見透かして、見透かされて
時は過ぎ、日付を変える寸前の深夜入口。俺は無敵のお姫様を相手に、二度目の〝勝てない戦い〟に臨んでいた。
いや、俺が勝てないというよりかは――
「あの、ごめんなさい。俺ちょっと婚約者がいてですね……」
「知ってる。四谷のお嬢様との偽装婚約」
――とか、
「それとは別に、ちょっと近いうちアレコレなりそうな相手も一人……」
「一人だけなら、想像していたよりもずっとライバルは少なそうね」
――とか、
「いやあの、ちょっと、ちょっと待って……俺もう今日一日だけで一年分くらい頭使ってんだよ、どいつもこいつも少しは手加減してくれよ……!」
「気遣いは努力するけど、手加減はできない。もう自分でもどうにもできないくらい――私、あの日からあなたのことしか考えていないもの」
――と、そのように。
仮想世界のみならず、アイリスことアリシア・ホワイトは現実においても無敵の女の子だったわけで……〝負けない相手〟に、一体どうやって勝利を得ればいいのか。
大体、いきなりそんな『恋』だのと言われて呑み込めるはずがない。
アレコレなりそうな相手とは異なり、今回に限ってはマジのガチで寝耳に水であったため動揺が計り知れないのだ。
だってそうだろ。なにがどうなれば世界中から『お姫様』と持て囃される真なる天上人が、一度剣を交えただけの自分に惚れてるなんて思うよ?
まさかそんな……『戦うヒロインが自分を負かした相手に速攻で惚れる』などという超展開が現実でも起こり得るなど――
「…………」
「っ……」
声もなく微笑まれ、呼吸を止めるのはこれで何度目か。
恥ずかしげもなく自己弁護をするならば、これに関して俺は無罪を主張したい。この妖精みたいな女の子に一対一で真正面から微笑まれてノーダメージな人類とか存在すんの? 金一封を贈呈するから是非名乗り出てほしい。
「仮想世界で笑っている曲芸師は底が知れなかったけれど――現実世界のあなたは、わかりやすいのね」
「ほ、ほう……? 俺の考えてることがわかるみたいな言い方だな……?」
意識して挑発めいた口ぶりは、彼女の言う仮想世界の俺をなぞってのもの。
アイリスと渡り合ったときのテンションを思い出すようにして、無理にでも自身のペースを取り戻そうと――
「ええ、そうね――私、あなたに負けたから好きになったわけじゃないもの」
……そう、思ったんだけどなぁ。
本当に胸の内を透かされてるんじゃどうしようもねえなぁ……。
「私だって、負けたことくらいある。イスティアで言えば〝二人組〟は天敵のようなものだし……あなたに近しい人なら、【剣聖】にだって勝てたことはないから」
「うん? ししょ――ういさんは逆のこと言ってたけど……」
確か『私では一歩及びません』とか何とか……。
「確かに、勝負では私が勝った。でも、彼女は全力を出していなかったから」
「……それは、多分だけど誤解では? 俺が知る限り、あの人が勝負で手を抜くなんてするはずがないと思うけど」
多分とは言ったが、俺の内心では『絶対』だ。こと武威を競う勝負ごとにおいて、かの剣聖様が加減をするなど有り得ない。
修行中どころか、一度『刀』を抜いたら戯れでも弟子を消し飛ばすような御仁だぞ。アイリスのような強者が相手であれば、むしろ嬉々として全身全霊を尽くしそうなものだが――
「もちろん、技術的な意味では手を抜いてなかった。けれど――彼女はスキルも、『魂依器』も、『語手武装』も、何一つとして使わない」
「それは、さぁ……」
……ひとつ、知る由もなかった情報が飛び込んできたことは置いておこう。
「わかってる、それが剣聖の矜持。彼女の剣は、だからこそのもの……そもそも強さを望んでいない相手に、勝手な文句をぶつける気はない」
「……まあ、理解を示してくれているのは弟子としてなによりだが」
――これ、あれだな。一瞬ういさんとアイリスに何かしら確執があるものかと警戒したが、相変わらずの無表情寄りなその顔を苦心して読み解けば……。
「素直に尊敬するし、憧れてもいる――彼女の剣は、仮想世界での人間による到達点だと思っているから」
ファン……とは違うのだろうが。その実、彼女も【剣聖】を深く認める一人であったわけだ。憧れと口にしたその顔に嘘や世辞は見当たらず、弟子としては鼻が高いばかりで
「――でも、だから、彼女の剣は〝至高〟であって〝最強〟じゃない」
……ただ、そこで終わらないのが【剣ノ女王】らしいというか。
「彼女は自分自身の手は抜かないけれど、そこで終わり。〝その先〟へ手を伸ばそうとは、決してしない」
「…………」
それはおそらく俺とアイリスが通じるものであり、ういさんだけが異なるもの――即ち、システムに与えられるものも『自分の力』として飲み込むか否か。
弟子として、師の在り方を問う気など毛頭ないが……言いたいことはわかる。
つまり彼女は、こう言いたいわけだ――
「随分前に諦めたことだけど……思っていた時期があるの。もし彼女がその気になってくれたら、私と競い合う存在になってくれたらって」
