待っていた人へ
お茶会――つまりはある程度の〝お喋り〟を御所望とのことで、顔合わせの相手が誰かを知る前から多少の用意はしていた。
とは言え、時間が時間。
深夜を手前にしてケーキだの珈琲だのを振舞うのもどうかと思い……そのラインナップは、かの『お姫様』に提供するのが憚られるようなものばかりである。
少なくとも、世界のアリシア・ホワイトを『ホット麦茶』で歓待した奴はそういないだろうよ。知らんけど。
「美味しい」
「そりゃどうも……」
しかして、当の本人はお茶請けの俺お手製チーズクッキーに夢中な模様。風味がするだけでチーズ自体は使っていない上にアホほど低カロリーな俺定番の夜食だが、それを世界的な有名人に振舞う日が来るなどとは思いもよらなかった。
バイト戦士時代の俺に様々な節約健康レシピを授けてくれた、レストランシェフの錦野料理長(41)二児のパパに感謝しなくてはなるまい。
元気にしてっかなあの双子ちゃんたち。
「……で? この状況、詳しく説明はしてもらえると思っていいんだよな?」
「うん、全部説明する」
俺の問いに素直に頷くアイリス――もといアリシアは、なんというか仮想世界と現実世界で随分と雰囲気が違う。
そりゃまあ現実の平常時orアルカディアの戦闘時という対極の環境で対面しているわけだから、当然と言えば当然なのだが……俺の言葉に一々素直な反応を返してくるせいか、外見以上にあどけなさを感じてしまっていた。
――というか、その『外見』よ。
アルカディアを始めたばかりの頃。テレビでその姿を見かけた時から勝手に『造り物』と思い込んでいたその容姿が、まさか単なる現実との色違いだとは……正直、四谷に提供されたハイエンドな部屋ですら見合っていない。
青銀の髪とガーネットの瞳から、黒と黒へ。
名前に似付かわしくない日本人のデフォルトカラーであるというのに、彼女を見て自分と同じだと思うご同郷はまずいないだろう。
ドレスやティアラで着飾り、どこぞの国の王女ですと言われたほうがまだ現実感がある。美人だからというよりも、纏っている空気がそもそも別物で――
「――ハル?」
「なんでもないっす」
事実を白状するならば、見惚れていましたとしか言えないからね。男としてというより、人間としてある種の美術品を見るような意味合いでだが。
「そしたら……まず、そもそもどうしてアイリスがここに?」
質問をしながら、今更ではあるものの遠慮がない己の口調に忌避感を覚え始める。見た目からはマジで年齢がわからないのだが、なによりもぽっと出の俺とは立場が違い過ぎる人間だからな……。
もう遅いかもしれないが、敬語に直したほうがいいだろうか。
「あなたと同じ。私も四谷開発のオファーを受けたから」
頭の中でゴチャゴチャと考えを巡らせている俺を他所に、アイリスは仮想世界と変わらぬ甘く涼やかな声音で端的に答えてみせる。
ファーストコンタクトのたどたどしさが嘘のような堂々っぷりだ。
……どうでもいいけど、ジッッッッッと真直ぐに見つめてくるの勘弁していただきたい。その眼差しを受けて平然としていられる人間は、男に限らず全人類含めてそういないと思うんですが。
「その言い方だと、同じタイミングで受けたような……」
「そう、あなたと同じ」
それはなんというか……また、謎の追加でございますか。
四谷が俺に声を掛けたのは、精神的には単なる一般人でしかなかった俺を守るため。そうすることで、有力プレイヤーに台頭した俺が現実のしがらみに潰されて攻略が滞ることがないようにするためだ。
ならば、今アイリスに声を掛けたのはなぜだ?
俺とは比べ物にならないほど高く重い立場にいながら、三年もの間を四谷に頼らず乗り切ってきたのであろう彼女に、なぜ今更?
それとも、声掛け自体は以前から? あくまでアイリスがオファーを〝受けた〟のが、俺と同じタイミングだったということか?
だとすれば今まで断っていた、あるいは保留にしていた理由は?
なぜ今になって、そのオファーとやらに頷く気になった?
