想い溢れて
「――話はわかった。いよいよってこったな」
深い赤を基調とする、南陣営ソートアルムの序列称号保持者集会所にて。顔を突き合わせる三つの人影の内、飛び抜けて大柄な人物が楽しげに声を弾ませていた。
「そういうわけです。今回は『東』の出番ですから、先日の勢いそのままの奮戦を期待しますよ」
対して至極平坦でひやりとした声音を返すのは、スーツ姿に片眼鏡をかけた黒髪の女性。雄々しい金髪の大男に物怖じせず正対する姿は、事情を知らぬ者が見れば傑物に映るかもしれないが……その実、二人は『父娘』という関係であるからして。
「任せとけよ。一年ぶりのリベンジだ、前回とはわけが違うぜ」
「でしょうね――〝アレ〟が、また成長していなければの話ですが」
「……怖えこと言うなっつの。あれ以上の怪物になられちゃ、そりゃもう流石に無理ゲーってやつだろうがよ」
「そこまで無茶苦茶ではないと祈りましょう。ともあれ、メンバーの選定は早めに。南北からのサポートメンバーと併せて、戦術を練る必要がありますから」
「構わねえが……気のせいか、随分と急ぎ足じゃねえか?」
「こちらの事情です」
「事情ねぇ……?――で、その〝事情〟とやらを抱えてる姫さんは、心ここに在らずでなぁにボケっとしてんだ?」
大男が目をやる先で、彼の言葉通りボケっとしていた『姫さん』――暫く前から口を噤んでいたアイリスは、向けられた声音にピクリと反応して、
「…………変な感じ」
落ち着かないような、痒いような。
言い表しがたい感覚を紛らわすかのように、胸元へ手を当てる。会話の流れにそぐわない不明瞭な言葉を発した彼女に、残る二人は首を傾げる他ない。
「ざわざわする」
そんな侍女と客人の様子を文字通り〝他人事〟に、少女はどこか遠くを見つめながら真剣な様子で呟いていた。
「…………なんとなく思っちゃいたが、今日はちと様子がおかしくねえか?」
「……今日だけなら、まだ良かったんですが」
ただ口数が少ないだけの『いつも』とは異なるアイリスの様子を、心配半分、好奇心半分の面持ちで見守るゴルドウ。
そして〝先日〟からこちら、ずっと落ち着きなく浮足立っている主の姿に、なんとも言えない表情を浮かべるヘレナ。
そんな年上二人から不思議なものを見るような目を向けられている、他ならぬ【剣ノ女王】様はと言えば――
「…………?」
彼女自身もまた、謎の予感でざわつく己の心に首を傾げていた。
◇◆◇◆◇
楽しいと、時間が早く過ぎるって言うじゃん?
それについては経験上おおよそ同意というか、基本的にはそういうもんなのだろうと納得もある――が、それも状況によるのだと俺は学びを得た。
現在時刻は午後六時過ぎ。
ちょうど夕暮れ時といった頃合い、俺はカフェの片隅で力尽きていた。
長い……本当に長い戦いだった。おそらくは俺のために『そうあれ』と努力してくれていたのだろう、いつも通りのノリではあるが決していつも通りではないニアを意識させられっぱなしで、白状すれば疲労困憊。
デートに疲れて力尽きるとか失礼も甚だしいが、そこはお互い様ということで目を瞑っていただく他ないだろう。
お相手のほうも、俺の目の前で見事にダウンしていらっしゃるわけだから。
いやもうね……最終的に楽しめたのは間違いないのだが、時間の進みが遅いのなんのって。一言二言会話しては途切れ、互いを見ればダメージを負い、時たま思い切ったニアの攻勢で俺が瀕死の重傷を負う。
そんなループが数時間にも及べば、こうもなるというものだ。
ともあれ、
「……っし、そろそろ行くか」
『ん』
しっかりと『デート』は完遂できた――と、初心者ながら、そんな風に自惚れてもいいのではなかろうか。
少なくとも、俺は楽しめたから。ニアもそうであったと願いたい。
短く言葉を交わして、共に席を立ってカフェを出る。前もって『暗くなる前に』と決めていた解散の時間につき、本日のデートはこれにて了。
――で、それは良しとして。
並んで歩きながら隣の少女が今どんな顔をしているのか、目を向けずともハッキリわかってしまうのが困ったところ。
……と、腕に絡む手を振り払わない言い訳は、それで足りるだろうか。
足りなくても、今ばかりは見逃してほしい。俺はこの際もう誰に詰られたって構わないから、隣で寂しそうな顔をしているのだろう彼女に免じて。
「あのさ」
出口のゲートまで、もうしばらく。
二重の意味で夢から覚めるまでの間、交わすべき言葉を選びつつ口を開いた。
「俺、ぶっちゃけ現実の自分にほとんど関心が無い」
チラと横目を向ければ、俺を見上げる緑色の瞳と視線が合う。聞いてくれていることを確認して、また前を向いた。
「自分が嫌いとかそういうのじゃないけど……単純に、大して価値がある人間じゃないというか、誰かに特別に見られる人間じゃないというか」
腕に絡む力が強くなったのは、今は気付かないフリをさせてほしい。
「八方美人みたいに振舞ってたのは、ワザとだ。価値が薄いなりに――というか、特別な人間じゃないからこそ、そのぶん人よりも誰かのために……みたいな?」
別に、コレについては特にネガティブな感情は介在していない。元より俺が抱えている、生き甲斐みたいなものだから。
……っていうのは、こっちの表情から読み取ってくれているだろうか? 穴が開きそうなほど見つめてくるのだから、そうあってほしいものだ。
「ただ、仮想世界で過ごすようになってさ。いろいろ『普通』とは言い張れない結果を出して、俺を〝特別〟に見てくれる人もできて……まあ、なんだ」
『特別に見てくれる人』と言いながら、流石に隣を見る勇気はなかったけれど。
「誰かのために、俺も流石に自分を顧みないといけないよな……とか、あー……思ったり、最近はするわけで、まあ、するわけだよ。だから――……?」
はて――足を止めたのは、どちらが先だったか。
その瞳は、未だに俺へと向けられているのだろうか。いつまで経っても湧いてくる気配のない〝勇気〟なんてものには見切りを付けて、隣を見れば――
「――――――」
向けられていた端末の液晶画面。
そこに綴られていた〝声〟が、俺から言葉を奪っていった。
衝撃でフラつきかけたのを堪えるも、背中から駆け上がった痺れが脳を麻痺させたかのように思考を飛ばす。
たったの、二文字。
結局なにが言いたいのか不明瞭なまま、長々と言葉を連ねた俺とは真逆。
たったのそれだけで俺の心を打ち揺るがした少女は、遠くに見える夕焼けよりもなお赤い顔で――逃げも隠れもせずに、心を曝け出していた。
それ即ち――『好き』と。
その文字と表情から目を逸らせないままに身を固め、動けないでいる俺へと――零に等しい距離から、更に彼女が一歩近づく。
そうして、なにかを思う暇も無しに。
背を伸ばし始めた影が二つ、音もなく重なった。
文字を打つことさえもどかしいほど、今すぐに全部を伝えたかったから。