平常運転確認
ゲーミングお姫様に完膚なきまでボコられるという、涙なくしては語れないサンドバッグ体験から一夜明けた朝。
週末の開放感を堪能する間もなく【Arcadia】を起動して仮想世界へと飛び込めば、セーフエリアは朝早くからプレイヤーで賑わっていた。
待ち合わせのため足を運んだ街の隅っこでコレだ、中心部の様子は推して知るべしだろう。流石は『同接七桁を下回ることはない』と噂の異世界様である。
現実時刻は七時ジャスト。はて、早起き組と徹夜組の割合は如何ほどなんだか。
「――……ん、ふぁ」
プレイヤーたちの流れをぼけっと眺めていると、隣から耳に届く何とも可愛らしい声音――パートナー様が、お上品に欠伸をしていらっしゃる。
超可愛い。ライトゲーマーとして抱えていた安いプライドを粉砕され、傷付いたばかりの心に高純度な『癒』が染み渡るようだ。
「久々だな、こんな時間からってのは」
ともあれ、ジッと観賞していることに気付かれでもしたらお叱り待ったナシ。視線を外しながら声を掛ければ、
「ひさびさですし、はじめてです。一日中と決めて、冒険にいくなんて」
普段より、どこか『ぽやっ』とした口調でソラは答える。
眠いの? 可愛い過剰でしんどいから、目覚まし《空翔》いっとこうか?
「たのしみです」
言いつつ放たれた、蕩けるような微笑みを目にして俺は無事死亡。
もしや『遠足が楽しみ過ぎて眠れなくなる』的なアレなのではという勝手な解釈が祟り、ダメージは倍プッシュ――
「えへへ……」
あーもうご機嫌麗しそうだからなんでもいいかぁ。
最悪ソラさんには〝移動中〟に仮眠でもしといてもらえば……いやしかし、仮想世界の睡眠って睡眠としての意味を成すのか?
ゲンコツさんなんかを見るに、寝ること自体はできるっぽいが――
「ん、ぅ――――ご、ごめんなさい、少しぽやぽやしてました……!」
と、己の頬をペチペチ叩いたかと思えば、ソラの声に芯が通った。
若干おかしな様子を晒していた自覚はあるのだろう。少女は羞恥を誤魔化すようにして、微かに赤くなった頬をムニムニしていらっしゃる。
なんなの?
本日は可愛い縛りでお送りする予定なの???
おそらくだが、今回は被害者が俺だけに止まらない可能性が高いから控えていただいたほうが宜しいのではと愚考する次第で――
「あてっ」
「変なこと考えてないで……あの、ちゃんと間に入ってくださいよ?」
断じてニヤけ面など晒していないというのに、もう当然の如く俺のアホな思考を読み取ったソラに脇腹を小突かれる。
細い指先でサイドアタックのクリーンヒットを入れながら、少女は不安げな顔で念を入れるようにこちらをジッと見ていた。
「わかってるし、大丈夫だよ。三人――」
いや待て、内一人はよく知らねえな。
「……ともは知らないけど、野郎二人に関しては気兼ねする必要無いから」
「あの、ですね。一般人からしますと、序列持ちの方という時点で――……」
予想していた通りの腰が引けた発言を、ドヤ顔で己を指差し遮ってみせる
『それを言ったら俺だって序列持ちだし』という言外のアピールに対するリアクションは、残念ながらジトっとした視線のみだった。
冗談はさておき、あとは〝四谷の御令嬢〟が一般人かどうかにも言及はしないものとして……本当に、立場がどうとか気にする必要ないと思うよ。
何故って、不本意ながら現在のアルカディアにおいては――
――曲芸師だ。
――クラウン。
――曲芸師がいる。
――隣の子が例の……
――噂のパートナーさんか。
……と、道行くプレイヤーたちの声を耳が拾う通り。ソラもソラで、もはや『ただのプレイヤー』とは言えない立場なのだから。
始まりはお披露目と相成った祝勝会から。その後も注目され放題の俺の隣にずっといたのだから、当然の事と言えるだろう。
既に彼女も数多のプレイヤーに顔を覚えられており、連日連夜ネットでも噂され『曲芸師のパートナー』としての認知が広まっている。
この事実に、俺が言えることはただ一つ。
「ごめんな」
不要とはわかっていても、口に出さずにはいられない。
この世界にいるプレイヤーは、例外なく【Arcadia】の審査を通った者達だ。
一定以上のモラルを備えた彼らから、見世物へ向けるような無遠慮な視線が飛んで来ることはない――けれども、避けられない注目を浴びてしまうのは事実。
目を向けられるのは仕方ない。
〝有名人〟が目に入れば、隣の者と会話の種にするのも自然だろう。
諦める他ない、有名税というやつだ――しかしながら、ソラがそういったものを苦手としているのは明らかなので……。
まあ、明らかなのは――
「お互い様、ですよ」
返ってくる答えもまた、なのだが。
どこへ向かおうとしたのか、一瞬だけ宙を彷徨った手を後ろに組んで。
半歩の距離を保ったまま、俺の隣でパートナーは穏やかに微笑む。
なんのことはない。
『互いに守り合おう』と、あの日に交わした約束を果たすために。隣にいることを選んでくれたのは、他ならぬ彼女自身なのだから――
「…………………………なぁ、アレ付き合っとんのかな?」
「どう……でしょうね…………八割ってとこじゃないっすか?」
「メッッッッッチャクチャ良い雰囲気ですねぇ……!? こんな朝から……!」
「「――――………………」」
気配が三つ、姿が三つ、無遠慮な視線と隠す気もない声音も三つ。
不覚を取ったどころの話ではない、なぜ真正面にいるのに気付かなかった?
――俺も、ソラも、なぜこの距離まで気付かなかった……‼
ピシリと身を固め、次いで震え始め、最期――もとい、最後に〝煙〟を出し始めたパートナーから断腸の思いで視線を外して……ゆっくりと前方に顔を向ける。
別に、いかにもな言葉を交わしていたわけではない。しかしながら、顧みればそこはかとなくアレな雰囲気を醸してしまっていた気はしないでもないので――
呆れたような顔。
困ったような顔。
そして好奇心からかキラッキラに輝く笑顔。
容易に予想できたそれらを見止めて、羞恥と共に冷や汗が浮かぶのを感じた。
「お、やっと気付いたか――ようハル、四柱ぶりやなぁ!」
「あはは……お久しぶりっす」
「どうもー! おはようございまーす!」
タイガー☆ラッ――トラ吉、マルⅡ、そしてリンネ……さん? ちゃん?
俺こと【曲芸師】がデビューを飾った第十回四柱戦争において、アレコレと絡みがあった〝敵側〟の顔ぶれ――北陣営ノルタリアの序列持ち三人組。
本日の〝遠征行〟につきパーティを組んでくれることになった、豪華というか戦力が過ぎるメンバーたちに……俺は挨拶にも先んじて一発目、
「―― 忘 れ て く だ さ い ッ ……‼」
迫真の懇願と共に、敏捷値が許す限りの速度で頭を振り下ろす。
そしてその間、もう一方はといえば――
「ちが…………違うんです……違うんです……!」
――誤解だ誤解だ、と。
初対面の相手へ言葉を届けようと、一生懸命にアタフタしていた。
(どこでもかしこでも隙在らばイチャついてれば)そらそうよ。