なんとか日和、再び
「それでは、えと……の、後程です」
「うん、また後で」
二階建ての小さな事務所、その一階部分にあたる駐車場にて。
当たり前のような顔でメイドさんがハンドルを握っている異様な光景からは目を逸らしつつ、後部座席の窓から顔を出すソラと一時の別れの挨拶を交わす。
互いの同意の上に『偽装婚約』は成ったわけだが、とにもかくにも展開が急過ぎる。仮想世界に続いて現実でも親睦を――という流れを展開できるほど、俺もソラも心が追い付いてはいない。
なので、今日のところは一旦解散。
平日の昼間に制服姿……というところから察せる通り、昼休みに合わせて学校を抜けてきたらしいソラはそちらへ戻ることに。
俺はといえば、火急ではないにしろ『とある大仕事』ができてしまったため大学はこのまま欠席――という連絡を九里さんに入れたところ、なんかこのまま一週間ほど休むようにと諭されてしまった。
曰く『欠席日数や単位に関する些事は一切気にしなくていいので、状況が安定するまでゆっくりと身を落ち着けてほしい』とのこと。
なんかこう……あれだな。心底ありがたい心遣いではあるのだが、あまり考えたくない類の〝権力〟的なアレコレを感じてしまう。
まあ、それはさておきだ。控え目に手を振るソラをほっこり見送りつつ、俺は傍に控えていたもう一台の車へと乗り込み――
「では、よろしくお願いします」
「あぁ、よろしくね」
この後お世話になる予定の、運転席にいる千歳さんへ頭を下げる。というのも、これから俺の『大仕事』を手伝ってくれるそうで……。
「それじゃ、とりあえずは君の部屋に直行でいいかな?」
「大丈夫です、けど……あの、手続きとかは」
大学側の対応を考えるに、何となく反応を予想できてしまうが……念の為そう問いかけてみれば、千歳さんは当然のように微笑んで――
「もちろん――面倒事は、君以外の誰かが片付けるさ」
「………………ハイ、お任せします」
これである。まったく、身に余るVIP待遇が過ぎて震えてくるよ。
そういうことなら、現実世界のしがらみは『盾』を買って出てくれた四谷様に任せるとして……俺はもう、気ままを努めて〝責務〟を果たすとしようか。
つまり、取り急ぎこなすべきは『大仕事』――
「あ、でも……冷蔵庫とか洗濯機とか、デカいやつは二人じゃ流石に」
「家電は最新型を取り揃えてあるけど、愛用品と取り替えるかい?」
「ごめんなさい結構です」
一人暮らしを始めて二ヶ月弱。
愛着が湧き始めていた我が居城から、あっという間の〝引越し〟である。
◇◆◇◆◇
「いま、なにか言ったら怒りますから」
「あら怖い――それで、現実の騎士様とご対面した感想は?」
「 い つ き さ ん ? 」
そっとしておいてほしい――なんて要望が通る場面ではないことなど承知の上。相も変わらず威力の伴わない脅しをサラリと受け流されてしまい、ソラは傍らの鞄を抱え上げてルームミラーからの視線を遮った。
「そんなに怒る必要はないでしょう? いいこと尽くめだったじゃない」
「だから、困ってるんです……!」
「ふふ、いいこと尽くめは認めちゃうのね?」
「っ……もう、知りません!」
揶揄われている――だけではないと、そんなことはわかっている。
けれども、やはり心が追い付いてこないから。本当ならそんな気分ではないというのに、学校へ戻る判断を下したのもそれが理由。
少しだけでも時間を置いて、冷静になり、仮想世界でもう一度言葉を交わす。
そうすることで、またいつもの二人に戻れるだろうと……互いに言い聞かせるようにして、『また後で』と別れたのだ。
だから――
「次はもう、本当に怒りますから。放っといてください」
ソラは徹底抗戦を示すように、ツンと顔を背けて窓の外へ視線を固定する。しかしてそんな怒りのポーズが、自分をよく知る姉代わり相手に――
「あらあら怖い――ずっと年上のオジサンじゃなくて、良かったわね?」
「 い つ き さ ん ‼ 」
通用するはずはないものと、内心では諦めながら。
◇◆◇◆◇
「――――…………………………あの、マジ?」
「マジだよ。借り物と思わず、好きに使ってくれて構わない」
部屋へと帰り、要るモノ要らないモノの選別から作業を始め数時間後のこと。現実味の無い光景を前にして、俺はただ呆然と立ち尽くしていた。
元より持ち物が少なかったこともあり、引っ越しの支度自体は爆速で終了。家電やら家具やらも一通り用意してくれていると聞いたため、使えりゃヨシをモットーに揃えた愛用品とは未練もなくグッバイサヨナラ。
ということで、荷物といえば着替えや生活用品を含む小物ばかり。
ぶっちゃけ俺が直接作業していたのは三十分程度。あとは部屋から新居へと【Arcadia】の筐体を移送する間、外で時間を潰していただけである。
暇ができたのは午後二時頃……というわけで、何だかんだと昼食を逃していた俺は千歳さんに誘われて男二人レッツ親睦会。
――食べたいものはあるかい?
