邂逅、邂逅、そして邂逅
考えるべきことは何一つ減っていないものの、やはり仮想世界での冒険は俺にとってこの上ない清涼剤となってくれた。
歩むのが薄暗い洞窟であっても、相対するのが馬鹿デカい虫であったとしても――楽しいは最強、楽しいは正義。
更には隣に可愛いの権化までいるとなれば、その癒し効果は計り知れない。
「は?」
そんな特上の癒し効果を受けて、ある程度の落ち着きを取り戻した俺はといえば――〝約束〟の十一時現在、スマホを片手に威圧的な声音を零していた。
……零したというか、ワザとだけどな。抗議というかなんというか、もう『いい加減にしろ』というお気持ち表明を全力で込めたけどな。
『悪いんだけど、先方の強い希望でね。安全……というか、身元は保証するから安心してくれていいよ』
「いやそりゃ四谷の関係者ならそうでしょうけども。え? ちょっと待って、マジで言ってる? この期に及んで俺に更なる負荷を掛けます???」
『はは』
なに笑ってんの? 面白い部分なんて何一つなかったぞ代表補佐ぁ……!
「百歩譲って同席しないのはいい。けど初対面同士の一対一状態で夜のお茶会まで展開しろとはどういう了見なの?」
『それも俺がどうこうじゃなくて、先方が望んでることだからねぇ』
「ねえもう本当に怖いんだけど……結局のとこ誰なんすかその先方とやらは」
やたら此方への関心が強いことを推してくる相手に恐怖を感じる俺を他所に、千歳さんの返答は相も変わらず『守秘義務』がどうたらこうたら。
その裏にあるサプライズって言葉はもう割れてんだぞ、いい加減にしろ。
「大体、もう時間過ぎてんすけど。このまま来ないようなら、流石に疲れたんで寝かせてもらっなにこの音楽!?」
わりと真面目に今日はもう寝かせてくれと懇願を試みかけた瞬間、だだっ広い部屋に鳴り響いた聞き慣れないメロディにビビり倒す俺。
『あぁ、来たみたいだね。それじゃ、後は二人でよろしく』
「なんだよこれ呼鈴かよ……って、ちょ待――切りやがった……‼」
なんなの? 本当に四谷開発なんなの???
代表といい代表補佐といいメイド(?)といい自由人の集団かよ……。
ええい、もう知ったことか! 夜のお茶会だか何だか知らねえがやってやんよ、かかってこいや本日のラストイベントッ……‼
そして再び鳴り響くチャイムメロディ。無駄に品の良いクラシックな音色を聞きながら、俺はドアホンのモニターを覗き込み――
「――……、……………………?」
やたらとボタンが盛られている高級品を前にして、成す術もなく固まった。
急募:モニター付き高級私設有線通話装置の操作方法――仕方ないだろ、実家にはごく普通のピンポンしか付いてなかったんだよ‼
◇◆◇◆◇
マンションというよりは、高級ホテルを思わせる絨毯の敷かれた通路にて。
扉の前に立つ『彼女』は経験したことのない類の緊張を胸に、表情は薄くもそわそわとドアホンからの返答を待っていた。
「……、…………っ」
深呼吸をしようとして、それさえ無様に失敗してしまう。途切れ途切れに吐息が漏れるばかりで、余計に苦しくなってしまった。
『早く会いたい』と急かしたのも自分なのに、
『できれば二人きりがいい』と我儘を言ったのも自分なのに、
期待と同じくらい大きな不安と緊張に挟まれて、つい先日まで冷たく凍っていた感情が嘘のように騒がしい。
とにもかくにも〝初めて〟が多過ぎて、迷いなく行動しているはずなのに常時混乱しているというチグハグ具合だ。
外へ出かけるわけでもない癖に、生まれて初めて自分から思い立ってお洒落にも挑んでみる――といった感じの暴走&迷走状態。
しかもそのせいで、自分から急かしておいて遅刻するという体たらく。
重ね重ね無様を晒す〝今〟を数日前の自分が見たら……果たして呆れるのか嘆くのか、それとも――
「――……っ」
思考ともとれない言の葉に溺れていた、そのとき。
どうしてか、ドアホンからの返答が無いまま――カタリと、扉の内で鍵が回された小さな音を耳が拾った。
少し、待って欲しい。
それは順番が違う。
最初に『声』を聴いて、覚悟を決めたその後に――
