二度目の契約
「ど、どうでしょうか……?」
「美味しいよ。これ、手作業で淹れたんだろ? 大したもんだと思う」
手放しで称賛を贈れば、ソラはわかりやすくホッとして肩を撫で下ろした。
そんな様子を見る俺としては、気疲れさせてしまっているであろう申し訳なさが半分、気遣いしてくれている嬉しさが半分……といったところ。
実際、素直に大したものだ。これでも珈琲狂いのオーナーが経営するカフェでアレコレ叩き込まれた身であるからして、味利きには多少の自負がある。
自称メイドの夏目さんと比べても遜色無く、少なくとも彼女の年頃でここまで本格的な味を出せる人間を俺は知らない。お店出せるよソラさん。
このブレンド、豆は何を使ってるのだろうか。味の違いは分かるものの、流石にヒント無しで内訳を読み解けるほどの知識量は持ち合わせていない――
「「…………………………」」
……と、ひたすら珈琲の味に意識を傾けることで稼げた時間は三十秒足らず。向かい合って座り直した俺たちの間には、なんとも言い難い雰囲気が満ちていた。
このまま黙っているわけにもいかないが、果たして一体なにを喋れば――
「あ、あの……」
互いに視線を向けたり逃がしたり、そうこうするまましばらくのこと。
考えも纏まらないままとにかく口を開こうとした俺に先んじて、沈黙を破ったのは少女のほうだった。
「私、まだ混乱していて……ですね。状況は理解してるんですが、こうなった経緯を全く知らされていないので……」
「あぁ、まあ、そうだろうな……」
あらかじめ聞かされていたのなら、ここまで戸惑うことはないだろう。おそらくは、俺たち二人へ向けて四谷氏渾身のサプライズだったと思われる。
ということで、俺は俺で全てを把握しているわけではないが、ソラへ可能な限りの説明を試みていき――
「――――お父さん……ッ‼」
――結果、出来上がったのがこちら怒り心頭な四谷の御令嬢でございます。
「ま、まあまあ……あれだろ、よつ――徹吾さんのキャラ的に、きっと悪気があってのことじゃないだろうし……」
なんというか、どことなくゴッサンと似た雰囲気? 締めるところは締め、隙あらばお茶目を振り撒いていく、そんな気質を感じた。
「そう……! ですけど、そうじゃなくて……………………あの、ですね……まず、どうして私たちのこと、知られてたと思います?」
「え? そりゃ……」
そりゃ………………え、言われてみれば何故?
いや、何故もなにも、俺たちの関係性を知っている理由など『見られていた』以外に有り得ないわけだが――
「…………ちょっと待って? アレだよな、確か【Arcadia】を発注するときに書かされた契約書に……なんだっけ?」
ゲームデータ収集を目的とした、運営サイドへのプレイ映像提供に関する許諾がどうたらこうたら……
「――――――――――」
四谷氏が俺たちのことを知っていた――どころではなく。
現実で初めて顔を合わせた俺に、なんの憂いも無さそうな顔で愛娘を預けて去っていった……その信頼の出処。
サプライズよりも何よりも、ソラが真に怒っていらっしゃる『とある可能性』――というよりも、『とある真実』に考えが至った瞬間。
俺は言葉を失い、冷や汗を吹き出し、コーヒーカップを落としかけた。
「………………まさかとは、思うんだけど」
「……はい」
「全部、見られていたとか……?」
返答はなく、ソラはただ静かに微笑んで見せて――
「聞き出して、おきますね」
「あ……ハイ」
俺はその背筋が凍るような冷笑を見て、四谷氏に心の中でそっと合掌を――
……する、必要はないか別に。徹底的に懲らしめておやりなさい。
ともあれ、だ。
「仮に全部を知られた上でアレだっていうなら、有難くもあるのかな」
「……開き直るにしても、無理矢理すぎませんか? プライベート無視も甚だしいですよ、こんなの」
「いやまあ、プレイヤーが許諾した運営の権利ではあるわけだし……少なくとも娘を任せようと思えるくらいには、信頼してもらえてるってことだろ?」
しかも、向こうから頼み込む形で『婚約者』なんて肩書きを与えるほどに。
「そこは、なんだ。純粋に嬉しいよ」
「っ――……そう、ですか」
その信頼の深さがどの程度であるかは置いておいて、認められているという事実に勝る安心感はないだろう。
この世界でも彼女と隣り合える――願ってもない、奇跡のような幸運だ。
「………………ハル、は」
「うん?」
カップを置いて、持ち上げて、また置いて。落ち着きなく視線を揺らしながら、迷いがちにソラが口を開く。
「どう、思いますか……? あの……、…………っ」
とても言い辛そうに、躊躇いが振り切れないその様子を見て――少女がなにを切り出そうとしているかくらい、わからない俺ではない。
そして、俺が察していることに気付かないソラでもない。
気恥ずかしいが、ありがたいことに……現実世界でも、俺たちの以心伝心は健在であるようだった。
俺の顔を見て、余計に口籠ってしまった彼女に代わり、
「それで、君を守れるかな?」
努めて、なんでもないように一つ問う。
視線を伏せ、口元を震わせた少女は、勢いを付けるように珈琲を飲み干して――
「――お父さんに、言われました」
「……それは、なんて?」
「絶対に守りますって……約束を果たすチャンスだぞ、と」
「っ――は、はは……」
それはおそらく、昨夜の――本当に、やはり彼には全てを知られてしまっていると思ったほうがいいらしい。
心強いような、穴に埋まりたいような……知られた上で認められているというのなら、もう開き直って〝安心〟してしまうのが賢明かもしれないな。
「じゃあ、あれだな。結局は仮想世界と同じだ」
「っ……、…………いいんですか、本当に。後悔しませんか?」
「それは、こっちの台詞だと思うけど」
「そんなことありません。絶対に、たくさん面倒なことがありますよ?」
「それは、お互い様じゃない?」
「…………………………」
言葉は途絶え、空色の瞳が揺れる。
互いの心は、もうわかっているから。
待つのは答えではなく、それぞれの覚悟のみだった。
「……ハル」
「うん」
「私のこと、守ってくれますか?」
「ソラが、俺のこと守ってくれるなら」
どちらかが、ではない。俺たちはもう、対等な相棒であるゆえに。
交わした笑顔は、パートナー契約に続く二度目の宣誓代わりだ。
「それじゃ――春日希です。これからよろしく」
「っ――……、……四谷、そらです。よろしくお願いします」
差し伸べた手を握り返す手は、覚えのある小さな手よりも――
ほんの少しだけ、温かく思えた。