水鏡に映る藍心
――扉を開けたら、出迎えてくれたのは人形だった。
いや人形というかアレだ、トルソー? 衣装なんかの展示用に使われるマネキンの一種が、いつも部屋の主が座っている椅子に物言わず鎮座していた。
なんなの? 怖いんだけど???
「あー……ニアちゃん?」
一応ノックから『どうぞ』と入出許可をいただく流れは踏んだわけだが……どうやら、思った以上におかしなことになっているらしい。
他にどうすればいいのかもわからず、恐るおそる首無しのマネキンに向かって声を掛けると――
「ご、ごきげんよう」
「………………」
と、バグった返答はやや下方から。どうも机の下にいるらしいが、足元にも板張りされているタイプのため様子を窺うことはできない。
本当になんだコレ。果たして、どう対応するのが正解なのやら。
「えー……と…………アレか、なんか怒ってる?」
「ちがっ……違う、けど……!」
「なら、なにかしら顔を合わせたくない理由が……?」
「……そ、そういうのは…………、そうじゃなくて……!」
――なるほど、わからん。わからんが、理解した。
なにをって、このまま謎なやり取りを続けたところで、謎な状況は動かないだろうということをだ。
「――そっち行っていいか?」
「っ……だ、ダメですけど」
「そっか――それじゃ『本当にマジで心の底からダメ絶対』なら五秒以内にもっかい言ってくれ。ハイいーち、にーい、さーん」
「な、はっ……なに、ちょっ――!?」
そもそも、俺は呼ばれて来たんだ。
迎え入れられた上で拒絶なんてされる云われはないし、何かしらシリアスな理由でも抱えているなら彼女はこういうテンパり方はしないだろう。
奇妙な信頼の寄せ方をしている自覚はあるが、自信もある。
五つ数えながら、机の後ろへと回り込めば――
「よっす。こんばんは」
「――っ…………、……こ、こんばんは……」
まるで猫の如く机の隙間で丸まっていた藍色娘は、パッと顔を逸らしながら一層に身を縮めて奥へと引っ込んでいった。
猫というか、動きが完全に警戒心の強い小動物のそれ。これはこれで、このまま観察しているのも面白そうではあるが――
「出てきなさい」
「うぅ……」
「うーじゃない。ほら、はよ」
「わ、わかった……わかったから……!」
差し伸べた手をペシッと掃われつつ――有無を言わせずに急かせば、ようやくニアは外に這い出してきた。相変わらず視線は合わせてくれないままだが、一歩前進。
身体を引いて眺めていれば、彼女は椅子に座らせていたトルソーをポイっと雑にソファに放り投げて……いつもの席に収まったアトリエの主は、気まずさを誤魔化すように膨れっ面でそっぽを向いてしまった。
ふーむ……なんとなく妙な様子の理由は察したが、どうしたもんかねぇ。
つまるところ、コレは以前と同じ状態なのでは?
