37.0℃
「――……ふーむ」
いまいち作業に身が入らず、ひよりが作成途中のイラストとペンを放り出してからしばらくのこと。
別案件でもらった曲のメロディをぼんやりと聞き流しつつ、ベッドでゴロゴロを始めてどれだけ時間が経ったものか――
傍らのスマホを取り上げ時刻を見やれば、午後一時半。
渾身のコーディネートを施した親友を送り出してから一時間。合流が無事に行われたとして、デートが始まってからは三十分といったところ。
なお、メッセージの着信はナシ。常に片手で端末を抱えているのがデフォルトの子だから、場合によっては堂々とデートしながらヘタレて弱音を送ってくることもあり得ると思っていたのだが……。
大丈夫なのか、はたまた余裕がないだけなのか――どっちだろうね。
正直言えば、今回に限ってはまだ応援する気持ちよりも心配が勝っている。一応『絶対に人気がないところへは行くな』といった最低限の忠告はしたものの、冷静に現状〝押せ押せ〟なのがどちらなのかを考えると……。
むしろこれ、気を付けるべきは親友ではなく〝彼〟のほうなのでは? 暴走の心配があるのは、〝彼〟のほうではなく親友のほうなのでは?
「………………いやいや」
流石に――流石に、逆通報されてお縄に……なんて全くもって笑えない喜劇はないものと思いたい。
……本当に大丈夫? 大丈夫だよね?
「またへんなとこで思い切ったりしないでよ、お願いだから……!」
なぜ当事者でもないのに、こうも胃を痛めなければならないのか――なんて、それはもう今更のこと。
仕事も手につかないまま親友の無事を願う彼女は、どうか今日が平和に終わりますように……なんて、神様に冗談のようなお祈りをしつつ。
良いのか悪いのか、連絡の来ない端末をぽいっと傍らに放り投げた。
◇◆◇◆◇
常に人気の多い場所――そんな条件から安易に選出した大型テーマパークという舞台。結果として、お手本のように非日常を演出するお祭り騒ぎで満たされたこの場を選んだのは正解だった。
どこもかしこも狂乱一歩手前の活気に満ちており、自然に『楽しまなくては』という気にさせてくれる。
出だしは空元気を隠せなかった俺たちも『とりあえずアトラクションに突撃しようぜ』という体で、気まずさに捕まることなくスタートを切れたから。
……と、そこまでは良かったのだが。
「………………ニア、俺一つわかったことがある」
『……なに?』
「生身での空中散歩より、ジェットコースターのが百倍怖い」
『…………なに言ってるのかわかんない』
歩けば九割九分人目を引く連れのリクエストに応え、なにを隠そう人生初の『絶叫マシン』と呼ばれる類のアトラクションへ挑んだのが先程のこと。
その結果、揃ってダウンした俺とニアは共に青い顔でベンチに沈んでいた。
『ちょっとどころじゃなく意外。それでどうして向こうじゃアレなの?』
「俺が聞きたい……そっちこそ、あんだけ嬉々として突撃かましてソレか?」
『……あたしも初めてだったから、乗ってみたかっただけだもん』
なるほどね……関係ないけど、その〝アプリ〟もしかしなくても特別製だったりする? 打ち込まれた文章が都度メッチャ見易くリサイズして表示されるもんだから、この会話の形でも目が疲れないし助かるよ。
『あたしも一つわかったことがあるんだけど』
「うん?」
『怖くて悲鳴上げたくても上げられないの、新手の拷問みたいだった。ヤバい』
おう若干のブラックジョークやめろや。俺が相手じゃなければ、微妙な空気になってもおかしくない――……なんだぁ? その顔は。
一応は初対面の男相手に、そんな信頼しきった笑顔でキツい冗談投げてくんなよ。俺のHPが尽きてデート続行不能になっても知らんぞ。
「で、三半規管の具合は?」
『……まだちょっとフラフラ』
「だよな、飲み物でも買ってくるわ。なにが――」
――いいか、と。聞きながら腰を上げれば、当たり前のように追い掛けてきた手が俺の腕を捕まえる。
フリーズした身体を他所に目だけを横へ向けると、フラフラだと宣ったはずのニアがそっぽを向いて隣に立っていた。
「…………す、座ってて、いいぞ?」
言葉を掛けるも、返答は無い。
それもそのはず――声に代わり言葉を打つはずの手が、両方とも俺の片腕に絡められているのだから。
……まあ、言葉があってもなくても同じことか。至近距離から俺を見上げた大きな緑の瞳が、彼女の感情も思惑も全てを詳細に物語っているせいで。
即ち――今日は〝誰かさん〟の傍を、離れるつもりはないと。
「っ……――転ぶなよ」
返事代わりに力を込められた左腕の熱を、意識の外に追い出すものの。
歩き出した俺についてくる彼女の、予想を遥かに上回る攻勢は――恐ろしいことに、まだまだ始まったばかりであった。
◇◆◇◆◇
――眼鏡かけてる!!!!!
