初めまして、声音はひとつ
――まだ三日、まだ二日、まだ一日。
十分にあったはずの猶予は数えるたびに確実に時を減らしていき、未だ覚悟が十分とは言えない俺を嘲笑うかのように〝その日〟は容赦なく訪れた。
水曜の夜からこれまでの三日なにをやっていたのかと言えば……仮想世界では、今週中は都合がつかなかったソラとの冒険を見据えて、師の道場へ顔を出したりもしつつビルド不調の改善に努め。
現実世界では、ある意味では仮想世界よりも非日常感が強い『お姫様』の相手に追われ――と、それなりに忙しくも賑やかに過ごしてはいたのだが。
正直、あんまり色濃く記憶が残っているとは言い難い。何故と問われれば当然、今日という日の〝予定〟が片時も頭を離れなかったからだ。
――現在地、生まれて初めての大型テーマパーク入口付近。
つまりは、待ち合わせ場所。
――現在時刻、午後一時ジャスト。
つまりは、待ち合わせ時刻。
「…………………………」
そして、示し合わせた通り。
指定された入口正面の広場を一方的に観察できる売店の人混みに紛れながら、俺は緊張でひっくり返りそうな胃を宥めつつ素数を数えていた。
仕方あるまい――正真正銘、生まれて初めてのそういうデート。しかもその相手が『勝手知ったる人物』であると同時に『初対面の人物』であるという謎状況ともなれば、誰だってテンパらざるをえないというものだろう。
「…………落ち着け」
細く息を吐き出し、自分に言い聞かせ呼吸を整える。
臨むと決めて赴いた以上、今更になって逃げるつもりはない。勇気を振り絞って男を連れ出した女性に、要らぬ恥をかかせるつもりもない。
そう――わかってんだよ、だから逃げられねえんだ。
もう一人……アーシェと同じく、気持ちをぶつけられたのなら向き合う以外に道はない。行く先がどうなろうと、目を逸らすことだけは許されないはずだから。
覚悟はダメでも、自覚はオーケー。あとは男の意地でエスコートを完遂するのみ――しからばそろそろ、その〝お相手〟を見つけなければ。
無理矢理気味にでも心を静め、顔を上げれば人の山。国内でも有数のテーマパークの上に週末とくれば、思わず酔ってしまいそうな人混みも納得だが……。
その中でも『見ればわかるよ』と、断言してのけた〝彼女〟の姿を探して――
「――――……………………え」
探して――
探して――――
探して――――――
目に留まった一人の少女を見て、かすれた声を最後に俺は言葉を失った。
二度、三度と瞬いては見直し、目を擦ってはまた見直し……それでも上手く呑み込めず、あらかじめ渡されていた連絡先に『着いてるか?』とメッセージを送る。
さすれば視線の先――俺の目を奪って離さない〝彼女〟が手提げのポーチからスマホを取り出し、なにごとか操作を始めた。
そして、数秒後。
「マジかよおい……」
完全に連なったタイミングで手の中の端末が鳴動するに至り、俺は確信と同時に驚愕に呑まれた。そりゃ当たり前みたいに言うはずだよ……見ればわかる、と。
想定とは別方向のプレッシャーで、正直足が竦んだ――が、そんなもの蹴飛ばすことは元よりの決定事項。
オラどうした、恥をかかせるつもりはないんだろ?
