心の天秤
――――、――――、――――、――――――――
『――……はい、春日です』
「やあ、さっきぶり。少しいいかい?」
『大丈夫です、けど……なにか?』
「ちょっとね。話しておいた君以外の入居者について……本当は明日にでも紹介するつもりだったんだけど、いろいろあって急かされてしまったんだ」
『はぁ……うん?』
「できるだけ早く顔合わせがしたいってことだよ。だから悪いけど、今日この後どこかで時間をもらえるかな」
『いやぁ……ちょ…………っと、今日はアレというか……あの、俺またすぐに仮想世界でソラと合流する予定もあって』
「ふむ……――春日君。これは一応、善意からのアドバイスなんだけど」
『はい』
「さっさと会ってしまうほうがいい。俺も想定が甘かったというか、ここまでだとは思ってなくて……あまり我慢させると、反動が怖そうだ」
『…………あの、俺は一体〝なに〟と顔合わせをさせられるの?』
「ごめんね、サプ――守秘義務で、まだ言えない」
『おい。今サプライズって』
「――ともかく、できれば今日中に時間を作ってほしい」
『…………いや、まあいいけどさ……ただ、ソラとの約束は優先させてもらう。個人的に、話さないといけないこともあるから』
「構わないよ。向こうも『時間はいつでも構わない』と言っていたからね」
『〝向こう〟ねぇ……了解。そしたら遅くなるけど、十一時頃とか?』
「OK。伝えておくよ」
『あぁ、ハイ……よろしく。えと、それじゃ』
「うん、突然ゴメンね。こちらこそ、後程よろしく頼むよ」
無事に約束を取り付けられ、密かに安堵しながら通話を切る。
数分前。とある〝催促〟の連絡に『YES』を返すしかなかった千歳は、なんともいえない顔で端末を眺めつつ――
「性懲りもなく、またなにかやらかしたな」
覇気のない、どこか弱り切った様子の声音を思い返して苦笑い。
この後も特大イベントに見舞われることが確定した彼は、果たして正常なメンタルで明日を迎えられるのか――
『無理だろうな』と他人事のように笑い、千歳は再び〝仕事〟をこなすべく端末を手に取った。手早く操作してメッセージを送れば……返信は即座。
見るからに素っ気ない、端的に了解の意を表す文面の裏に……何ともまあ、どうしようもなく逸る気持ちが透けて見える。
順調に混沌を極めていく現実は、どう足掻いても――
春日希を、逃すつもりがないようだった。
◇◆◇◆◇
「――大丈夫ですか……?」
パートナースキル《絆の道扉》を用いて、合流してからの第一声。
どことも知れぬ森の中に転移したソラは、相棒の思わぬ様子を見て反射的にそう問いかけていた。
あれこれ用意していた挨拶の文句は、出番を逸してお蔵入りである。
「…………即バレするとは思わなかった」
対するハルは、綺麗な笑顔を崩して苦笑を一つ。取り繕った平静を数秒足らずで見抜かれて、彼は困ったように頬を掻いてみせた。
パートナーですから――と……そんな軽口を、少し迷った末に呑み込む。
様子がおかしいのは見破れたものの、その内情が読み取れない。困っているのか、弱っているのか……いつもであれば、互いの考えがわかるのに。
こそばゆくも、密かに誇らしく思っている以心伝心――ソラはその理由を、なんとなく理解していた。そしてそれは、おそらくハルも同じく。
だからこそ、
「ほら、行きましょうっ」
「――っと……!?」
パートナーの手を取って、見覚えのない森の風景を意に介さず走り出した。
グイと遠慮なく引っ張れば、ハルは驚きの声を漏らしながらも後に続く。されるがままの彼を連れて、ソラは日が落ち始め薄暗い木々の間を駆けた。
「っ……ソラ、どこに――」
「どこだっていいです」
遠慮無しに引っ張りながら駆けても、もはや流石の身のこなし。苦も無く追走しながら、しかし当然の戸惑いをもって口を開いたハルの言葉を遮って。
振り返り、返すのは笑顔だ。
「今日はもう、難しい話はお腹いっぱいですから。なので――」
困った顔、弱った顔、なにかを悩んでいるような顔。
そうじゃなくて、いつだって笑顔を見せてほしい……なんて、勝手でわがままな感情を、ただ押し付けたりするつもりなどないから。
「私、ハルと冒険がしたいです」
笑顔を引き出す努力くらい、いくらでもしてみせる。
――以心伝心の理由は、自分を伝えるのを躊躇わないから。
ワクワクする、ドキドキする――二人で一緒に冒険を続ける間、自分たちはいつだって心を曝け出していた。
〝楽しい〟に夢中になって、
〝悔しい〟にムキになって、
二人一緒に、子供のように。
考えてることがわかるなんて、当然だ。
仮想世界に生きる【Sora】として、【Haru】として――ただ心に浮かぶままの感情を、何度も交えてきたのだから。
だから、今だって。わからないということが、わかっている。
そう考えれば――
「今日は、私がエスコートしましょうか? それとも……」
以心伝心は、いつも通りだったのかもしれない。
「いつもみたいに――ハルがどこかへ、連れて行ってくれますか?」
「……………………はぁ……なんというか、ソラも手強くなったな」
相変わらず『困ったような』が頭につくものの――笑顔を一つ引き出せたのなら、及第点と言えるだろう。
そうとなれば……先程は呑み込んだ、軽口の出番。
「えへへ……あなたのパートナーですから」
差し出した手を取られ、引かれて――その腕に抱えられるのは、もう何度目か。
「それじゃ……ちょっと遠いから、全力ダッシュを覚悟してくれよ」
「ハルの全力は、バリエーションが多過ぎてよくわかりません」
「そりゃごもっとも――……あとで、少しだけ話がある」
「……はい。では、あとで」
だから今は、いつぶりかの冒険へ。
音もなく疾走を始めた相棒へ身体を預け、風に吹かれる髪を押さえながら――
「――…………」
こっそり見上げたその顔に思い抱くのは、代えがたい安心だけだった。
『信頼』>>>『 』
『信頼』≒『 』