――と。理解できるよ、そう思ってしまうのも。
あの人が何かのキッカケで〝強さ〟に貪欲になったら、それはもう〝最強〟の剣聖様になってしまうだろうと容易く想像ができるから。
「……好き勝手なことを言ってる自覚はある。怒ってくれてもいい」
ほんのりとでも庇う姿勢を見せたことから、俺が『師』を慕っていることはバレているのだろう。偽りなく本心を晒しておいて、後になって俺の反応を恐る恐る窺うのがなんともまあ。
恐る恐る(無表情)なのがまた……器用なのか不器用なのかと、思わず気の抜けた笑いを零しそうになってしまった。
「怒るわけないだろ」
少なくとも、こんなことで怒っていたらそれこそ師匠に叱られてしまうよ。
「ういさんなら絶対、ほんわか笑ってからこう言うね――『ですが、それが私の剣ですから』って」
…………いや、別に口調まで真似る必要はなかったな。落ち着け俺、そろそろ正気に戻らないといつまでも翻弄されっ放し――ほら笑われた死ぞ。
クスリとアイリスが笑みを零したのを見てヤケ麦茶を呷る俺に、彼女は微笑をそのままに「違う」と呟いた。
「揶揄ったんじゃない――きっとそれが、あなたを好きになった理由だから」
「――っな、ぐ……」
揶揄われたわけじゃないにしろ、俺が負うダメージは軽減されるどころか増大したわけだが。それと言われても、どれのことかもわからんし……。
「自分のことは見ていないのに……いいえ、だからこそなのかしら。あなたは、よく人を見てる。自分よりも――もしかしたら、相手自身よりも」
「あの、俺わりと仮想世界では自分勝手のやりたい放題で……」
「見透かされた私だから、わかる」
俺の言葉を遮る――というよりは、窘めるように。
「あなたは、自分が楽しむよりも相手を楽しませたい人」
「いや、だから」
「ではなくて――自分のために他人を楽しませたい人」
「――――――」
「――ハル」
頬に〝熱〟が添えられて、自分が思考を失っていたことに気が付いた。
「私の〝傷〟を『知るか』なんて跳ね除けて、なにもかも纏めて溶かしてしまったあなただから……嫌われるのも、覚悟して言うけれど」
「……あぁ」
覚悟などと言ったわりに、アイリスの表情は穏やかなものだった。
「その在り方が、あなたにとってどんな意味を持っていても――私は、それに救われたの。……報われたの」
「…………」
「勝ち負けなんて、関係ない。たた真直ぐ私にぶつかって、子供みたいに自分の感情だけを叩き付けて――ただ『笑え』って叫んでくれたあなたに」
……ジッと耳を傾けていると、平坦な声音の微かな震えに気が付いて。
顔を上げれば、
「【剣ノ女王】を倒した【曲芸師】じゃない――〝私〟を笑わせてくれたハルに、恋をしたの」
目に映る〝笑顔〟が、俺のおかげだと彼女は言う。
酷い〝仕返し〟だった。それはもう、ものの見事に――これ以上ない、俺にとってのウィークポイントに他ならないのだから。
「……私の気持ちは信じてもらえたみたいだから、大切なことを聞いておく」
言葉を返せず目を見返すことしかできない俺に、ふっとわかりやすく表情を和らげてアイリスが言う。本当に、手加減はしないけど気遣いはしてくれるようだ。
――いつまでも、やられっぱなしでいるんじゃねえぞ日本男児。
「……なんなりと、お姫様」
「婚約者は置いておいて、いま恋人は?」
「いない」
「大事な人も置いておいて、心に決めた人は?」
「……いないよ」
「女の子に、興味が無かったりする?」
「あるよ、人並みには」
「それなら――もしかして、〝恋愛〟が嫌い?」
「勘弁してくれ……」
――ダメだ勝てねえ。
この短時間で、どこまで見透かしてくるんだよこの子は。
「そう。それじゃ……お付き合いしてくださいは、悪手ね」
むしろ、そうしてくれたなら正面から断れたのに――なんて考えるのは、きっと無意味なのだろう。だって彼女は、本人の言葉を聞く限り……。
「なら――あなた自身に〝恋〟をしてもらうしかない」
誰かさんのおかげで……諦めなかった結果、報われてしまった女の子だから。
彼女はきっと、これからはもう曇ることすらなく〝諦めない〟を体現するのだろう。その熱が向かう先は、他でもない誰かさんというわけだ。
――世界のお姫様が、俺ごときに〝恋〟をしている。
現実感がなさすぎて、もう何がなんだかわからないが……。
「だから……覚悟してね、ハル」
「………………て、手加減はしないって、具体的にはどの程度?」
今更もう逃げ道がないのなら、せめて彼女の言う通りに向き合う〝覚悟〟はせねばなるまい。これから始まるのであろう、仮想世界最強のお姫様による――
「そう、ね――油断して押し倒されないように、気を付けて」
「…………………………」
文字通り、言葉通り……男の事情など知ったこっちゃないと豪語するアイリスの――恋する乙女の、猛攻というやつに。
先にやっちゃったんだから、自分だけ踏み込んで来るなとは言えないよなぁ?