――お任せします。
で、お任せしてみた結果。
お品書きに値段が書かれていないタイプの寿司屋に連れて行かれた俺は、当然の如く借りられた猫ムーブを全力で遂行した。
……というのはまあ冗談で、互いの努力の結果――ではなく、ひとえに彼の化物コミュ力のおかげで、俺は昼飯一回ですっかり慣らされてしまっている。
あれよあれよと警戒を外され、遠慮を外され、敬語を外され……。
『序列持ち同士の流儀』的な理由も無しに、年上へのタメ口を俺から引き出すとは只者ではない――断じて、回らない寿司の味にやられたわけではないぞ。
と、それはさておき。
「いやあの……ここ、俺が五人くらいは住めると思うんだけど……?」
目前に広がっているのは、何畳あるのかも定かではない馬鹿広いリビングダイニングルーム。冗談抜きに、キッチン部分の床だけで生活が成立しそうな狂った間取りをしていらっしゃる。
「手狭よりはいいだろう? 掃除が面倒なら、代行サービスを頼んだらいい」
「掃除の代行サービス???」
なんだそれは、異世界の呪文か?
ちなみに、ここはそのもの異次元の高級マンションです。
「あの、家賃は……」
「払わせると思うかい? なんなら、部屋ごと贈与することもでき」
「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやッ!!?」
本当に意味がわからんッ……こんなのもうVIP待遇とかいうレベルですら……!
「ちょ……っと待って? 失礼ながら天下の四谷とはいえ胡散臭くなってきたんだけど、マジで俺おかしなこと要求されたりしないよね?」
「まあ少なくとも、即日『娘の婚約者になってくれ』なんて依頼よりもおかしなことはないだろうね」
「いやだって……これで更に〝契約金〟まで貰うことになるんだろ? それで求められることがゲームプレイのみって……」
あまりにも、俺にだけ都合が良すぎる。それはもう、恐ろしくなるくらいには。
「気持ちは分かるけど、納得してもらうしかない。それと同時に――君は相応しい環境に身を置くことで、自覚を積み重ねる必要がある」
「自覚……」
「そう、自覚。世界が君に、そう在れと求めているってね」
「…………………………」
眩暈がするよ、本当に。
「…………追々、努力します」
「そうしてくれ。サポートは万全にさせてもらうよ」
ありがたいこって……自信満々というか、何一つ気負いを見せないその表情を信じて、徹底的に頼らせてもらうとしよう。
「さて――代表に倣って、難しい話はまた後日だ。俺から連絡を入れるから、春日君は心身を休めつつ環境に慣れる努力をするように」
「了解っす……」
掠れ気味の声で返事をすれば、笑顔一つに『じゃあね』と軽い挨拶を添えて千歳さんは去っていき――
「…………………………」
クッッッッッソ広い〝新居〟に取り残された俺は、呆然とするまま一人リビングの入口に立ち尽くす。
何だよこの広々空間、フットサルとかできんじゃねえの。
「慣れろって言われてもねぇ……」
セキュリティの観点から――という理由で拒否権が無かったのは仕方ないにしろ、もう少し身の丈に合った物件に手加減してほしかったものだが……。
――相応しい環境。
――世界がそう在れと望んでいる。
重ね重ね、心が追い付かないまま大波に押し流されていく俺だが――
「…………まあ、とりあえずは」
目下の最優先事項は、数えるほどしかない段ボールその他の荷解きから。
まずは旧マイルームの冷蔵庫から引っ張り出してきた品々を片付けるため、俺はアホみたいにデカいピッカピカの冷蔵庫に挑み掛かるのだった。
二度目のお引越し、さらば格安ワンルーム。
直近で特に詳しい描写をする予定はありませんので、
『最強の高級マンションの一室』を自由にご想像ください。