「――あー…………ど、どうも、こんばんは……?」
「――――――」
『顔』を見たいと、思っていたのに。
静かに開かれた扉から、声と一緒に部屋の主が顔を覗かせて――どうしてか反射的に顔を伏せてしまった彼女の表情を、長い黒髪が覆い隠した。
「……、…………っ」
「……えーと、部屋は間違ってませんよね?」
挨拶を返そうとして、また失敗。戸惑いの色濃い『彼』の声音は当然のこと、これでは遅刻者どころか完全に不審者である。
――といったところで。まだまだ色濃く残る〝以前の自分〟が、『いい加減にしろ』とグダつく彼女を引っ叩いた。
……否、引っ叩くどころか。
それはどこぞの『女王』の一閃にも匹敵する多大な勢いと威力をもって、似合わぬ〝初心な少女〟と成り果てていた【剣ノ女王】を蹴飛ばした。
顔を上げろ、前を向け。
私は、そう――アルカディア最強と呼ばれる【Iris】。
絶対強者、無敵の女王、白銀の剣姫、最強お姫様、仮想世界の大天使、今世紀最大のバグ――その他なんだかよくわからない言葉の数々で褒め称えられる自分自身を、今こそ信じて臨むのだ。
生まれて初めての、この未知なる想いに。
「っ……――初め、まし」
……しかし、甚だ予想外ながら。
口より先に身体が動いてしまったことについては、今後の課題としていこう。
◇◆◇◆◇
――玄関開けたら、女の子が突進してきた。
なにを言っているのか分からないと思うが、俺も何が起こったのか分からない。
謎に多機能な高級ドアホンに匙を投げ、あまり待たせるのも悪いと思い切って扉から顔を出して十秒弱。勝手に大人相手だと思っていたものだから、俺はまず予想を裏切って華奢な女性が立っているのを見て驚いた。
一見ドレスと見紛うようなお洒落なワンピースを着こなした、長く綺麗な黒髪を背に揺らす女の子。
すぐに伏せられてしまった顔は見えなかったが、雰囲気からして大層な美人さんの気配が――と、落ち着いて思考ができたのはそこまでだった。
あちらも緊張していたのだろうが、言葉を詰まらせたのは数秒だけのこと。
彼女は突然、どこかで覚えのあるドデカい気配を纏い――
「――――……いってぇ」
このように、突進からの見事なテイクダウンで俺を下敷きにしている。
顔合わせを急かされ無茶振りされ遅刻され、挙句の果てには初対面ボディプレスPart.2。正直なところ一瞬だけ感情のままキレそうになったが、俺の上に乗っかっている女性――少女の顔を見て、毒気が抜かれてしまう。
……何故ってそりゃ、俺よりビックリした顔してるんだもの彼女。そんなつもりはなかったのだろうと、流石に聞かなくてもわかるほどに。
いや、わからないけどね。ビックリしてるのはわかるけど、なにゆえ自分でもビックリするようなアクションを取ってしまったのかについては百謎だけどね。
ともあれ――思いもよらぬ変化球を受けて目に入ったその『顔』に、違和感。
違和感? いや、これは……既視感、か?
「――……、…………」
驚きと困惑のままに見つめる俺と、またも既視感を感じる〝無表情〟で見つめる少女。互いに向けられた視線は、交わっているようで交わっていない。
向かい合っての一方通行――〝答え〟と共に、先に言葉を取り戻したのは、
「――――………………アイ、リス……か?」
全くもって想像していなかった来訪者に、呆然とその名を問うた俺のほう。
しかして――画面、仮想世界、そして此度の現実世界。
三度目の邂逅と相成った『彼女』は……それもまた見覚えのある、不器用極まる微笑を浮かべて、
「……ごめんなさい、会いに来ちゃった――ハル」
【剣ノ女王】にして、【Iris】にして、アリシア・ホワイト。
仮想世界のアバターとは〝色〟だけが異なる姿で、変わらず人間離れした美貌を輝かせながら――変わらぬ声音で、嬉しそうに俺の名を呼んだ。
「……ひとつ、いいか?」
「うん」
「そろそろ退いてください」
「……ごめんなさい」
いろんな意味で――忘れられない出会いになったよ、お姫様。
作中全世界が羨むであろう迫真の『来ちゃった』。