……全て問えば、彼女はおそらく答えてくれるのだろう。しかし誠に申し訳ないが、今のところ俺の本音としては――
「ふむ……――そっか」
今は正直、熱心に根掘り葉掘り問うほどの気力が無い。
こうして会いに来ている以上、俺に関係ない事柄ではないのだろう。だから興味も関心も無いとは言わないが、余すことなく俺が知る必要があるかと言えば……多分、そんなことはないんじゃなかろうか。
そもそも、事情を深く問い詰めるような仲でもないわけだし。
「それじゃまあ、あれだな。同僚……は、おかしいか? 二人とも同じところと契約したといっても、別にチームで動くとかもないんだろうし」
「それは……そう。私は、自分のクランを率いないといけないから」
「だよな。ならとりあえず、同じ志の仲間……くらいに思っとけばいいのかな」
「そう、ね」
「オーケー。とりあえずは了解した」
四谷にとって、アルカディアの攻略は悲願のようなもの――そっちについても詳しいことは未だ不明なままであるが、だとするならば『最強のプレイヤー』に声を掛けるというのも頷けるだろう。
で、どっちの事情かは知らないが保留になっていた契約が、この度アレコレあって先へ進んだと。うん、納得納得。
ただまあ、一つ困ったことがあるとするならば……。
――目の前におわす『お姫様』が全くもって納得いかない様子で、俺に対して謎のプレッシャーを発していることくらいか。
「……それ、だけ?」
「いや、だけというか……むしろ、俺はあと何を聞けばいいのかなと」
突然現れたアイリスに驚いたのは確かだ。というか、驚きすぎて逆に冷静になっているまである。とにもかくにも、あの【剣ノ女王】が俺の部屋で麦茶とクッキーで和んでいるという状況の現実感が薄すぎるから。
俺に何かしら〝用〟があるのは察しているよ。
ただ、ソレを俺から訊ねるべきか否か判断が付くほど、俺たちの関係性は深いものではないから……聞くに聞けない、というのが正しいか。
まさかとは思うが、ぽっと出で自分に土を付けた俺への〝お礼参り〟ではないといいな――などと、これでもそれなりに緊張している俺が冗談めかした思考で自分を誤魔化していると、
「そう――よく、わかった」
少女の纏う雰囲気が、明確に変じた。
それは、そう。どこかのんびりとした穏やかな様子から、
「っ……へ?」
全くの無意識のうちに、俺を椅子ごと一歩引かせるほど……謎の〝迫力〟を伴う、まさしくの臨戦態勢へと。
正体不明の謎圧力に思わず怯んだ俺を他所に――静かに立ち上がったアイリスが、テーブルを迂回して近付いて来る。
彼我の距離は、たったの数歩。
先日、剣を交わしたとき以来の至近距離。
仮想世界の【曲芸師】とは異なり、咄嗟の回避も離脱も叶わなかった俺を――椅子の上から覆い被さるように背凭れへと両手をついた少女が、閉じ込めた。
「おい、ちょっ、おま……!?」
「私に、興味がない。そうでしょ」
それは誤解というか多少はあるというか近いというか――
「でもそれ以上に、自分が興味を向けられることに無頓着」
「な、にを言って……」
「正しくは、自分の価値を信じてない」
「――……、………………」
唐突極まる接近からの、前触れない看破。
結果、黙らされたのは俺のほうだった。
「でも……〝それ〟はいい――どうでも、いい」
ならば何故、心の内を勝手に暴いたのか――そう文句を言いかけて、気付く。
――……寂しい、のか?
――つまらないんだよな。
――張り合いがないんだよな。
――笑わせてやんよ。
――――全力で楽しめよ、アイリス。
……我ながら、なにを馬鹿なことを。文句だなんだと言えた義理かよ――先に勝手に暴いたのは、他ならぬ俺のほうだというのに。
一度、曝け出すままに心をぶつけ合った相手。
錯覚か真か、剣を通して感情を交え合った相手。
そんな彼女には今、どこまで俺の内が見えているのか――
「ハル」
「っ……は、はい」
「言葉を返す。あなたの詳しい事情なんて、知ったことじゃない」
それは果たして、二日前の夜。
不遜にも、俺がアイリスに言い放った言葉の一つだった。
「だから……聞かれないなら、勝手に言う。私がここに来たのは、四谷の誘いを受けたのは――全部、こうしてあなたに会うためよ」
「………………」
「なぜ、なんて聞かなくていい。あなたが〝全部〟を私にぶつけてくれたように……私も〝全部〟を、勝手にあなたへぶつけるから」
「ちょ、っと、待て……おま、流石に近すぎ――」
押し退けようと思っても、その身に触れることさえ罪に思うほどの凄絶な美貌。椅子ごと捕まえられた俺に逃げ道はなく、言葉だけに頼って退かせようとする。
その瞳に湛えた〝熱〟は、その程度で退くことなどないと知りながら。
「あなたが私に興味はなくても、私はあなたに興味がある」
「興味……って」
混乱するままの頭でオウム返しにしてしまい、すぐに後悔した。
何故って――笑顔がぎこちないはずの少女から、これまでにない柔らかな微笑を引き出してしまったから。
「女性が男性に『興味がある』なんて――普通、理由は一つだと思うけれど」
待ってくれ、と思ったのに。声が出なかったのは真実、誠に遺憾ながら――
今度こそ、男としてその笑顔に目を奪われてしまったから。
「――ねえ、私の待っていた人」
もはや、俺に一切の逃げ道など存在せず。
「私は、これを〝恋〟だと思うのだけれど――あなたは、どう思う?」
生まれて初めて、真正面からの〝愛の告白〟は――
遠い仮想世界の、お姫様からのものだった。
おまたせ。
頭に王冠も乗っけてたからね、真っ二つになってるけど。