――髪ちょっと短い!!!!!!!
――髪型も結構違う!!!!!!!!!!
――雰囲気なんかちょっと仮想世界より穏やか!!!!!!!!!
もう無理ほんとに無理なんなの格好良いじゃん好き……ッ!!!!!!!!!!
と、そんな具合に。
真実、少女はバグっていた。それはもう、彼なりの線引きであったのだろう『手を繋ぐ』を飛び越えて、思わずその腕に手を伸ばしてしまった程度には。
全くもって、自分で自分が意味不明だ。
好みにしても、ここまで人の顔を好きになることある?――と内心では無限に首を傾げてしまうほどに、目を奪われて仕方ない。
日本人の父に対してファザコン気味だったのは自覚しているし、そんな幼い頃の記憶が〝趣味〟に反映されているのは自分でも理解できる……の、だが。
それでも、ここまで理想の男の子って存在するものなの? それともこれは、人格含めて好きになったから余計に輝いて見えるだけ?
考えれば考えるほど、どつぼに嵌まっていく感が否めない。
それに加えて――
「………………」
チラと視線を向ける先。売店のスタッフとやたらとフレンドリーに会話しながら注文をしている彼の横顔に目を向ければ、
ポーカーフェイスに見えて、ほんのりと顔が赤くなっている。
「すっっっごいお綺麗な彼女さんですねー!」
「っ、や、あの……はは…………」
そして、テンション高いスタッフのお姉さんに揶揄われてまた赤くなった。
無理。
もう無理。
ほんと無理。
もしかして、向こうよりもこっちのほうが防御力低い?
なんとなくそんな気はしてたけど、アルカディアの【Haru】でいる時は軽くロールプレイ入ってたりするから?
思ってたよりも、女の子に慣れてない?
それとも、慣れてないのは〝恋愛〟のほう?
もしかして、
いや、もしかしなくても――
……意識、してくれてるんだよね?
また強く腕を抱きしめたら、困ったように見返してきたのも。
目が合ったら、誤魔化すようにすぐ視線を逸らしたのも。
――知ってたけど。わかってはいたけど。
なんだかんだ言いながら、ちゃんと女の子として見てくれていたんだ。
……ねえ、どうしようひよちゃん。困ったよ本当に助けてほしい。
お風呂が好きだからって、よく長風呂でのぼせて叱られるけどさ、
「……ほ、ほれ。せめて片手は外さないと飲めないぞ」
もしかして、予想通り年下だったりするのかな。
こっちも一生懸命だけど、それ以上に……アプローチの一つひとつに動揺してくれて、必死になって取り繕おうとしている彼の姿が。
好きな男の子が、わけわかんないくらい可愛くて――今は生まれて初めて、自分の熱でのぼせてしまいそうだから。
他人に恋人扱いされても無反応。
なぜって〝キミしか見えてない〟から。