月を仰いで
本当に俺のためだけに来てくれたらしい、親愛なるお師匠様と別れた後。
明日のこともあるし自分もそろそろ――と思いつつ、ログアウト間際の癖でフレンドリストをチラ見しときは驚いたものだ。
というのも、てっきり既にログアウトしてるものとばかり思っていた相棒の名前が、未だオンライン表記になっていたからに他ならない。
ミィナ辺りの誰かしらから二次会の誘いでも受けたのか――なんてことも一瞬考えたが、深夜手前の時間帯やソラの性質を思えばそれも若干違和感。
そこへきて脳裏を過ぎったのは、待ち合わせた際に彼女が見せた寂しげな顔。
一人でいるのだろうか――そんな考えが浮かんでしまえば、もはや放っておけるはずもなく。さりとて一々メッセージで確認を取るのも鬱陶しいかと思った俺は、パートナーの特権を使わせていただいたわけだ。
パートナースキルの一つ――《絆の道扉》。契約者それぞれが日に一度限り使用できる、瞬間転移のスキルだ。
日に一度の縛りや『戦場及びダンジョン内への転移は不可』などの制限はいくつかあるものの、コストもなしに瞬時の合流を可能としてくれる便利枠である。
ちなみに要請を拒否られると不発する。つまりこうして跳べたということは、少なくともお邪魔ではないと思っていいのだろう。
「で、なにしてたの」
問う――というよりは、単なる会話の切り出しに言葉を放つ。膝を抱えて顔を埋めているソラは、流れる髪の隙間から覗く瞳を俺へ向ける。
照れて撃沈することは多々あるが、こういう姿は初めてかもしれない。
落ち着いた言葉遣いや振る舞いから、普段は見た目よりも大人っぽさを感じるものだが……今夜はこう、見た目相応というか――
「……空を、見てました」
いつもより、あどけなさを強く感じさせる所作。
されども、その声音はいつにも増して静かなもの。
――思わず目を逸らしたのは何故なのか、わからないフリをして笑みを返す。
「…………いくら剣で竜巻を作れる女の子でも、夜の一人歩きは感心しないな」
「ふふ……大丈夫、ですよ」
異性として気を遣うのであれば、少々近すぎる距離。自らそんな距離に腰を下ろした俺には――果たして、今更逃げるという選択肢はなく。
「――見つけてくれる人が、いますから」
指先に縋る、些細な体温。
恥じらいこそ未だ在れども……いつしか遠慮を捨てていた小さな手が、俺の薬指と小指を確かに捕まえる。
――『永久無料パス』を進呈してしまったからな。男に二言は無いのだ。
「見つけたわけじゃないぞ? その証拠に、ここがどこだか全くわからない」
「えへへ……私にもわかりません」
「えへへじゃないんだよなぁ。街の明かりが見えないんだけど、セーフエリアからメッチャ離れてない?」
「どうなんでしょう、三十分くらい走ってきたので」
「なるほど、数キロ単位ではなさそうですねコレは」
――二言は無い、のだが、その……なんというか、こう、にぎにぎするのは勘弁していただきたいというかですね?
流石にノータイムで不埒な感情を抱いたりはしないが、俺も男なのであんまり容赦ないスキンシップを取られると精神衛生上よろしくない――
「ハル」
「うん?」
名前を呼ばれて顔を向ければ、琥珀色の瞳が映しているのは泉の水面。その横顔はどうしてか、やはりいつもの少女よりも大人びて見えた。
「………………………………私、は」
「うん」
指先に込められる力が強まったのは、如何なる感情からか。
言葉を選ぶように――あるいは、胸の内を整えるように。ゆっくりと言葉を紡ごうとするソラから再び視線を外して、俺もまた彼女と同じ景色を目に映す。
「私は、現実世界ではハルの力にはなれません」
「うん。だけど――」
何度でも言うが、それはソラが気にすることじゃない。
当たり前のようにそう口にしようとして、
「でも、やっぱり――後悔は、したくないので」
なにかを吹っ切ったような声音と、指だけでなくしっかりと握られた手から伝わる熱に遮られる。
改めて横を見やれば、少女の瞳に映るのは泉ではなく。あれこれと感情を噛み殺した結果、何とも言えない間抜け面を晒す俺の顔が見て取れた。
「お月様に、約束しましたよね。どこまでも一緒に――って」
真直ぐ、真直ぐに見つめてくる琥珀色の輝きに、言葉を返せず。
辛うじて頷きを返した俺に、
「だから……だから、ちゃんと――ずっと、私のパートナーでいてほしいです」
一生懸命に心を伝えてくる少女から、目を逸らせない。
「そのために、もう一つ約束してください。もしなにかが、ハルを変えようとするなら……あなたが、それを望まないなら」
これまでだって、いくつもの表情を見てきた。
「言ってください、私に」
無邪気な顔、可愛い顔、頼もしい顔、凛々しい顔――そして、またもう一つ。
「私自身は無力でも、それでも絶対に――あなたを守りますから」
知らない表情で、彼女は悠然と微笑んでみせる。
正直、ソラの事情も言葉の意味も、今の俺に読み取ることはできなかった。
けれど――
「……え、と」
完膚なきまで雰囲気に吞まれた俺が、この場で返せる答えなど一つしかなく。
「わ、かりました……?」
戸惑うままにそう頷いて返せば、ソラはくすりと笑みを零して――またほんの少しだけ距離を詰めた少女は、どこか安心したように身を寄せてくる。
相も変わらず……男の気を、知ってか知らずか。
◇◆◇◆◇
「――――…………………………はぁ……」
『――流石に、もう心は決まりましたか?』
観測室――モニタールームに響くのは、何かを諦めたような疲れた溜息。そして、どこか無慈悲さを感じさせる楽しげな声音。
「……見せつけるにしても、場面は選んでほしいものだよ」
『残念ですが〝思いやり〟は苦手分野です。託された『願い』を叶える他に、今の私には関心というものがありませんので』
「全く……そこは今後に期待させてもらおうか」
『期待だけならご自由に――答えを聞かせてくれますか?』
「わざわざ聞かずとも、君なら私の考えくらい読めるだろう?」
『重ねて、まだ〝思いやり〟は苦手分野ですから』
「………………」
相手にならないことなど分かり切ってはいても、もう少し何とかならないものかと切なさを覚えながら。
渋面を作る四谷徹吾は、巨大なモニターの中で寄り添う二つの影を見やり――
「是非もない、か……心は決まったよ」
果たして、息を吐き出すように呟かれた『答え』を聞いて、
『――――――』
もう一つの『声』は、満足げな息遣いを最後に――その気配を消した。
前振りは全て整った。




