席を隣に
「――お待たせしました、渡り蟹のトマトソースです」
「………………」
「それから、こちらが春サンマと菜花のアーリオ・オーリオ」
「ありがとう」
大学生が五人も集まり騒いでいれば、時間などあっという間に過ぎるものだ。
午後はいつしか夜となり、友人たちからの夕食の誘いを『残念ながら先約があるから』と断ったのが一時間ほど前のこと――たったそれだけの時間で、『日常』が『非日常』へと早変わりだ。
場所は新たな住み家となったマンション、その内部に併設されたプライベートレストラン。小ぢんまりとした造りではあるものの、品のある落ち着いた雰囲気は十分に『世間から切り離されている』感が演出されており……。
まあ、非日常はもういい。いい加減、日常が希少と化してしまった己の現状はもう納得した。隣の席に当たり前のように世界一の有名人が座っていることも、潔く呑み込むとしようではないか。
ただし――
「…………なにやってんの?」
当然のような顔でウェイター兼シェフを演じているこの千歳和晴は、一体全体なんだというのか。
席に座ってベルを鳴らしたら、どこからか召喚されてきたんだけど?
「なにって、見ての通りだよ。設備があるとはいえ、この建物に外部の人間を雇い入れるわけにはいかないからね」
「ならそもそもレストランなんか併設しなければ……」
「元々はレストランじゃなくて、単に大きな調理場だったんだよ。〝入居者〟を入れるにあたって、食事のサービスを提供できるように改装したのさ」
言わずもがな、その入居者とは他でもない俺たちを指すのだろう。何度でも言わせてもらいたいが、VIP待遇が過ぎて怖いんだってばマジで。
「さあ、お喋りなら食べながらでもできるだろう?」
出来たてが一番おいしいから――というのは、まあその通り。
「んじゃ……いただきます」
「いただきます」
二人揃って、供された料理を前に手を合わせてフォークを手に取る。
別にイタリアン専門というわけではなく、挙げてもらった『今日のオススメ』からそれぞれ選んだだけで――
「っ……ちょ、っと待て。あんた本当に何者だよ……?」
「おや、それはどっちの意味でかな?」
ポジティブな意味でだよこんにゃろうめ……なにこれメチャクチャ美味いんだけど? こっちが本業じゃないかと疑うレベルなんだけど???
「美味しい」
「それはそれは、光栄です姫」
一口食べて呆れ返った俺を他所に、このお姫様のマイペース具合よ。
カウンター席でもないのに隣の席へ陣取っているアイリスは、もくもくとパスタを口に運びながらご機嫌な無表情であった。
食事時のスタイルなのだろうか、綺麗な黒髪が見事なポニーテールに結ばれており白いうなじが実に眩しい――というのは置いておこう。
春サンマって初めて聞いたな、秋の秋刀魚とはどう違うのだろうか。
「……いや、うん。素直に美味いっす」
「それはどうも。種明かしすると、前職が料理人だったんだよ。四谷に拾われてからも趣味として研鑽を続けてるってだけさ」
あぁ、なるほど。元本職様ってことね。それにしたって、その若さで大層な腕前だとは思うが……。
「さて……昨日の今日で、まだまだ話したいこともあるだろう。追加でなにか注文があれば呼んでくれて構わないし、俺は席を外して――」
「いいえ、ここにいて」
――と、料理と併せて頼んでいた飲み物を置きつつ、立ち去ろうとした千歳さんをアイリスが引き留めた。
俺も昨夜に『これからのことを話したい』と誘われただけで詳しいことを知らないが、彼も関係することなのか。
……どうでもいいけど、めっちゃ食いますね姫。
それ大盛というか爆盛じゃない? 俺のとは皿の大きさから違うんだけど。
「……?」
横目を向けていたのが気付かれてしまったのだろう。ふと視線が交じり、彼女は少しだけ首を傾げて――
「――味見、する?」
「は、ちょっ……!?」
澄まし顔で差し出されたるは、綺麗にパスタが巻かれた一本のフォーク。
マジであのほんとゴメンなさい勘弁して。
カトラリーから予備のシルバーを使ってくれたとか、ちゃんと具材が全て入るよう器用に巻いてくれたとか心遣いは感謝するよ。感謝するが――
「はい」
「いや『はい』って、あのなぁ……!」
迫真の二次元殺法で気遣いが丸ごと帳消しになってんだわ……‼
「はは、いいじゃないか。俺はなにも見てないよ」
「目を閉じるか背けるかしてから言ってくれるか!?」
そんでもって、お姫様が強過ぎる。
俺が応じる気配を見せないことにシュンとする――なんてテンプレのような乙女ムーブなど知ったことかと言わんばかり。
まさしく『食べるまでこうしている』という鋼の意思を感じさせる様で、微動だにせずフォークを差し出し続けているため〝逃げ切り〟が許される気がしない。
「そう気にしなくても、まだ他に恋人がいるわけでもないんだから刺されたりはしないんじゃない? 偽装婚約についてはノーカウントで」
まだってなんだよ他人事だと思いやがって。俺は事実として、これまで『恋愛ノーセンキュー』を撤回したことはないんだが……?
「いやもう……わかった、わかったから!――ちょっとそこの大人、直ちに年下への配慮を要求する」
退く気を微塵も見せないアイリスに根負けして、せめて場を整えるべく百パー面白がっている千歳さんにガンを飛ばす。
ハイハイと笑いながら背を向けた彼を他所に、覚悟などゼロのまま押し切られた俺は差し出されたフォークへと向き合い――
二次元でよく、恥ずかしいやら嬉しいやらで味が分からないって言うじゃん?
それについて、俺は一つの真理を得たね――死にそうなほど恥ずかしかろうがなんだろうが、ガチで美味いものは変わらず美味いのだと。
春サンマとやらもサンマのパスタも初めて食べたが、これは美味。
「ちょっと俺もこれ一皿追加で」
「……君も大概、神経太いよね」
「美味しいから」
もちろん、口にはしないけど得た真理はもう一つある――確かにこの激烈な羞恥心には、そんじょそこらの『美味しい』程度では太刀打ちできないだろうってな。
「ハル」
「はい」
「顔が赤い」
「おかげさまでねぇ……ッ!」
そのわっかりにくい無表情、貴様さては天然ではないな……!
飯テロに配慮して食べ物の描写は控えめを心掛けている、えらい。