求めるもの
「それでは、私はこれで」
「あぁ、ありがとう斎君」
見惚れるような一礼を残して夏目さんが席を外し、室内は再びの一対一。ソファに腰を戻した俺の前には、世界有数の権力者たる人物が鎮座している。
なんというかもう、ずっと現実感がないまま。
バイトの面接で似たようなシチュエーションは数多経験してきた俺だが、まさかこんな大物と対峙する日が来ようとは夢にも思わなかった。
「さて、何から話そうか」
――ともあれ、だ。現実としてこの状況を迎えてしまった以上、無意味に縮こまっていても仕方がない。
出過ぎた自己顕示は失笑を買うが、自己が無いのもまた問題だ。
「……よろしければ、まず連絡をいただいた理由を教えてもらえますか?」
なので、緊張は呑み込んで発言は躊躇わない。俺は別にバイトの面接でこの場にいるわけでも、就職活動に挑んでいるわけでもないのだ。
立場の上下はあれど、四谷氏の雰囲気から察するに自由な発言くらいは許されるはず。万が一怒られたらノータイムで土下座しよう。
「そうか、詳しい話は待ってもらっていたね」
と、納得の表情でと気安い返答をいただけたことから、幸いこのスタンスは間違っていなかったようだ。
「あれこれ前置きをしても仕方ないから、単刀直入にいかせてもらおうか――春日希君。私たちは【曲芸師】ハルとしての君と、契約を結びたいと思っている」
それは果たして、俺の予想していた言葉の一つ。
そして納得と同時に、特大の疑問を内包する展開でもあった。
「〝契約〟というのは、素直に想像するようなもので合っているんでしょうか? つまり、他の有力プレイヤーたちと同じような……」
「その認識で、概ね間違いはないよ。簡単に言えば、私たちが君のスポンサーとなり、同時に『盾』の役目を買うということだ」
そりゃなんともまあ、世界が束になってもこゆるぎもしないであろう無敵の盾ですねぇ……ただ、その話には致命的に『筋が通っていない』部分が一つある。
それは単純な話――
「ゲームの開発元が、運営するゲームのプレイヤーと契約っていうのは……その、なにがどうしてそうなるんです?」
問題点が多過ぎて全てを挙げきれない程度には、絶対の禁忌なのでは? と、正直そう思わざるを得ない。何を置いても、『神様』たる運営が一個人のプレイヤーを贔屓するような真似は絶対にNGなはず。
そんな禁忌を侵してまで、四谷が俺を雇うような真似をする理由もまた思いつかない。【Arcadia】の無限に等しい商業価値に――言い方は悪いが、群がるようにして〝おこぼれ〟に与っている他企業の事情はまだ理解できるとしてだ。
俺と契約を交わしたところで、四谷開発に一体どんなメリットがある?
仮にメリットが存在したとして、それは不動の信用にわずかでも傷を付けるデメリットに釣り合うものなのか?
日を跨いだ今も、納得のいく答えは浮かばないままだ。
「君の疑問は尤もだ。しかし、申し訳ないが社外秘の情報が多過ぎてね。現状で何もかもを説明するわけにはいかない」
だから、結局は俺を納得させる答えは返せないかもしれない。そう視線で断りを入れる四谷氏に、俺は言葉の先を聞くために頷いて返した。
「では――まず第一は、君の身柄を守るためだね」
「――…………」
そこが〝第一〟に来たことを少々驚きながら。一々話の腰を折るのも憚られて、ひとまずはリアクションを呑み込む。
「失礼を承知でハッキリ言わせてもらうが、来歴はどうあれ君は極めて普通の大学生だ。極少数の例外こそ在れど、多くは年単位の時間を掛けて実力と立場を積み上げていった他の有力プレイヤーと、環境が全く違う」
「……実際、立場も心も追い付いていませんからね」
冗談めかしてそう言えば、「その通り」と当たり前のように笑顔でノってくれるのが地味に救われる。良い人だなと、自然にそう思えた。
「それなり程度の注目であるならば話は違ったが……君の場合は、その戦果と話題性が大き過ぎる。この先まず間違いなく、一般人の枠組みにある人間が対処しきれない厄介事が雪崩のように舞い込んでくるだろう」
「………………」
既に認めていた事実ではあるものの、こうして確たる立場の人間から実際に突き付けられるとクるものがあるな……。
「ただ、我々は【Arcadia】を世に出した者としての責任を自負している。一プレイヤーとして仮想世界を楽しんでくれている君が、世間に食い潰されるのを見過ごすわけにはいかない」
「それ、は……とんでもなく有難い心遣いだとは思うんですが、それでも運営元が直接手を出す必要は無いのでは……」
それこそ、四谷としての力で他企業に依頼して確実に守らせる……ということも可能なはずだ。しかしそれをしない、ということはつまり――
「それは勿論、我々が直接に君を囲いたい理由があるからだよ」
――とのことで。第一に関わってくる、第二があるというわけだ。
それにしても『囲う』とは、これまた直接的な……。
「残念ながら、そこが話せない部分の一つ目になる」
しかし――と言葉を切って、珈琲を一口。
俺も倣い、二人して一瞬のブレイクタイム。ほぼ同時にカップを置くと、『良い腕だろう』と得意気に謎のメイド自慢をされてしまった。
お茶目か。
「ともあれ……我々が君に『望むこと』だけならば、教えることはできる」
「望むこと」
そんなものが、果たして存在するのか? つい声音に疑念を滲ませてしまった俺に穏やかな笑みを見せつつ、四谷氏は悠然と言葉を紡ぐ。
「――何者にも邪魔されることなく、ただあの世界の攻略に臨んでほしい。我々が……私が君に求めるのは、その一点に尽きる」
「………………」
なんと返せばいいのか、返答に迷うその言葉。困惑する俺を見て、四谷氏は「もっとシンプルに言おう」と微笑みながら――
「君には、【Arcadia】のゲームクリアを目指してもらいたいんだ」
まるで〝悲願〟を告げるかのように、更なる困惑の火種を提示するのだった。
話が長いけど色々もうちょっとだから……!