序列を得てから初めて顔を出したときのように、またも滅茶苦茶をやらかした俺にどう対応すれば良いのか困っていると見た。
そういうことなら気持ちは理解できるし、悪戯に突き回すのも気が引ける。となれば結局、俺のほうが気にせずいつも通り振舞う……くらいしかないな。
「ニア」
「――っは、ぐん!?」
「はぐん???」
「な、なんでもないっ……! なに!?」
そこまで過敏になられると流石に困ったものだが……いや、気にはすまい。
苦笑を呑み込みつつ、インベントリから取り出すのは一つの貴石――正しくは、貴石の残骸、藍玉の名残り。
アイリス戦にて最後の最後、俺を救ってくれた【藍玉の御守】の破片だ。
「最後、見ててくれたか?」
「……うん、見た、けど」
「そしたら、気付いただろ? しっかり効いたよ――〝おまじない〟」
事実として、俺がアイリスと引き分けられたのはニアのおかげだ。
もちろん〝だけ〟というわけではないが、無くてはならない最後のピースとなってくれたことは疑いようもない。
そしてそれのみに限らず、以前も言葉にしたように――なにかと視界に入るこの藍色に、何度も励まされてきたというのもまた事実である。
装備としての活躍は、使い切りの一度だけ。それでも〝おまじない〟――御守りとしての役目を、物言わず果たし続けてくれた大切な品だ。
「だから、ありがとう。……っはは、また借りが増えちゃったな!」
いい加減、返し切れない多額の負債だ。
ニアを始めとして、恩返しの相手が増えていくばかり。滲み出した笑みは我ながら情けないものだった気はするが……繋がりというものは、悪い気はしない。
――と、掌に載せた御守りの欠片から顔を上げて、気付く。
いつしか、藍色の瞳が俺を見ていた。
なにかの感情を湛えて、焦れるような色を浮かべて。
その内に宿す小さな光を、儚げに揺らしながら。
◇◆◇◆◇
「――貸して」
「へ……? あ、おう……」
その手に大事そうに抱えている『欠片』を、努めて冷静に奪い取った。
一瞬触れあった指先に錯覚する、火傷しそうなほどの熱も全部無視。
本当にもう……――そんな顔、しなくていいんだよ。『核』が残っていれば、何度だって蘇らせられるんだから。
「……あの、ニアさん?」
「静かに」
とはいえ単なる『魔工』とは違い、余裕というわけにはいかないから。
ズルくて、卑怯で、どうしようもない男の子を黙らせて――
【藍玉の妖精】は〝瞳〟を開く。
「――『瞳に映す、水面に映す、藍の貴石に願いを込める』」
口ずさむのは、魂の分け身へのねがいごと。
起動するは『魂依器』――【揺蕩う藍玉の双星】。
アルカディアにおいて数えるほどしか存在しない〝魔眼〟型の魂依器が、少女の双眸で幻想的な光を放った。
そして続くは、込めるべき魔法の詠唱。
「『この手に望むは水の加護、枷を掃い、邪を祓い』」
未だ光を失ってはいない、藍の欠片に指先を添える。
「『かの者に、祝福を齎したまえ』――《封瞳》」
詠唱と鍵言が世界に認められ、欠片と〝右目〟が一際強く輝いて――光が収まった後。手の中には、砕ける前の姿を取り戻した『御守り』があった。
「っ…………」
小さく息を吐き出して、右目を閉じながら傍らを見れば……。
「――………………」
ポカンと口を開けて、固まっている青年が一人。
人の気も知らず、なにを呆けているのか。元はと言えば君が――砕けてしまった贈り物を見て、少しだけ悲しそうな顔をしてたから。
……見たことのない表情が、なんだか可愛くて、嬉しくて、切なくて、
胸が疼いて仕方なかったから、こうして格好付けてしまったというのに。
「……また、着けていい?」
「っ……あ、あぁ」
ぎこちない首肯を受け取って――立ち上がり、一歩、二歩。
場所を変えて、半月前の儀式を繰り返す。
「え、と……目、大丈夫なのか?」
「平気。少しの間だけだから」
一時的に視力を失っている右目を閉じたままでいれば、心配そうな声が頭上から降ってくる。何でもないように返しながら、笑ってしまいそうになった。
優しいとか、気遣いとか、わざわざ大袈裟に形容する程でもない、当たり前くらいの言葉だというのに。
顔を合わせて、改めて自覚した感情はどうにも制御が効かず。たったのそれだけでフワフワと浮ついてしまう自分が、可笑しかったから。
なんでだろうって、一々首を傾げなければいけないくらい。
それはきっと、些細なキッカケの積み重ね……物語のように劇的な理由が見当たらないことを、いっそ不安に思ってしまうくらいに――
「ハイ、できた。いつでも直してあげるから、壊れちゃったら持ってきて」
「…………はは。お代を聞くのが怖いな」
照れ隠しの子供っぽい笑顔まで、もうズルいとしか思えなくて。
私はこの人が好きなんだと――仮想の心臓が、ただただうるさかった。
さよならブレーキ。