておきたいと言ったハルに、黙っていて欲しいと頼んだのは私だから」
今期の四柱戦争を終えた後、以前から受けていたオファーに了承を返す形で『四谷開発』との契約関係を結んだこと。
俺が目当てでそうなるように動いたこと。
四谷と契約を交わした上で俺に近付くにあたり、俺とソラ――春日希と四谷そらが偽装婚約関係を結んでいるのは知らされていること。
しばらく前からのそれら状況を全て打ち明けたアーシェが、俺に口止めをしたことで隠す形となった謝罪としてソラに頭を下げている。
「……というわけなんだが、まあ俺も共犯だ。黙っていてごめん」
で、向かいの席に座る共犯者と共に、俺も横から頭を下げた。
イスティアはルヴァレスト内部のソレと、細部の装飾とメインカラーが違うだけで似たような造りの待合室にて。
「…………………………」
シンと静まり返った空気の中――隣に座る相棒は、間違いなく過去一ポカンと呆けた様子でひたすらにフリーズしていた。
……なにからなにまで、居たたまれない。
「…………………………あ、の……つま、り、それは」
十秒、二十秒と続いた沈黙の末、ぎこちなく身動ぎをしたソラが途切れ途切れにか細い声音を紡いでいく。
どこか夢現のように、ぼんやりとした瞳をアーシェへと向けて。
「ハルが、目当て……って、それは、つまり――」
「えぇ」
真直ぐに視線を受け止める彼女は、謝罪はすれども至極堂々と頷いて答えた。
「――私は、ハルが好き。笑顔をもらったあの日から、彼に恋をしてる」
「――――……っ」
驚嘆のままに息を漏らすソラ。
そして本人相席の状況で紛うことなき好意をぶっ放したアーシェ。
俺は一体どんな顔をしてこの場に居ればいいのだろうか……と、困り果てながら視線を彷徨わせれば、お姫様の傍らに控えている侍女殿と目が合い――
「どうぞ」
「どうも……」
彼女がどこからともなく取り出したティーセットが目前に置かれて、困り果てるままに注がれた紅茶をいただいてみる。
味が、全くわからない。
「異性のパートナー、そして偽装とはいえ婚約者。彼があなたを大切にしているのも理解していた。だから、初めは私自身で挨拶がしたかったの」
言葉が出てこないのか、先を促しているのか、ソラは黙ったまま。
「二人の関係を詳しく知っているわけではないけれど……仮に単純な互助関係だったとしても、横からパートナーに手を出されて良い気分にはならないと思うから」
ゆえに、アーシェは淡々と――されども、精一杯の誠実を示すようにして、ソラを真直ぐに見つめながら言葉を紡いでいく。
「遅くなってしまって、ごめんなさい。それと……あなたの大切な人に私が近付くことを、許してほしい――お願いします」
いま一度、頭が下げられる。
……挨拶の場を設けてどうするつもりかは聞いていたが、それにしてもここまでするものとは思っていなかった。
これはまた一つ、彼女の想いを無下にできない理由が積まれてしまった――
「――お願い、しないでください」
返された声音は、戸惑いと……俺にはわからない、数多の感情を含む色。
「ごめんなさい、ずっと黙ってしまって……あ、あの、頭を上げてください。そんな、許すとか許さないとか、私がどうこう言うことではありませんし……!」
おそらくは、驚きと焦りの感情が強かったのだろう。捲し立てるように言葉を連ねたソラが声を詰まらせ、小さく咳き込んだ。
「どうぞ」
「す、すみません……………………っ……ありがとうございます」
俺と同じように供された紅茶を飲み、深呼吸をした後にヘレナさんに向けて恥ずかしそうに笑んで礼を言う。
少女はもう一度だけ深呼吸をしてから、今度は落ち着いた様子で口を開いた。
「あの、お姫さ――え、と……あ、アイリス、さん」
名前を呼ばれて、ようやくアーシェが顔を上げる。
こんな状況においても、いつも通りの無表情……けれども、僅かながらその顔が強張っているのは気のせいではないだろう。
「配慮していただいて、ありがとうございました――私は、大丈夫です」
そんな彼女に――現代の天上人、その代名詞こと【剣ノ女王】に対して緊張の色を隠せないながらも、四谷の御令嬢は流石の度胸で微笑んで見せた。
「ハル」
「……っと、はい」
そして、今度はその瞳が隣の俺へ向けられる。
「〝もう一人〟と、同じなんですよね?」
もう一人とは当然、ニアのことだろう。彼女との件については本人の希望もあって、以前ソラに打ち明けてあるから。
「……うん。どうにかこうにか、向き合うって決めたよ」
まだ俺から誰かに恋愛感情を抱く勇気は持てずとも、好かれたからには――気持ちを伝えられたからには、真直ぐに向き合ってみせると。
「なら、はい……――やっぱり、私がどうこう言うことじゃありません」
これまでに何度か目にしたことのある、彼女が年上であると俺が勘違いせざるを得なかった大人びた表情。
「アイリスさん」
「うん」
再びアーシェに視線を戻したソラは……しばらく迷ったように言葉を選んでから、どこか困ったように口を開いて、
「私のほうこそ、邪魔に――」
「待って」
それを、今度はアーシェが止めた。
「何度でも言わせてもらう、悪いのは私。あなた達の邪魔をするのは、私のほう――ハル、あなたも一緒に、黙って聞いて」
と、重ねて自分を〝悪者〟と言う彼女に対して、いい加減に口を出そうとした俺までも止められてしまう。
「私はハルに救われた。誰がなんと言おうと、私があなたに恋をしたことに関して、あなたに罪なんて一つもない。絶対に」
どこまでも真直ぐなガーネットの瞳が、今度は俺に向けられて。
「好意を持たせたから――なんて、罪だとも思わないで。あなたは今のあなたのままで、世界一素敵な人よ。少なくとも、私にとっては」
「…………そ、……っ」
「………………」
「…………」
黙れと言われずとも黙らざるを得ない、波濤の如く押し寄せた言葉の熱。
相も変わらず、躊躇いなど欠片もなく好意を伝えてくるアーシェ。そんな彼女にやられて、おそらく首まで赤くなっているであろう俺。
そしてまたしても呆気に取られて口をポカンと開けているソラと、こちらも流石に驚いた様子で固まっているヘレナさんを他所に――
「だから――惚れた方の負けでいい。邪魔者でも、悪者でも……ハルに恋をすることを許してもらえるなら、私はそれだけでいいから」
無敵のお姫様は、無表情のまま……。
微かに頬を染めながら、威風堂々と言い切ってみせた。
「わかった?」
そうして、なにがあっても〝悪者〟の座は渡さないと宣言したアーシェによって、徹底的に気圧されまくった俺とソラは――
「「………………わ、わかりました」」
といった具合に……ひとまずこの場は、負けを認める他なかったのだろう。
ウチのお姫様の生き様が強過ぎる。
純粋な恋愛に悪者とか存在しない説。
惚れた方しかり、惚れられた方しかり。
でもそれはそれとして曲芸師は輪切りにされるべき。