ならさっさと行けや日本男児――まさしく、藍玉の〝妖精〟様がお待ちだぞ。
売店を出て、ただ賑わっていると評すにしては妙な流れの人混みを掻き分ける。足を止め、各々でなにかに目を奪われている彼ら彼女らを。
掻き分けて、擦り抜けて――〝彼女〟の前まで歩を進め、まずは責務を一つ。
容赦なく注目を浴びまくり俯いていた誰かさんの正面に立ち、さも『関係者ですよ』と言わんばかりの態度で堂々と周囲に視線を返していった。
無遠慮な視線を真向から見咎められれば、お国柄とでも言うべきか大体の人間は最初からそうであったかのように見ていないフリ。
それでも残る注目については……まあ、連れのせいだと諦めようか。
さて――
「………………」
周囲を見回した後に振り返れば、透き通る緑色と当然のように目が合った。
ふわりと柔らかそうな、キャラメルブロンドのロングヘア。
細部は違えど、仮想世界の面影が色濃い大きな瞳と整った顔立ち――否、ここが現実世界であるならば、その容姿は『整っている』なんてレベルではなく。
あの『お姫様』の同類とでも言うべき――遠い国のお姫様がそこにいた。
「……っ、…………」
咄嗟に、日本語ではなく英語が飛び出しそうになって口を噤む。
仮想世界じゃいくらでも気安い言葉で通じ合っていたことを忘れる程度には、脳がバグっているらしい。しかして、そんな状態だから――
「え、と……初め、まして?」
第一声は、我ながら至極情けないものとなってしまったが致し方なし。
容姿も容姿なら、衣装も衣装。真白な肩を覗かせた空色のブラウスに、膝丈の白いフレアスカート――友人談ではどうも俺にお洒落のセンスは無いらしいが、服の品質や『その人に似合っているかどうか』くらいはわかる。
ハッキリ言わせてもらうが、まず『一般人』には見えない。控え目に言って『海外セレブのお嬢様』……そりゃ注目もされますわと。
「その、間違ってないよな……?」
確信はある――が、答えをもらうまでは安心できない。そのためジッと俺を見つめる少女へと必死に視線を返しつつ、頬を掻きながら問いを重ねれば、
「――――――」
一瞬だけ小さく口を開き、言葉なく閉じて。
視線を切った彼女は、握り締めていたスマホになにごとかを一生懸命に打ち込み始め――前もってその〝事情〟を聞かされていた俺は、それについては驚かず。
ゆえに、もう答えはもらったようなものであったが……どんなカタチでも、『初めまして』は交わすものだよな。
『間違ってない。初めまして』
差し出された液晶画面に綴られているものこそが、彼女の〝声〟だ。
『キミはそのままだね、知ってたけど』
聞かされていた……だとしても、少なからずの衝撃はあった。
けれども――見知ったその笑顔を見るに至り、俺は不要な感情を未練もなく放り捨てて笑みを返す。
「……お前も、そのままだな。心臓止まりかけたけど」
ふふーん――と、言っちゃなんだが脳内再生余裕。
得意気に……しかし隠し切れぬ気恥ずかしさからか、微かに頬を染めながら。
『一目惚れしちゃった?』
「残念だったな、三ヶ月前なら可能性あったぞ」
揶揄い言葉を宣う様を、わざとらしく鼻で笑ってのけて――ここまではと決めていた、デートへ臨むにあたってのサービスを差し出す。
「ここじゃ注目浴び放題だ。とりあえず行こうぜ、えー……あー……『お嬢様』呼びと『お姫様』呼びは、どっちが好みだ?」
『このすけこまし』
左手の見事な高速タイピングで、照れ隠しの冗談に手痛い反撃を返しながら――彼女は空いた片手で、迷いなく俺が差し出した手を取った。
……逃げんじゃねえぞ、俺。
この手から伝わってくる〝熱〟が、お前が向き合うべき男の責任だ。
「さて――せっかくの高級チケットだし、下調べは完璧だぞ。どれから行く?」
『ジェットコースター‼』
「マジかよお前。抱えて爆走したとき、ぶっ倒れてなかった?」
たとえ声が一方通行であっても、俺たちのやり取りに変わりはなく。彼女が堂々と笑って見せるのだから、俺が気にするべきことなど何一つないのだろう。
お互い、空元気を察し合っているのは承知の上。
ならばいつも通り、目一杯に楽しむため目一杯の努力をしようではないか――と、そんな意気込みが伝わったのか否か。
俺の友人であり、専属細工師であり裁縫師。仮想世界ではファン多き【藍玉の妖精】――そして現実において、妖精のように可憐な失声症の少女は、
朱に染まった頬を誤魔化すように、元気よく俺の手を引いて微笑んだ。
それについて、曇りはあるのか。
そんなもの、この作者が許さないぞ。